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今回はこんなお悩みについてです。
自分軸をもち、自分で責任を取れる、しっかりさんですね。
共感力は高いとおっしゃっていますから、ズバッと切り捨てるのは、境界線を強く引いているのでしょう。
そうしないと、相手に巻き込まれて、自分まで倒れてしまう……。
これまでの経験から「この人にはこれ以上、関わらないほうがいい」と感じて、自分を守るためにやっていることではないでしょうか。
相手に共感しながらも、境界線を引くことは、大切なことだと思います。
そのうえで、「こんな冷たい人間でいいのかな?」という気持ちも、できることなら解消したいですよね。
今日は「自業自得」と「冷たい人間」をテーマに、一緒に考えてみましょう。
自業自得とは、仏教由来の言葉で「自分にくる結果は、すべて自分の行いによる」という意味です。
現代では、【悪い意味】だけで使われることが多いですが、本来は【良いこと】もすべて含みます。
「自業自得」の漢字を見れば、悪い意味は含まれていませんね。
仏教は、因果の道理を教えられています。
「善い結果も、悪い結果も、すべて自分の行いによる」ということです。
努力の結果も、
怠惰の結果も、
本人の行いによるもの。例外は1つもありません。
だから「他人のせい」という出来事は、何ひとつないのです。
たしかに、すべてのことは自業自得です。
こう聞くと「冷たいなぁ」と思われるかもしれませんが、それには「2つの聞きまちがい」があります。
仏教は「慈悲の教え」とも言われます。
「慈悲」と聞くと、冷たいとは正反対で、あたたかい感じがするでしょう。
「自業自得」を教えられる一方で、なぜ「慈悲の教え」と言われるのでしょうか。
因果の道理を聞いた人の中に、よくある「2つの聞きまちがい」を知っておきましょう。
聞きまちがいをしていると、「自業自得だなんて、冷たいなぁ」と思ったり、自分のことを責めて苦しくなったりします。
調子がいいときは、「ぜんぶ自分のやった結果だ!」とうぬぼれてしまいます。
人は誰でも、そうなりがちなのです。
もちろん、よい結果が来たのは、自分のやった行いの結果。
ですが、仏教でうぬぼれは「慢」と教えられ、
私たちを苦しませる「煩悩」の中でも、大きな6つに挙げられています(六大煩悩)
仏教は、本当の幸福になるための、深い教えです。
口や体の行いだけでなく、心まで見つめてみましょう。
日々、どんなことを思っていますか。
ほしいほしいとキリがない欲を起こし、
自分の思い通りにならないと、怒りが出てくる。
自分よりうまくいっている人を見ると、ねたむ心が出てきて、
他人の不幸をひそかに喜ぶ心もある。
欲や怒り、愚痴、そしてうぬぼれ心の「慢」も、悪い行いだと教えられています。
という仏教の言葉があります。
悪い行いがなかなか止められない私たちなのに、幸せな結果がくるのは、有り難いことです。
たまたま、いい結果がきたら「感謝」なのですよ。
そう思うと、今、うまくいかない人を見ても、
こんな気持ちが起きてくるのではないでしょうか。
自分がうまくいっているときは、自分の「うぬぼれ」の心を見つめてみましょう。
調子が悪いときは、「ぜんぶ自分のせいだ…」と落ち込んでしまいます。
自分を主体的にコントロールして、自分で決めている人ほど「他人のせいにしない」気持ちが強いため、自分のせいにして責めてしまいがちです。
もちろん、苦しい結果が来たのは、自分のやった行いの結果です。
ですが、あなただけではなく、すべての人が
なのです。
いまは順調そうに見える人も、
いつ事故に遭うかもしれない。
肉体は病の器(うつわ)
誰がどんな病気になってもおかしくありません。
みんな「自分だけは大丈夫」と思っていますから、
重い病気になれば、誰だって「まさか自分がこんな目に遭うとは……」と思います。
事故や病気にはならなくても、
すべての人は、年老いて、死んでいきます。
死ぬことほどの苦しみはありません。
こんな苦しみのない人など、一人もいないのです。
どんな苦しみが来るのかは、それぞれ行いが異なるので、
人によってちがいます。
でも、苦しみのない人はいません。
幸せそうに見える人も、苦しみはあります。
仏教では、
と言われています。
苦しい結果が来たときに、自分を責めて、もっと苦しませるのではなく、
それくらいの気持ちで、肩の力を抜き、自分を責めないで。
「休むも、忍耐」という言葉もあります。
うまくいかないときは、疲れているのかもしれません。
焦る気持ちは、一旦、棚上げして、ゆっくり休んでくださいね。
もし、お医者さんから「安静に」「休養が必要」と言われたときは、
「休むのが仕事」と思って、休みましょう。
休むも、忍耐(善い行い)ですよ。
自分を責めるのは、自分に対する「怒り」であり、
怒りは、悪い行いです。
自分に優しい言葉をかけて、ねぎらいましょう。
「よくがんばっているね」と。
うぬぼれは悪い行いなのに、なかなか止められない。
だから苦しんでいる人に対して、冷たくなってしまう。
怒りは悪い行いだとわかっているけれど、なかなか止められない。
だから自分を責めて、落ち込んでしまう。
自分も、悪ばかり造っている。
あなたも、悪ばかり造っている。
と思われるかもしれませんね。
ですが、考えてみてください。
生きるためとはいえ、毎日、肉や魚を食べて殺生しています。
因果の道理から言えば、悪因悪果の行いをしています。
肉や魚を食べないようにしたとしても、
野菜を作るのに農薬を散布して殺虫していますし、
化粧品や薬をつくるにも、動物実験をしています。
「悪を造っていない人など、ひとりもいない」と仏教では言われます。
なのです。
だから、苦しんでいる人を見たとき、
「自分にも、もっと苦しい結果が、いつきてもおかしくない」という反省があれば、
相手に思いやりの心で接するようになります。
自分に苦しみがやってきたときも、
「今は、そういう時なんだ。休むも忍耐。自分に対しても、優しい言葉をかけよう」と、
自分にも思いやりの心で接することができるようになります。
親切、笑顔、優しい言葉、感謝、思いやり、あたたかいまなざし、人助け。
「善行だからやりなさい、あなたに善い結果が現れますよ」と、仏教では説かれています。
一見、冷酷にもみえる仏教で、同時に「慈悲」を大切に教えられています。
仏教は「慈悲の教え」とも言われます。
自業自得なのに、慈悲?と思われるかもしれませんが、
自業自得を突き詰めると、慈悲になるのではないでしょうか。
「自業自得だ」といって無慈悲になるのは、
「自分は悪いことはしていない」とうぬぼれている時でしょう。
「自分も気づかぬうちに、悪いことを数えきれないほどしている。
だから自業自得で、悪い結果もくる。
そんな私が、生かされている。たくさんの人に助けてもらっている。
なんと有り難いことだろうか」
と思えば、有り難い幸せをかみしめて、感謝せずにおれません。
人が困っているならば助けたい、慈悲の心になると思います。
こんな気持ちに、なるのではないでしょうか。
慈悲の心をもつ本人が幸せになれます。
もちろん、相手を助けることで共倒れになりそうなのに、自分を犠牲にしてまで助けるのはリスクがあると思います。
自分がまず、安全な所に立たなければ、他人を助けることはできません。
巻き込まれて自分が倒れそうな時は、むしろしっかり境界線を引き、自分を守ることを優先したほうがいいときもあるでしょう。
自分にも他人にも優しくあるために。
人間の慈悲は、仏様の慈悲とちがって、不完全な慈悲です。
他人を助けたいと思う気持ちは、尊いことです。
けれども、思うように完全に相手を助けることは、なかなかできないものです。
仏教は、
・慈悲(抜苦与楽)とは?
・本当の苦しみの原因とは?
・仏様の慈悲と、人間の慈悲のちがい
・本当の幸せとは?
など、まだまだたくさんのことを学べます。
正しく聞けば、心がスーッと穏やかになります。
もっと学んでもらえたら、あなたの人生が本当に充実したものになると思いますよ。
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