生と死

生と死

もし「死んだらどうなる?」を仏教講師に尋ねたら――死を見つめることは本当の幸せの第一歩

こんにちは、仏教講師の椿修子です。

元気だったおじいちゃんが突然逝ってしまった。

同年代の知り合いが自殺した。

優しく賢かったお姉さんがまさかの突然死。。。

そんな時、「あの人はどこに行ったんだろう」「今、どこにいるんだろう」「何しているんだろう」と、死んだ後のことを、とても身近に感じました。

あなたは、「死んだらどうなる?」って考えたこと、ありますか?

「そんなイヤなこと、考えても暗くなるだけ。考えたくもない」と思われますか?

でも実は、まったく逆なんです。

死を見つめることは、本当の幸せへの第一歩なんです。

それはなぜか、お話しします。

死んだら何もなくなる?

私たちは毎日、「何をしたら楽しいかな」「あの人と一緒になれたら幸せだな」「仕事でミスをして落ち込んだ」「目標達成出来た!」「成功者になりたい」などなど、

社会的満足を求めたり、人間関係に一喜一憂して生きていますが、

愛する人や、さっきまで一緒にいた人の死、ましてや自分の死を宣告された時には、

「死んだらどうなるのだろうか」ということで心が一杯になってしまいます。

そんな時、

死んだら無になる

と考えている人もたくさんいると思います。

私も昔から科学が好きで、死後については唯物論でした。

※唯物論:観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方。(Wikipedia)

「死んで灰になったら、脳神経もホルモンも、心の働きは全部無くなる」

と思っていました。

心や世界はどのようにできているか、についてはまた別の機会に書きたいと思いますが、

そんな信条や考え方、知識では割り切れないのが、「死んだらどうなるのだろうか」という問題です。

大事な人が亡くなれば、「風になって大空を吹き渡っている」「死んだら光になる」「ダイヤになる」「鳥になる」「星になって見守ってくれている」という言葉を信じてみたいと思うけれども、ハッキリもせず、

特に「自分の死」にぶち当たれば、「本当はどうなるんだろう」というモヤモヤした気持ちが起きてきます。

死んだら天国に行ける?

ビートたけしさんは、バイク事故で生死をさまよった時のことを、次のように綴っています。

おいらが病床で考えていたこと、というのは、本当に「生と死」の問題だけだったといっても、いいすぎじゃないんだよ。

(中略)
死というもののすごさというのは、自分の人生振り返って、何をしたとか何をしていないとかいうのは全然関係ない。

そんなことはビタ一文かすんないんだよ。

オレは生前いいことしてたんだから長生きさしてくれとか、そんなこと全然関係なく、ドンと来るんだよね。

それに人間どうやって対応するのか。これからのテーマだね。
 (『たけしの死ぬための生き方』より)

人生を真面目に考えるならば、必ず向き合わなければならないのが100%やってくる未来である死です。

余命宣告を受けた患者さんや、テロリストに乗っ取られた飛行機の乗客の気持ちを考えれば、心は真っ暗になることは誰でも想像できるでしょう。

「死んだら天国に行ける」と言われて育った人も、死を前にすれば恐れ、逃げたいと必死に延命し、死ぬのを避ける努力に全力になります。

死んだら死んだ時?

講座でこのような話をすると、「死んだあとのことは死んでみなければ分からないのだから、そんなこと考えずに、生きている今、どう生きるかを考えればいいんじゃない?」と言われる方もあります。

では、本当にそれでいいですか??

ちょうど虫歯の痛みを誤魔化して、治療を先延ばしにしていても、やがてズキンズキンと痛みだして、どうしようもなくなってから治療に行くようなもの。

死を考えたら心が真っ暗になる現実を誤魔化しても、やがて直面しなければなりません。

死に直面してからは、日々の楽しみや誤魔化しも明かりにならず、

「何も喜びが感じられない。暗さと苦しみばかり」

「私の人生、こんなはずではなかった」

という後悔に終わってしまいます。

地域医療のパイオニアとして活動してきた医師がガンになり、在宅医療を受ける側になった時、「こんなはずじゃなかった」と書いています。

もし、人生を飛行機に例えたら?

死ぬ直前だけ私たちの心は暗くなるのではありません。

未来が暗いと、今から心は暗くなります。

三日後に大事な試験があれば、遊んでいても心はソワソワして心から楽しめない。

一週間後に大手術を控えた患者さんは、今から心が暗くなる。

飛行機に乗るのは私は大好きです。

充実した機内食、素敵な客室乗務員のおもてなし、新しい場所に行ける楽しみ、向こうで会える人、参加予定のイベントなどを想像するからですが、

もし、フライト中にこんなアナウンスが流れたら、どうでしょうか。

皆さん、大変申し訳ありません。

先程、燃料漏れが分かり、長くても残り1時間ほどしか飛べない状況です。

現在太平洋の上空を飛んでいますが、近くに降りられる空港などは見当たりません。

燃料の限り安全飛行に努めますので、どうぞ、フライトをお楽しみください。

それまで美味しかったワインも、楽しかった映画も楽しめず、今から墜落するまで暗く、恐ろしい心で一杯になります。

行く先が暗いと、今から暗くなってしまう。。。

もし、人生をトイレのない家に例えたら?

食べることと話すことが好きな私は、皆で集まって食事をする時が大好きです(^^)

ですが、その場所がもし、台所だけで、トイレのない家だったらどうでしょうか。

食べれば食べるほど、後のことが気になりますので、どんなご馳走が並んでいても、とても美味しく食べられません。

台所は楽しく、明るく、皆が集う場所、トイレは汚く、臭く、一人で行かなくてはならない場所です。

生を台所に、死をトイレに例えれば、「生きている間だけのことを考えて楽しもう」というのは、ちょうどトイレのことを考えずに楽しく食べたり飲んだりしているようなものになってしまいます。

食事を安心して、心から楽しめるのは、トイレがあるから。

同じように、生を心から楽しめるのは、死んだらどうなるかの暗い心が晴れていればこそです。

仕事も、貯金も、賞状も、好きな人との時間も、死という未来が暗ければ、心から楽しむことはできず、

「なんか虚しい」

「こうやって生きているのは何の為なんだろう」

という、今、暗い心になって表れます。

未来に、「死んだらどうなるのか」全く分からない真っ暗な心を抱えて生きているから、今、心から明るく楽しめないんですね。

飛行機にとって、墜落ほどの一大事はありませんが、このまま生きていったら、真っ暗なところへ突っ込んでいく一大事を、仏教では「生死の一大事」「後生の一大事」といわれます。

仏教は、この、後生の一大事の解決を知るところから始まり、後生の一大事の解決で終わるのです。

お釈迦さまは、「未来暗い心があるから、現在が暗くなるのだ。未来が明るくなれば、現在が明るくなる。未来も、今も明るい心になるために生きているんだよ」と、人生の目的を教えられています。

だから、

「無常を観ずるは、菩提心の一なり」

命の無常、死を見つめることは、今も未来も明るい本当の幸せになる第一歩なんです。

仏教を日本で明らかになされた親鸞聖人は、この心が晴れ、解決できた世界を「破無明闇」と教えられています。

仏教は、この死んだらどうなるかの問題をガラリと解決して、未来明るい心にする道を教えられています。

それについて、分かりやすく学べる15通のメールと小冊子(PDF)を、こちらに用意しました。ただいま無料で配布しております。

いつまでも提供できるかどうかは分かりませんので、関心のある方は、このご縁にこちらからお受け取りください。
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この記事を書いた人

仏教講師:椿 修子



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