幸せとは

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本当に大切なことに向き合う時間~謎に包まれたイースター島の旅~

こんにちは。ライターの村松です。

マスクやトイレットペーパーの奪い合い、感染者への誹謗中傷、ストレスで家族や子供に暴力をふるう人、暴動に備えて銃を買い求める人……。

「死」の恐怖は、いつもは隠れているおそろしい人間の本性をあぶりだしてしまうような気がしています。

そんな時、みんなと同じように不平不満を言うのではなく、「今だからこそできることは何か」、冷静に考えられる心で常にありたいと思います。

今回の新型コロナウィルスによる世界の大混乱を見て、イースター島を旅したときのことを思い出したので紹介したいと思います。

太平洋に浮かぶ孤島「イースター島」

太平洋にポツンと浮かぶイースター島。

日本からはあまりにも遠すぎて行ったこともないのに、なぜか私は幼いころからあの滑稽な姿をしたモアイという存在がずっと気になっていました。

あるテレビ番組で、イースター島を訪れた日本人旅行者が島に惚れ込み、しまいには移住してしまったという特集が組まれていました。

それを見てから、それほどまでに人を魅了するイースター島って一体どんなところなんだろう、モアイって一体何なんだろう、いつか自分の目で確かめてみたいと秘かに思っていました。

そしてついに、念願のイースター島へ行ける機会がやってきたのです。

モアイと夕日を眺めながらのテント生活

イースター島の人口は7,750人(2017年)ほどですが、ホテルやレストラン、学校や病院、郵便局、Wi-Fi設備など島民の生活はかなり近代的で、観光客が不自由を感じることはほとんどありませんでした。

私が泊まったのは、モアイ像が見える海沿いのキャンプ場。

ここでテントや寝袋を借り、一週間のテント生活をしました。

島にはゆったりとした時間が流れ、一日の天気の移り変わりや、海や大地の香り、日本でせわしなく日々を送っているときには気がつかなかった自然のエネルギーを、五感一杯に感じることができました。

モアイ像の先に夕日が沈んでいく光景はとても贅沢で、夜になれば美しい星空の下、波の音を聴きながら眠りにつくという最高の毎日を味わいました。

改めて感じる太陽のありがたさ

島では自転車を借りて、あちこちに点在するモアイ像をめぐったり、人生初のダイビングで野生のカメと一緒に泳ぐこともできました。

もちろん、特別なことをしなくても、島を歩いているだけで必ず何か出会いがあります。

朝の散歩をすれば、近所のおじいさんが「うちでお茶でもしないか?」と誘ってくれます。夕方になれば、島の子供たちが遊びの仲間に入れてくれたりもしました。

そして、曇り空の多い北陸で育った私にとっては、毎日太陽が出ているだけでなんだかハッピーで、他には何もいらないと思うくらいでした。

太陽の光がたくさん当たる暖かい島で暮らしている人たちは、心も太陽のように明るく大らかで、自然の恵みが人に与える影響は実はとても大きいのではと感じたほどでした。

人が消えた!?イースター島の謎の歴史

イースター島に来るまで、モアイ像は「海に向かって」立っていると思い込んでいました。

しかし、島のモアイを見て回るとほとんどが「海を背にして」立っているのです。

モアイ像が作られた理由は諸説ありますが、かつての集落を囲むようにしてモアイ像が立てられているため、「守り神のような存在」あるいは「墓碑」だったのではないかと言われています。

平和だったイースター島ですが、悲劇は突然起こります。

モアイ作りが突如終息し、高度な文明も、島に住んでいた人さえも、こつぜんと消えてしまった歴史があるのだそうです。

その理由は、

・モアイ像を作るために森林を破壊して、やがて50年にも及ぶ部族間の戦争になった

・外部から持ち込まれた伝染病が蔓延した

・外国人による奴隷狩りや大量虐殺があった

などと言われていますが、いまだにはっきりした原因は分からないまま、今となっては謎だけが残るそうです。

いずれにせよ、人々の尽きることのない欲望によって混乱し、悲惨な結果を招いた島の歴史は、まるで「現代の私たちの縮図」を見ているような気持ちになりました。

突然やってくる「死」の瞬間

「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画が話題になりました。

あの漫画が私たちに教えてくれるのは、目の前のことに追われて日々何気なく過ごしていると、突如、あまりにもあっけなくやってくるのが「死」だということです。

そのときに、本当に大切なことに気づかされても、もう遅いのです。

その現実は、今も昔も変わりません。

2,600年前にブッダは、

「出る息は入る息を待たず、命終わる」
(吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければその時が死ぬときだ)

と説かれ、あまりにも身近なところに触れ合っているのが「死」なのだよ、という明らかな現実を私たちに教えられました。

「安らかに死ねればいい」「いい人生だったと言って死にたい」と言う人がいますが、「死」とはそんなに生易しいものではないと思うのです。

私はかつて納棺師をしていて、たくさんの死に触れてきました。

なんの前触れもなく、準備もできず、後のことを考える暇もなく、後頭部を急にハンマーで叩かれたようにやってくるのが「死」だと言われます。

まさか自分がコロナウィルスで突然死ぬ人生だったなんて、誰が予測できたでしょうか。

外出規制がかかり、不安な毎日を過ごしている方も多いと思います。

しかし、だからこそ今、命あるうちに、一刻も早く、本当に大切なことに向き合う時間にしなければならないのではないでしょうか。

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この記事を書いた人

会社員:村松 佳苗

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