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さよなら!友人の幸せにザワつく症候群 【アラサー女子編】

こんにちは、優花です。
ある調査によると、アラサー女性の約9割が友人の幸せに「ザワつき経験がある」と回答しています。どうしてこんな心が出てくるの?ザワつきの正体は?どう対処すればいい?今回は、そんな「友人の幸せにザワつく症候群」のトリセツをお届けします。

身近な人の幸せに「ザワつく心」、ありませんか?

友人の幸せ報告や仕事での成功を聞いて、心がザワつくことってありませんか?
ある雑誌のアンケート調査によると、アラサー女子の85.7%もの人が「YES」と答えているそうです。アラサーともなると、恋愛面では、彼氏のあるなしに始まって、結婚、出産、育児で差がついてきたり、ビジネスでは、出世や転職で役職に開きが出てきたり、などなど、社会に出て数年経ち、1人1人を取り巻く環境が大きく変わってくることが要因の一つとも言われています。

友達の幸せなのだから、一緒に祝ってあげたい。なのに、「おめでとう」と心から言えなかったり、祝うどころか、幸せそうな顔を見ると、なんだかつらくて、会うことを避けてしまったり、焦燥感に襲われたりする。

いろいろな「ザワつき」関連ワードも流行っているようです。

たとえば、「【ご報告】トラップ」。SNSの記事に、【ご報告】という文字が現れ、続きにはたいてい、婚約、結婚、出産、転職などおめでたい報告が続く。一気に興味を引くワードのため、スルーが困難だが、読み終えて後悔を伴うことも。

また、「アラサーブルーマンデー」。月曜日の昼休み、なにげなくSNSを開くと、週末の結婚式の写真で画面が埋め尽くされ、勤労意欲が減退すること。特に週末が大安だった場合は、要注意。

そして、「逆転同窓会」。学生時代は同レベル(もしくは、むしろ自分のほうが断然上)だと思っていた女友達と、立場が逆転したことが発覚する同窓会のこと。

他人の幸せを喜べない・・・

わたしも、この心のザワつきに悩んでいました。
高校生の時、わたしの一番の得意科目は英語で、誰にも負けたくないというプライドもありました。1年生の秋、毎年恒例の学校のイベント、英語スピーチコンテストに出ることになり、できることなら入賞したいと、夏休みの間、懸命に練習しましたが、残念な結果。悔しさを表に見せないように、「出場したことに意義があった!」と自分で自分を慰めたものです。しかし翌年、いつも仲良くしていた友達が、そのコンテストに出場。
全スピーチが終わったあとの審査発表の時――。

ザワザワ… ザワザワ… 。わたしの心に、穏やかでない感情が動き始めたのです。(友達の名前が呼ばれなかったらいい・・・呼ばれませんように!)心はそう叫んでいました。と同時に、(なんで、こんなこと思っちゃうんだろう)と、必死にかき消そうとする自分もいました。

友達は、見事に2位を獲得。(あぁ、名前、呼ばれちゃった。。。)教室に戻ると、彼女の周りにクラスメートが集まり、拍手喝采。わたしもその輪に入って、笑顔を作り、拍手をして「おめでとう」と祝福しましたが、心では、ちっとも祝っていない自分がいて、愕然としました。なんで友達の幸せを、一緒に喜んであげることができないんだろう。わたしはなんて、ちっぽけなんだ。。。こんな醜い思いを抱いてるなんて、誰にも言えない。この心、どうしたらいいんだろう。

ザワつきの正体は・・・

なんでこんな心が出てくるの?じっと、心をみつめました。すると、別にこの時だけじゃなく、自分よりも優位に立つ人が現れた時、自分のできないことが悠々とできる人を見た時、自分よりもなんだか友達が生き生きしている時など、いろんな時に、心がザワついていることに気づきました。

共通しているのは、自分が一番でいたいのに、それを脅かす何かが起きた時、この心がむくむく沸いてくる。じゃあ、こんな心を起こさないためには、いつも人より上にいられたらいい?でも、そんなのは無理。わたしは人間ができていないのだ、人間修行が足りないのだ、もっと心を鍛錬すれば、こんなこと思わないようになっていける??のかな・・・。これがその時の、精一杯、出した答えでした。

立ち込めていた暗雲が晴れわたっていったのは、大学に入り仏教を学ぶようになってからです。勉強会に参加を重ねていくうちに、ザワつく心の正体は、「愚痴(ぐち)」の心、と知りました。愚痴とは、うらみ、憎しみ、勝るをねたむ心。自分より優れた人を見るとねたましい、幸せそうな人をみると面白くない、逆に、嫌いな人が苦しんでいるのを見ると、不謹慎ながら何だか面白い。ヘビやサソリを見た時のようにゾーッとする、恐ろしく醜い心。すべての人間は、欲や怒り、愚痴などの煩悩のかたまりで、この愚痴の心のない人はいないと、学んだのです。

わたしだけじゃなかったのか、こんな醜い心を抱えているのは。。。気づかれないように隠そう隠そうとしていたけど、人はみんな同じ思いを持っている、と知った時、背伸びしようとしていた自分に気づき、これが人間なのか、と何だかほっとしたことを覚えています。

比べて感じる幸せには、悪魔が潜んでいる

そもそも、人の感じている幸せの構造とは、どういうものなのか?そこも仏教に学んでゆくと、どうにもならないロジックを突きつけられました。人は、相対の知恵で生きているもの。何かと比べることによって、物事を判断しています。1000円のTシャツと聞いて、安いと思うか、高いと思うか。いつも数千円するブランド品を買っている人からしたら、なんて安物、と思うでしょう。200円程度のフリマTシャツと比べれば、高く感じるかもしれません。幸せも同じ。人と比べて、幸せを感じて、生きているのです。自分より、気の毒な人を見れば、「あの人に比べれば、恵まれている」「まだましだ」と幸せ感を得られます。

一方、自分よりデキる人、輝いている人と比べると、「わたしって、ダメだ、全然イケてないな」「なんだか惨め…」という思いになり、焦りに似た感情も出てきてしまう。

自分より、レベル高い人に目を向けると、まさに「ザワつく心」が出てきてしまい、幸せ感を得られない。だから、昔から、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」と、おばあちゃんの知恵袋的に言われるのですが、もっと突っ込んで言ってしまうと、自分が幸せを感じるために、自分よりレベル低い人を探し出そうとする幸せとは言えないでしょうか。程度の低い人を引っ張りだして、踏み台にして、優越感に浸ろうとしていることにはならないだろうか。

上を見ても、下を見ても、よくよく心を見つめていくと、なんだか黒い心が見えてきてしまう。比べて感じる幸せには、誰とどう比べても、悪魔が潜んでいるようなのです。

世界でナンバーワンの幸せ者に

そこで仏教では、比べて感じる幸せ、いわゆる「相対の幸福」では、人は本当の幸せにはなれない、独り居て喜べる幸せこそ、まことの幸福と言える、と説かれていることを知り、驚きました。「相対の幸せ」に対し、「絶対の幸福」と呼ばれる幸せ。ほかの誰と比べなくても、私は世界一、いやこの大宇宙一の幸せものだ!と自信を持って言える、そんな幸福の現存が明らかにされているのです。「絶対の幸福?よく分からないな。。。」が、正直な印象だと思いますが、ブッダの教えを学んでみてください。

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この記事を書いた人

ライター:優 花

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