幸せとは

幸せとは

ラオスの旅で知った幸せの秘訣~お釈迦様が托鉢に込められた本当の意味~

こんにちは。ライターの村松です。

『ラオスにいったい何があるというんですか?』

作家・村上春樹さんの本(文春文庫)のタイトルです。

私も、ラオスへ旅行に行くと言うと、

「それ、どこ?」

「いったい何しにいくの?」

とたくさんの人に聞かれました。

ラオスにはいったい何があるのでしょうか?

世界遺産の美しい街、ルアンパバーン

私が降り立ったのは、ラオス北部に位置する古都ルアンパバーンの小さな空港。

空の上からは、茶色い蛇のように大きくうねったメコン川と、うっそうとした緑の中に広がる赤い屋根の小さな街が見えました。

ルアンパバーンに足を踏み入れた瞬間から、「あ、私この街、好きだな~」と思いました。

メコン川の上流に位置するルアンパバーンには、ゆったりとした時間の流れ、さわやかな風が吹き抜け、昔の日本に似ている、と懐かしむ日本人も多いのだそう。

街のいたるところに大小の仏教寺院があり、人々の生活を支えているその歴史と文化により、街全体がユネスコの世界遺産に登録されています。

日本人観光客はまだまだ少ないですが、ニューヨークタイムスの調査では、ラオス(ルアンパバーン)は世界で行ってみたい国ベスト1に選ばれています。

それくらい、旅行者にとって魅力的な場所でした。

「なにもない」という豊かさ

ラオス観光省のオフィシャルHPには、次のように紹介されています。

ラオスってどんな国?と問われても答えに困ってしまう。

壮大な遺跡があるわけでも、エメラルドグリーンの海が広がっているわけでも、名の知れた料理があるわけでもない。

かつてはインドシナの戦火に巻き込まれ、今は海外からの経済援助に頼っている。

しかし、その中で暮らす人々の心は常に豊かでほほ笑みを絶やさない。

みずから「なにもない」ことを売りにしている観光地を見たのは初めてでした。

実際にラオスを訪れて私が感じたこと、それは――。

ラオスには本当に何もない。

人々の生活は確かに貧しい。

でも、日本や先進国と呼ばれる国々が、どこかに置き忘れてきてしまった懐かしい何かが、ここには残っている。

ということでした。

私たち旅行者は、一日中メコン川沿いに寝そべり、ラオビア(世界で最も美味しいとも言われるラオス国産のビール)を飲みながら、ただひたすらそこに暮らす人々の生活を眺め、こころから癒される。

幸せを求めて必死で働き、すべてを手に入れ、豊かになったかのように見える私たちが、結局は疲れ果て、何もない貧しい農村に幸せを求めてやってきている。

その矛盾がとてもおかしなことだと感じながらも、それでも私たちは幸せを求めて、旅をし続けているのだと思いました。

ラオスの生活は、水も電気も食べ物も最低限、畑でとれた野菜とその日に川で釣った魚を食べ、家族とゆっくり時間を過ごす。

売り子もタクシードライバーも、客が嫌がるような押し売りはしてこない。

お客と目が合っても、恥ずかしそうに微笑むだけ。

昔から、幸せに暮らしたければ、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」とも言われますが、ラオスの人たちは、「足るを知る」暮らしをしているように感じました。

ご飯が美味しい、とか、

景色が美しい、とか

家族と笑いあえて嬉しい、とか

子供が可愛い、とか

足るを知っている人は、日常の当たり前のことに感謝できる人です。

生きていることに感謝し、その短い一生の間に私たちが本当に求めなければならないものは何なのか、いま一度立ち止まって考えることを教えてもらったラオスの旅でした。

お釈迦様が托鉢に込められた本当の意味

ラオスはアジア最貧国のひとつと言われ、1日2ドル(約200円)で生活する国民が半数以上います。

それにも関わらず、ラオスでは物乞いやストリートチルドレンを一人も見ませんでした。

これは他の東南アジア諸国と圧倒的に違っていたことの一つでした。

その理由のひとつが、365日毎朝行われる「托鉢」にあるといわれます。

○托鉢・・・僧侶の修行の1つで、鉢(はち)を持って米や金銭の施しを受けて回ること。

ラオスでは毎朝夜が明ける前から、托鉢に回る僧侶を待つ人々の姿が見られます。

僧侶は受け取った米や菓子のうち必要最低限のもの以外は、貧しい家や子供たちに分配しています。

自分さえよければいい、ではなく、人と分け合う。

この仕組みによって「食べる物がなくて生きられない」ということはラオスではないのだそうです。

托鉢は、もともとは乞食(こつじき)行と呼ばれる修行のひとつですが、現在使われる乞食(こじき)とは全く意味が異なります。

仏教を説かれたお釈迦様は、こじきのように食べ物やカネが欲しくて托鉢をされたのではありませんでした。

あるとき、托鉢に出かけられたお釈迦さまは、お金持ちの住む町へ向かおうとする弟子たちにこう言われました。

「布施は貧しい者ほどしなければならないのだ。

 彼らが現在、餓死するほどに貧しいのは、過去世から欲深く、布施の功徳を積まなかったからである。

 布施を励んだ人は、恵まれた家に生まれる。

 彼らは自らの報いを受けているのだ。

 貧しい中から米一粒でも布施をして、功徳を積むならば、彼らは今の苦しい状態から抜け出せる」

金額は関係ない。

布施をさせることで、心の貧しさから救うのが本来の托鉢の目的だったのです。

ついつい私たちは自分がもらうことばかり考え、それが幸せだと思っています。

しかし、実は反対なのです。

お金持ちになりたければ、まず人に与える。

信用されたければ、まず人を信用する。

愛されたければ、まず人を愛する。

とてもシンプルな因果の道理を、托鉢を通してお釈迦様は教えておられます。

与えることの幸せを、思い出させてくれるラオスの旅でした。

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この記事を書いた人

会社員:村松 佳苗

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