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ムダになる努力は一つもない
引っ越して狭くなった〈フォーユー〉のオフィスには、事務スペースと会議室しかない。
ひとつの会議室を応接室として使ったり、社内打ち合わせに使ったりしていた。
その会議室で、赤城晴美は泣きじゃくる後輩の話を聞いていた。
20代社員のシホだ。
「どうしたの? 何があったの?」
「ねえさん、どうしましょう……私、五木あかね先生を怒らせてしまったんです」
五木あかねは長年、〈フォーユー〉のエースとして活躍してきた契約講師だった。
話の流れで、南原社長も研修講師をやることになったと伝えたところ、自分の出番が減ることを危惧した五木が、激しく会社の体制変更を叱責したというのだ。
「そんな……シホを叱ることないのにね」
「うっかり私がしゃべっちゃったから悪いんです。五木先生、きっと会社に怒鳴り込んでくると思いますよ。すごい剣幕でしたから」
会社に来てくれたほうが、かえって好都合だと晴美は思った。
五木に限らず、ベテラン講師たちには、今回の決定を南原から直接告げるべきだ。
それが礼儀というものだ。
「もしも五木先生がいらしたら、ちゃんと社長から説明してもらうから。大丈夫、五木先生も私たちと同じ志を持つ、かけがえのない仲間なのよ」
そうなぐさめると、シホの嗚咽が激しくなった。
「仲間なんかじゃありません。私なんて、どんなに頑張ったって何にもできないし、いてもいなくても同じなんです。こんな思いまでして働くのは、もういやです」
晴美は少し前までの自分を見ているような気がした。
前なら同調していたかもしれないが、いまは違う。
シホの前向きな気持ちを、どう引き出してあげればいいかを考えていた。
『歎異抄』が脳裏に浮かぶ。
いまがチャンスだ、と晴美は思った。
「私もついこの間まで、自分のことをそう思っていた。でも違うの。みんな、いなくてはならない仲間なの」
涙を流したまま、シホはつと顔を上げた。
「シホの頑張ったことで、ムダになる努力は一つもないわ。シホは、なくてはならない、かけがえのない人なのよ。そのシホのいいところを生かして、フォーユーに貢献してみようよ」
どうやら、顔に生気が戻ってきつつあるようだ。
「たとえば、シホは細かくて几帳面だし、耳の記憶力がいいっていうのかな、人の話をよく覚えているよね。だから、電話のメモとか議事録とか、すごく助かっているわ」
「ほんとですか」
「ほんとよ。正確だし、丁寧だし、臨場感もあるから、あとで読み返してもわかりやすいの。そうだ、今後はシホが会議の議事録を担当したらどうかな。シホの強みを、みんなのために使ってちょうだい」
「……私も貢献、できるんですね」
自分の仕事がみんなの幸せにつながる道筋を得て、シホの瞳に光が戻ってきた。
「人ってどうして働くんでしょうね」
「会議始めるよ」、晴美がオフィス全体に声をかけ、みな会議室へいそいそと向かう。
南原社長もジャケットを脱ぎ、白いボタンダウンのシャツを腕まくりした。
「いつも持ち回りでやっていた議事録担当、今日からシホに担当してもらおうと思うんだけど、どうでしょう」
晴美が口火を切ると、みな口々に大賛成。
南原が「頼むぜ」と声をかけ、シホが嬉しそうにうなずいてペンを取った。
前回のミーティングで、それぞれの強みを生かした仕事を割り当てられて以来、顔を合わせて報告をじっくり聞くのは、初めての機会になる。
「この2週間、俺が講師の商品を案内したところ、すでに十数社から問い合わせが来ている。一社ずつアポを取ってプレゼンに行き始めたが、反応は上々だ。次段階のプレゼンに進んだ会社もある。休眠していた顧客層が、目を覚ました感じだ」
明るい兆しに、メンバーたちも前のめりになる。
「来期からのリーダー研修、営業研修、新人育成プログラム、どれも人気があった。特にリーダー研修は、複数社の合同企画でやろうという話になっている。これをメイン企画に、メールの一斉案内、各種サイトでの告知、DMで攻勢をかけ、一気に勝負に出ようと思う」
会議室の空気が、ピリッと締まる。
「20年前にフォーユーを始めたとき、朝から晩までいろんな会社でコンセプトをしゃべり倒した。そのとき研修を導入してくれたお客さんたちのおかげで、うちは船出できた。うちが泥船のようになって次々と人が逃げ出したが、ここにいるみんなは残ってくれた。そして、船出を助けてくれた当時のお客さんたちも、また戻ってきてくれた……」
南原は、一呼吸置いて、見回した。
「何とか、今月の給料を出せそうってことだ。俺からは以上だ」
メンバーたちがどっと笑った。
「では、僕からは、つながり作戦について」。悠人が立ち上がる。
「あれから北陽銀行の方のアポイントが若干増え、現在、68名のインタビューを終えました。フリーワードのベタ打ち資料をご覧ください」
覇気のない回答結果を見たメンバーたちが、ため息交じりに感想を語り出す。
「それにしても、ネガティブな意見が多いですね」
「この人たち、仕事がつまらないのかもしれないね」
「仕事とプライベートは別、って感じがめちゃくちゃ出てますよね」
「こういうの見ると、何だか悲しくなるなあ」
そんな様子を見た南原は声を上げて笑った。「お前たち、いつのまにかフォーユースピリッツになっているんだな」
「仕事は、プライベートの反対語じゃない。自分を成長させる、最高に楽しい機会だよな。仕事で自分が成長できたら、人生全般に影響する。プライベートは仕事から逃げ込む場所じゃない。仕事で成長できれば、プライベートも輝く。仕事で、自分が生きていることが世の中に生かされる。俺はそう思っている」
メンバーたちは南原の力説に、資料をめくる手を止めて聞き入っていた。
ふと、誰かがつぶやいた。「人ってどうして働くんでしょうね」
生きることが素晴らしいと言えるには
会議のあと、南原は晴美を遅いランチに誘った。
ひと足早く春が訪れたような陽気に誘われて、オープンカフェで打ち合わせを兼ねて食べることになったのだ。
「今日はおとなしかったな」、南原がアメリカンサンドにかぶりついた。
「私より先に、みんなが発言しますからね」
「頼もしいな」
「はい、最高のメンバーです」
お互いが強みを生かして〈フォーユー〉の目的に向かおうとするようになってから、劇的に社内の人間関係がよくなったように思う。
このことは晴美にとって、日々のやる気の大きな原動力となっていた。
若手メンバーに対する信頼は、格段に強くなっている。
それにしても、さっきの調査結果はショックだった。
前向きな回答もあったが、冷めた層が思ったよりも多いことに気落ちしていた。
「働く、って何でしょうか」、また晴美が静かにつぶやいた。
南原はナプキンで口を拭うと、問い返した。
「晴美にとっては、働くって何だ?」
「私もついこの間まで、あの回答と同じだったんです。定時が待ち遠しかったし……」
南原が腕を組む。「重い問いだな。働かなきゃ生きていけない。でも、いくら働いても死ぬ。だとすれば、なぜ働いて生きる?」
晴美が、口を開いた。
「働くのは生きる手段ですが、生きることもまた手段です。生きることが素晴らしいと言えるには、何か素晴らしい目的があって、そこに向かって生きてこそじゃないでしょうか?」
「なら、その素晴らしい目的って何だ?」、南原が前のめりになる。
「それが書かれているのが、『歎異抄』なんです」
「そうなのか。……晴美、ちょっと変わったよな。前より、エネルギーを感じる」
「はい、いまは家でもどこでも、『歎異抄』を軸に、仕事のことを考えているんです。義務でも焦りでもなくて、単に考えたいから。まあ、会社がピンチっていうのもあるかもしれませんが」
南原は顔をくしゃっとさせて笑う。「まったく、お前らしいな」
思わず2人は、笑って顔を見合わせた。
(つづきはこちら)
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