幸せとは

幸せとは

ノーベルが手紙に記した本音|ノーベル賞創設者の生涯に「幸せ」を考える

こんにちは、齋藤勇磨です。

物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学の各分野で、人類に顕著な貢献をもたらしたとされる人々に贈られるのが、ノーベル賞です。

1901年から始まった、世界的なこの賞を創設したのが、ダイナマイトの発明者、アルフレッド・ノーベル(1833-1896)でした。

毎年、彼の命日である12月10日に、故郷のスウェーデンでノーベル賞の授賞式が開かれています。

多くの富と名声に恵まれた彼の生涯は、果たして、“幸せ”だったのでしょうか。

ノーベル、ダイナマイト発明の背景

ヨーロッパの19世紀は、鉄道や道路網が急速に整い始めた時期でした。

石炭の採掘や鉄道用トンネルの建設現場では、固い岩盤や巨大な岩を崩す必要があります。

人力のみでは困難な時に使われるのが火薬でした。

しかし、当時の火薬の爆破力は、あまり強くなかったのです。

そこでノーベルは、ニトログリセリンという液体を使った、高性能な爆薬の研究に打ち込みました。

ニトログリセリンは、わずかな衝撃で、すさまじい爆発を引き起こす性質があります。

しかし取り扱いが難しく、運んでいた船で爆発事故を起こし、多くの人が亡くなることもありました。

ノーベル、ダイナマイト発明の苦難

火薬を安全に運ぶためには、衝撃を加えても簡単に爆発しないよう、何かで固めなければなりません。

何を混ぜればニトログリセリンを固めることができるのか、彼は試行錯誤を繰り返しました。

ところが、その最中、悲劇が襲います。工場で爆発事故が起きてしまったのです。

周囲は、住宅地でした。爆風で家の窓ガラスは粉々になり、従業員や通行人、ノーベルの弟も犠牲になったのです。

ノーベルは大変なショックを受けました。

しかし、ここで実験を中止しては、これまでの努力が無駄になります。

「必ず、人々の役に立つ安全な爆薬を完成させてみせる」

ノーベルは、世間の非難に耐えながらも、実験を重ねました。

そして、ついに、珪藻土と混ぜると、ニトログリセリンがしっかり固まることを発見したのです。

こうしてできあがったのが、ダイナマイトでした。

ノーベルへの非難「ダイナマイト王」から「死の商人」へ

ダイナマイトはさまざまな工事に使われるようになり、インフラ建設に大きな役割を果たしました。

膨大な年月と労働力がかかると思われた、太平洋と大西洋を直接結ぶパナマ運河の建設や、スイスのアルプスを貫く鉄道の建設なども、ダイナマイトの出現で、初めて可能になった大工事です。

ノーベルは工場をいくつも建てて、大きな利益を上げました。

ヨーロッパ有数の大事業家として名声を確立し、「ダイナマイト王」と呼ばれます。

当時の欧州は、国同士の争いが加速しつつありました。

ダイナマイトの威力に着目した軍は、兵器として利用し始めます。

戦争が起これば起こるほど、ダイナマイトは売れ、彼は「人間の格好をした悪魔」「世界を股にかける死の商人」「大量殺人鬼」などと呼ばれるようになりました。

ノーベルは、「製造の目的は、土木事業に役立てるためであり、決して武器として使用するためではない」と、軍事利用反対を繰り返し叫び続けましたが、止めることは、もはや不可能だったのです。

心を痛めたノーベルは、自身の築いた財産が平和につながる道を考え続けました。

そして彼は、財産のほぼ全額を、国籍問わず、人類に大きな貢献をした人物に賞を贈るために使うよう遺言したのです。

しかし、今日、彼の願いは人類に届いているのでしょうか。

今も、多くの争いが地球上で起きている、悲しい現実があります。

ノーベルの苦悩「大海原を漂流する難破船」

ノーベルほど多くの富に恵まれた人も、幸せにはほど遠かったようです。

『アルフレッド・ノーベル伝』(ケンネ・ファント著・服部まこと訳 新評論)には、苦しみの胸中を訴える、彼の手紙が多く収録されています。

「浮世とは、哀しいことばかりの多い涙の谷間だ。(中略)私ほど哀れな者はこの世にはいないだろう」
「私といえば、舵も羅針盤もないまま大海原を漂流している哀れな難破船のようなものです」

ノーベル没後100年を記念し出版されたこの伝記の帯には、ヴィクトル・ユゴーの評「ヨーロッパで最も裕福な放浪者」の文字が大きく記されています。

彼の死後60年、1956年11月には、ノーベルが走り書きした紙切れが、未整理の新聞の切り抜きの間から発見されました。

「こうして、人生の現実がむき出しになり、幸福であるはずの夢の中に、悲しい追憶の亡霊が残るのみとなった」

人生は難度の海

仏教では、この浮世を「浮生」とも言われます。

水面の浮き草が、ゆらゆらと落ち着きがないように、人間もまた、明日どうなるか分からぬ、実にはかない浮き世を生きています。

ノーベルの言うように、ちょうど人生とは、水平線しか見えない大海原を漂流しているようなものでしょう。

なぜ、自分がここにいるのか、どこに向かって生きてゆけばいいのかを知りません。また、誰も教えてもくれません。

ですから、心はいつも、たとえようもなく不安で、孤独です。

「何のために生まれてきたのだろう」という人生の根本的な問い掛けが、答えの出せないまま、すべての人の心の内にあるからです。

「命は尊い」「人命は地球よりも重い」「人生は素晴らしい」とはよく言われますが、果たして、どれだけの人が本当に、この言葉を納得しているのでしょう。

人生の意味、生まれてきた目的が分からなければ、心から、生命の尊厳を叫ぶことはできないはずです。

すべての人は死に向かって生きています。

そして、死にぶち当たった時に、それまでの人生がまるで夢幻であったことに気づくのです。

あの太閤秀吉も、

「おごらざる者もまた久しからず露とおち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢」

と詠んで果てています。

史上並ぶもののない一代の栄華も、夢の中で、また夢を見ていたようなものだった、という述懐です。

秀吉とノーベル。

その人生からは、本当になさねばならないことは何か、生きる目的を忘れてしまった悲劇が浮き彫りとなります。

すべての人は、幸せを求めながら、実は、本当の幸福のありかを誰も知らないのではないでしょうか。

では、本当の幸福はどこにあるのか。

関心があれば、ぜひ、こちらの記事もごらんください。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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