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「いでででっ……!」
駅の構内を歩いていると、突然、いままでに経験したことのない腹痛におそわれ、その場にうずくまりました。直後、激しい便意が。トイレに駆けこみ、しばらくすると痛みはおさまっていきました。
なんだ? ヘンなものでも食べたっけ?
しかし思い当たるふしがない。
「クローン病」という、耳慣れない病気との長い戦いの始まりでした。
はじめまして。松井と申します。
27歳のとき難病になるまで、東京・丸ノ内界隈でバリバリ働くサラリーマンでした。
すみません、それは少し誇張で、ぐうたら社員ながら、そこそこに仕事をこなしてそこそこ会社に認められていた、よくいる普通のサラリーマンでした。
折しも「ウインドウズ95」が発売されインターネットがまさに普及しようとしていたころ、私が所属していた情報システム部は社内用のパソコン整備から顧客向けネットサービスの開発・運用まで一手に引き受け、ネコの手も借りたいくらいで、私のようなぐうたら社員も朝7時に出社、夜9時か10時ごろ退社し、そのあいだ昼休憩をのぞいて一日じゅう机に座ってパソコンに向かう、いやがおうでもモーレツ社員にならざるをえない状況。午前サマになっても業務が終わらず、部署の一角で寝泊まりする日もしばしばでした。
文字どおり昼も夜もない、寝ているのだか起きているのだかわからない生活のなか、唯一の趣味は食べ歩きでした。
拘束時間は長いものの自由な社風で、昼休みは好きな時間にとってよく、なるべく同僚とかぶらない昼下がりに机を離れ、一人でふらっと会社を出て、オフィス街にくりだす。
会社の周辺はサラリーマンめあての店が軒をつらね、365日ちがう店を回っても回りきれません。
「きょうはどの店にしようかな」
しばらくぶらぶら歩き、
「ここにしよう」
と目にとまった店に入る。
食事どきを外しているので人通りはまばらで、人気店でも並ばずに食べられるのです。そうして一軒一軒、制覇していくのが楽しみでした。
ある日、突然、その楽しみは断たれました。
ナゾの腹痛に襲われたのです。それから毎日激しい腹痛がおきるように。
病院で告げられたのは「クローン病」という初めて聞く病名でした。
原因は不明で治療法がなく薬で抑えていくしかないとされる、国が指定する331の難病のうちとりわけ重い56のなかの1つです。
主な症状は、何を食べても腹痛と下痢になり、腸はただれて変形し消化が困難になり、やせ細り、つねに猛烈なだるさに見舞われるというもの。
一生涯、つぎの食事を避けなさいとのことでした。
(日比紀文監修『第2版 クローン病の正しい知識と理解』)
食べることしか趣味のなかった私に、いかにショックだったか、おわかりいただけるでしょうか。
宣告を受け、人生プランが一瞬にして崩れた気がしたのを今でも鮮明に覚えています。
小さいころいじめられっ子だった私は、父に「なぜ自殺したらだめなの」と質問したところ、「生きていれば、うまいものが食べられる」と教えられ、そんなものかなあと疑問におもいながらも、たしかにそれだけを楽しみに生きていました。
大人になってからも食べ物への執着はなくならず、むしろ強くなっていました。世の中のおいしいものをぜんぶ食べ尽くしてやろう。有名店を片っぱしから訪ね歩くんだ。いまは会社周辺だけど、一生かけて日本じゅうを回ってみようか。
結婚したら(そのとき彼女もいなかったが)、妻のおいしい手料理を子供たちに囲まれて食べる、温かい家庭を築くんだ。会社でもそこそこに出世できそうだし、まあ安泰な人生になるだろう。
それはもうない。
会社は、とても勤めることができずに退職。自宅でできる仕事を探しながら、食事制限を続ける毎日。ただでさえ女性に奥手でしたが病気になったことでますます自信を失いました。
なによりも、クローン病がどんなものか理解するにつれ、これから起こるであろう体の変化に恐れおののく日々。「腸に穴があくことがあります」「ほとんど寝たきりになる人もいます」
そして少しずつそれが現実になっていくのでした。
ただ、このとき不幸中の幸いだったことがあります。それは――「なぜ生きなければいけないか」ハッキリした答えを得ていたこと。
父が言う生きる目的に納得がいかず、学生時代はほとんどその探求についやしました。そのかいあって、「苦しくても生きるのはこれひとつのためだったのだ!」とハッキリ曇りなく理解することができたのです。
「うまいものが食べられないくらいなら死んだほうがマシだ」と言う人がいますが、なぜ死んではいけないのか。
食べたいものを食べるという唯一の趣味、生きる目標が断たれても、なぜ生きていかなければならないのか。
それがわかっていたから、こんな体になっても心はヘシ折れずにすんだのでした。
それどころか、難病とは面白いじゃないか、いっぷう変わった人生だけど、それならこの難病の人生を輝かせてやろう。そう気持ちを切り替えることができました。
そんな私も43歳になりました。
さまざまな療法を試していますがいまだにこれといった改善がみられていません。
でも、これからも前を向いて歩いていけるでしょう。
「なぜ生きるか」ハッキリしているから。
なお、こんな難病の私と結婚してくれた妻に、この場をかりて心からの謝意を表します。
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