幸せとは

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戦争をはじめるのはどんな人?~ヨルダンの砂漠で見た月~

こんにちは。ライターの村松です。

毎年8月になると、この平和な日本にも、かつては恐ろしい戦争があったのだということを思い出さずにおれません。

戦後75年が経ち、戦争の記憶がうすれた今の日本を見ていると、再び戦争に向かって動き出しているような気がしてなりません。

かつて、中東のヨルダンという国を訪れたとき、「平和」ということについて深く考えさせられました。

古代へタイムスリップ!?ヨルダンの世界遺産「ぺトラ遺跡」

ヨルダンを訪れる旅行者のほとんどが、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台にもなった世界遺産「ぺトラ遺跡」を目指すといいます。

いまだ全体の15%しか発掘の進んでいない遺跡は、世界の考古学者たちの憧れ。

かつて、砂漠の民の貿易中継地として栄えたといわれるぺトラでは、今でも馬車が走っていたり、先住民のベドウィンがラクダをひく姿に出会います。

まるで、古代ナバテア人が住んでいた時代にタイムスリップしたかのような、不思議な感覚。

岩をくりぬいて作られた壮大な遺跡の数々は、私が今まで見てきた世界遺産の中でも、トップ3に入るほどの感動の遺跡でした。

ラクダをひく少年

ヨルダン南部に広がる砂漠地帯ワディラム

遊牧民ベドウィンの暮らしを体験させてもらうため、砂漠の中にあるキャンプ場で一泊することにしました。

広い砂漠は、どこを見渡しても同じ景色で、迷子になれば帰ってくることはできません。

そんな中、ラクダツアーを案内してくれたのは、英語も話せない、まだ14歳のあどけない少年でした。

少年は、数ヶ月前に父親を亡くし、母と8人の兄弟を養っていかなければならない、とのこと。

ヨルダンの田舎では、女性が外へ働きに出ることはなく、家族を養っていけるのはこの少年だけ。

この家族の生活を守るため、キャンプ場のオーナーは自分のところで少年を働かせているのでした。

少年は、炎天下の砂漠を毎日往復30km、ラクダをひいて歩く仕事をする中で、旅行客から英語を学んでいるようでした。

英語を学びたくても学校に行けない、遊びたいのに遊べない、働かなければ家族が死んでしまう。

この砂漠の子供たちは、いつも私たち旅行者をうらやましそうな、寂しそうな目で見ていました。

しかし、学校に行けるのが当たり前、親が子供の生活を支えるのが当たり前、と思っていた私にとって、少年は、日本の子供たちよりずっとずっとたくましく思えました。

古くから村に伝わる歌をうたいながら、太陽と自分の勘をたよりに砂漠を進んでいく少年の姿は、今も私の胸に焼き付いています。

砂漠の星空と静寂

夜中の2時ごろ、ふと目が覚め、外に出てみると、真っ暗闇の砂漠が広がっていました。

夜の砂漠は、今までに経験したことのないような静けさで、まるで世界にひとりぼっちになってしまったような恐怖すら覚えました。

ふと、空を見上げると、いつのまにか雲もなくなり、そこには丸い月がぼんやり浮かび上がっていました。

こうして美しい月を見上げている今も、この砂漠のどこかで紛争やテロが起きていて、同じ月を見ている日本でも、毎日たくさんの人が命を落としている現実にやるせない気持ちが込み上げてきました。

中東の国々を危険だという日本人は多いですが、戦争よりも多くの自殺者を出している日本は、はたして平和と言えるのでしょうか。

本当の平和は、いったいどこにあるのだろう。

いったいどうすれば、争いはなくなるのだろうか。

月を見ながら、そんなことを考えていました。

“平和が大嫌い”と言っている人が、戦争を始めるのではない

あるとき、仏教の先生から、こんなことを聞きました。

「平和が大嫌い」と言っている者が、戦争を始めるのではない。

世界の歴史を見ると、平和を強く叫んでいた者が、人殺しをしたり、戦争を起こしている。

戦争を始める人の言い分は決まって「平和を守るため」だ。

平和を守るために、戦争をするって、おかしな話だなと思います。

正義の恐ろしいところは、「自分が正しい」と信じ込み、ためらいなく相手を傷つけてしまうことだと思います。

私たちは自分が正しいと思うことを指摘されると、腹が立ちます。

自分自身に問題があったとは到底思えず、もうあとにはひけなくなり、いつか仕返しをしようと考えたり、その人の悪口を言ったりします。

身近でいえば、夫婦ゲンカや親子ゲンカ、それが大きな規模になれば、戦争になります。

しかし、相手をうらんだり、仕返しをすることは、結局は自分に返ってくる愚かな行為です。

相手が怒っているときは、「一緒に腹を立てない」こと。

「相手はこういうことで、怒っているんだなぁ」と自分はいったん受け止め、感情的にならないことが大事。

自分が不幸な目にあったり、思い通りにいかないのは、「因果応報」であり、自分の悪い行いの結果だと受け止めなければならないことを、私は仏教の勉強を通して学びました。

もう二度と戦争を繰り返さないためにも、私たちにできることは、相手を責めることをやめ、勇気を出して報復の連鎖を断ち切っていくことではないでしょうか。

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この記事を書いた人

会社員:村松 佳苗

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