2020年の「父の日」は6月21日。
5月の「母の日」に比べると、忘れられがちですが、お父さんとお母さんの2人がいてくれてはじめて「今の私」があるのです。
なかなか両親に感謝することができなかった私が、心から親の恩を感じるようになったのには、あるきっかけがありました。
母からの自立だった留学
私は大学時代、ロシアに留学していた経験があります。
留学を決意した理由には、実は「母から自立したい」という思いもありました。
いつの頃からか、あまり子育てに関わっていなかった父のかわりに、母の注意はすべて私と兄に向けられていました。
そのため、今となっては母の愛情だと分かることも、当時はとにかく重たくて煩わしいと感じていたのです。
「あなたのためを思って言っている」
「親の言うことを聞きなさい」
そんな言葉にうんざりしながらも、無意識のうちに「母が怒らないように」「母が気に入るように」行動し、いったい自分は誰のために生きているのか分からなくなっていました。
大学生になると、母との言い合いも増え、
「とにかくこの家から逃げ出して、誰も知らない世界へ行きたい!」
「私は母のような狭い世界で生きるのは嫌だ!」
と思うようになっていました。
日本から届いた両親の愛情
1年ほどの留学生活の中で、私はホームシックこそかかりませんでしたが、とにかく日本食が恋しくてたまりませんでした。
当時、モスクワにも日本食レストランはありましたが、まだまだ高級店で貧乏学生が頻繁に食べられるところではありませんでした。
そんな中、唯一楽しみだったのが、数か月に1度、母から送られてくる荷物です。
箱の中には、日本の米や味噌、カレールー、お菓子など、おそらくいろいろ考えて厳選された日本食材がたくさん詰まっていて、その時の私にとっては宝箱のようでした。
そして荷物と一緒に、いつも母からの短い手紙が入っていました。
心配性の母なので、本当はもっと聞きたいことや言いたいことがたくさんあったのでしょうが、それをぐっとこらえて書いたことが伝わってくるような手紙でした。
きっと母自身も、子供たちから自立しようと頑張っていたのだと思います。
あとから分かったことですが、母は、ロシア語はもちろん英語すらも書けません。
そんな母にとって、ロシアへ荷物を送ることがどれだけ大変だったことか、当時の私は考えてもみませんでした。
たった数行の住所と名前を書くために、私の書いたメモを見ながら、1日がかりで毎回書いてくれていたそうです。
お釈迦さまの説かれた親の恩
留学中、経済的にも精神的にもさんざん迷惑をかけたにも関わらず、心から両親に感謝していたかというとそうでもありませんでした。
「親として当たり前の義務だ」ぐらいに思っていました。
社会人になってからも、一人で中東や南米など危ない場所へ出かける娘に、両親ももう何も言わなくなっていました。
ところが数年後、ふとしたきっかけで、お釈迦さまの言葉に触れる機会がありました。
そこには、母親が子供を身ごもってから、出産、育児、そして死ぬまで、子供のことを思い続けてくれる父と母の「恩」が、10に分けて細かく教えられていました。
(1) 懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
子を宿し、十月十日、無事な出産を念じ続けて下された恩。
(2) 臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩
月満ちて、出産の時、陣痛の苦しみに耐えて下された恩。
(3) 生子忘憂(しょうじぼうゆう)の恩
子が生まれると、それまでの一切の苦しみを忘れ、喜んで下された恩。
(4) 乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
昼夜を問わず乳を与え、成長するまで育てて下された恩。母乳は血液から造られる。
(5) 廻乾就湿(えかんしゅうしつ)の恩
おねしょで濡れた処へ自分が移り、暖かい所へ子供をやり、愛育して下された恩。
(6) 洗潅不浄(せんかんふじょう)の恩
汚い物も厭わず洗って下された恩。
(7) 嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
自分はまずい所や残り物を食べ、子供には美味しい物を食べさせて下された恩。
(8) 為造悪業(いぞうあくごう)の恩
子供のために悪い報いを覚悟して、あえて悪業さえして下された恩。
(9) 遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
遠くに子供が行く程、余計に心配し続けて下された恩。
(10) 究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩
子供がどんな高齢になっても親は、思い続けて下される恩。
その中の9番目に、こう説かれていました。
「遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩」・・・わが子が遠くへ出かけると、親は子供が無事に帰って元気な顔を見せてくれるまで、いつもどこでも心配し、寝ても覚めても子供のことばかり考えている。
お金はあるだろうか、元気でやっているだろうか、友達はできただろうか、悪い人に騙されていないだろうか…などと、種々に心配して下さるご恩です。
私はこのお経を聞いて、なぜか涙が止まらなくなりました。
今まで両親に心から感謝したことなど一度もなかったのに、この時は、自分がしている親不孝に本当に胸が痛くなり、親の深い深い愛情が心に突き刺さったのです。
今、私が幸せに生きていられるのは、いったい誰のおかげか?
その「原因」を「知る」心が『恩』なのだと、深く知らされました。
「可愛い子には旅をさせ」てくれたからこそ言える、心からのありがとう
人は離れると、ふつうなら、だんだん疎遠になりお互いのことを忘れてしまいます。
ところが父と母だけはその反対で、遠くへ行けば行くほど、私を心配しいつも忘れないでいてくれていることにようやく気付きました。
子育てをしていないと思っていた父ですが、私がこうして広い世界を見ることができたのは、父が何も言わずに学費を出してくれ、反対する母を説得してくれたからです。
私も自分で働くようになって、汗水たらして稼いだお金を惜しみなく自分以外に使える父の愛情の深さを改めて感じるようになりました。
身勝手な娘にそこまでする父と母には、生涯をかけて恩返ししても、し足りません。
心配性だった母も、今ではこう言ってくれます。
「私たちはもう年だから、海外なんて行けないけど、かわりに、あなたがいろんな世界のあることを教えてくれるのが、実はいつも楽しみなんだよ」
「あなたにも子供ができたら、世界へ連れて行ってあげられるといいね」
今年も「父の日」には、なにかプレゼントを持って感謝を伝えに行こうと思います。
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