幸せとは

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金子みすゞの詩「薔薇の根」から幸せを考える

こんにちは、齋藤勇磨です。

今回は、金子みすゞの詩から、幸せについて考えてみたいと思います。

日本の詩人 金子みすゞとは

金子みすゞ(1896年 – 1926年)は、日本の詩人であり、その短い生涯の中で多くの詩を残しました。

彼女の作品は、自然や日常の中にある小さな喜びや哀しみを繊細に描写し、日本の児童文学や詩の分野で重要な位置を占めています。

彼女の詩は、その深い感受性と独自の表現力によって、多くの読者に愛されています。

学校の教科書にも収録されていますので、皆さんも、目にされたことがあるかも知れませんね。

「大漁」の詩などが有名ですが、今回紹介したいのは、次の詩です。

薔薇の根

はじめて咲いた薔薇は、
紅い大きな薔薇だ。   
   土のなかで根がおもう。
  「うれしいな、
  うれしいな。」

二年めにゃ、三つ、
紅い大きな薔薇だ。
   土のなかで根がおもう。
  「また咲いた、
  また咲いた。」

三年めにゃ、七つ、
紅い大きな薔薇だ。
   土のなかで根がおもう。
  「はじめの花は
   なぜ咲かぬ。」

(『永遠の詩 金子みすゞ』より引用)

初めて咲いた薔薇の喜び

以前、薔薇を育てたことがあります。

初めて薔薇が咲いた時には、その美しさや香りに心が満たされました。

初めて咲いた薔薇のように、私たちが人生で初めて経験する幸せは、心の奥底に深く刻まれるものです。

社会人なら、初任給を手にした時はどうでしょう。

たとえ、多額ではなくても、初めて収入を手にする喜びは、自立への一歩と共に、そこまで育ててくれた両親への感謝を教えてくれたのではないでしょうか。

また、初デートの喜びもまた、特別なものでしょう。

緊張と期待が入り混じったその瞬間は、忘れがたい感覚でしょう。

薔薇の花が初めて咲いた時の「うれしいな、うれしいな」の喜びは、私たちが経験する初めての喜びを表しているように感じられます。

その喜びは、人生の旅の、かけがえのない記憶となり、私たちの心を温かく照らしてくれるものです。

このように、薔薇がきれいに咲くのは、薔薇の根の苦労があってこそではないでしょうか。

毎日、誰からも見えない土の中で、一生懸命、水や養分を吸い上げ、つぼみに送り続けています。

長い時間をかけ、手塩にかけて、無事に薔薇が咲くことを念じて育てているのです。

花を守り、荒らされないように、茎にトゲを生やし、周囲からうとまれた時もあったでしょう。

薔薇を一つ咲かせるのも、大変な苦労の賜物です。

繰りかえす喜びと「薔薇の根」の問い

しかし、2段目になると少し様子が変わります。

同じような薔薇が何度も咲くと、その喜びは次第に薄れていき、薔薇の数や咲く頻度を周囲と比べるようになります。

初めて薔薇が咲いた時の、まっすぐな喜びを忘れ、「また咲いた、また咲いた」と、前よりももっと多く咲かせるところに力を入れます。

こうして、数や量に心奪われていきます。

そして、3段目。

前よりもたくさんの薔薇の花を咲かせたのに、薔薇の根は、ふと「はじめの花はなぜ咲かぬ。」と疑問を覚えます。

初めて薔薇が咲いた時のような、みずみずしい感動が感じられない自分に、「なぜ?」と問うているのです。

えてして、初めて経験した喜びや成功の感覚を次第に忘れ、繰り返しの中でその価値を失っていきやすいのが、人間の性質と言えるでしょう。

初めて経験した成功や喜びは、後に続く同じような成功や喜びと比較されがちです。

たとえば、初めての昇進や上司、周囲の同僚の賞賛は、私を喜ばせ、自信を与えてくれます。

しかし、その後、同じような成功が繰り返されると、その喜びや満足感は次第に薄れていきます。

やがて、「もっと給料アップを」「もっと高い地位を」と、過去の自分や周囲との比較に、心を奪われてしまうのです。

限界効用逓減の法則

初めて経験した喜びや満足は、後に続く同じような経験と比較されると、薄れ、減少してしまう。

これを「限界効用逓減の法則」と呼ばれます。

たとえば喉が渇いたときにコーラを飲めば、〝スカッとさわやか〟な快感を覚えます。

しかしその気持ちよさも束の間で、もう一口、また一口、と次第に渇きが癒されるにつれ、爽快感は減退します。

渇きが減ってゆく過程だけがおいしいと感じられるのです。

百パーセント〝渇き〟がなくなれば、当たり前になります。

そこからのコーラは、逆に苦しいものとなるでしょう。

新しい趣味を始めた時の楽しみも同様です。

最初の興奮が薄れると、その活動が日常のルーティンとなり、かつての楽しみや満足感を再び感じることが難しくなります。

これでは、常に満足がなく、本当の幸せや満足が得られません。

私たちが本当に欲しいのは、色あせることも薄れることもない幸せではないでしょうか。

それこそ、本当の人生の目的と言えるのではないでしょうか。

『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女、アンネ・フランクは、次にように記しています。

私達は皆、幸せになることを目的に生きています。

私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。

「変わらない幸せ? 人生の目的? そんなもの、最後まで見つからないよ」と、あきらめる人も、少なくないかもしれません。

ところが、実は、そんな幸せが、仏教にあるのです。

ぜひ、こちらの記事をごらんください。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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