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『歎異抄』を読みませんか?
広告代理店〈アド・エージェンシー〉の会議室では、フリーペーパー『マチ・ニュース』4月号の営業会議が行われていた。
富山の2月は、雪が降り積もる極寒の世界だ。
しかし室内は暖房がきいており、厚いガラス窓越しに見える外の景色は、異世界のように感じられる。
「さて、4月号の目標数字に260万足りません、と。どうする、足立の数字はあてにできないぞ」。加藤課長がみんなを見回した。
このところ足立は直行直帰ばかりで、たまに会社にいても会話を拒絶しているように見える。
今日の営業会議も直前になって、アポがある、と出かけてしまった。
新規の契約は相変わらず取れていない。
メンバーたちは口々に心配する。
「足立先輩、大丈夫でしょうか」
「まさか、辞めちゃわないですよね」
加藤課長は大きくため息をついた。
「足立、お客さんが数字に見えるって悩んでいたな。だが俺は正直、そこまでの気持ちにはならない。お客さんとゴルフに行くのも、お互いの話ができていいもんだし、お客さんが新規出店すると聞けば、一緒にワクワクするけどな。みんなはどうだ? つらいか?」
「大丈夫です」「問題ないです」、メンバーたちはそれぞれに答える。
俊介だけが無言のままだ。頭の中には、ある考えが浮かんでいた。
足立抜きに数字を達成できないチームとメンバー。
仕事の成果は、組織の内側である目標数字の達成、つまりニンジンだけに標準を合わせている現状――。
スランプに陥った足立が発している重要なメッセージを、真剣に受け取らなければならない。
いま根本から解決できなければ、立ち行かなくなるだろう。
気がつくと、思わずこう言っていた。
「あの……、みんなで『歎異抄』を読みませんか」
予想外の言葉に、全員がきょとんとしている。
「僕は、『マチ・ニュース』も仕事も大好きです。だからモチベーションも大丈夫です。でも、もうのんきなことは言っていられません!」、俊介は勢いよく立ち上がった。
「僕たちはこれまで、とにかく数字を追いかけてきた。どうすれば、毎月の目標数字を達成できるか、それだけに頭を絞ってきました。でも、今僕らは、そもそも、何のために働くのかに、目を向ける時だと思うんです」
みな不安そうに顔を見合わせる。
「『歎異抄』の本に、こう書いてあるんです」。そう言って、第1章を読み上げた。
「何のために働くのか。その答えが、ここに書かれているんです。最近、『歎異抄』の読書会に通い出して、手ごたえを感じ始めています。もし受け売りでよければ、社内勉強会をやらせてもらえませんか? きっとみんなの役に立つと思います」
「俺も社長にすすめられて、『歎異抄』は持っているぞ。忙しくて積んだままだけどな」。聞けば、加藤課長も『歎異抄』をすでに持っているという。
「『歎異抄』って何ですか?」と若手が訊く。
「おい、荒川、説明してくれ」
「はい。『歎異抄』は700年ほど前、親鸞聖人の弟子・唯円によって書かれたものといわれます。
三大古文として有名で、鴨長明の『方丈記』、『歎異抄』、吉田兼好の『徒然草』の順で、ほぼ60年間隔で成立しているんです。
中でも『歎異抄』の文体には、引き込まれるような魅力があり、全文を暗唱する愛読者があるほどです。
数ある仏教書の中で最も多くの人に読まれている1冊といっていいでしょう。
古文と聞いて、敬遠してしまう人も多いと思いますが、『歎異抄』には、いつの世も変わらない人間の心を見つめ、生きる喜びにあふれた悔いのない人生を送ってもらいたい、という願いが込められているんです」
一同があっけにとられて俊介を見た。
加藤課長は分厚い手帳をパラパラとめくる。
「毎週木曜、朝8時から9時半までなら、この会議室が使えるぞ。よし、勉強会をやってくれ。数字はもちろん大事だが、たしかにいまは、みんなの仕事の土台をつくるのが先決だろう。明後日の木曜から、すぐ始めようじゃないか」
俊介は奮い立った。そうだ、メンバーたちに『歎異抄』をプレゼントしよう。もちろん、足立の分も。
フリーディスカッション
それから3週間が経った。営業4課の『歎異抄』勉強会も3回目、「何のために生きるのか」に差し掛かっていた。
俊介の説明を聞き、メンバーたちは身につまされているようだった。
「なぜ生きる、か。私、目の前のことで必死だった」
「本当の幸せ、なんて考えたこともなかった」
おそるおそるこの勉強会を始めてみた俊介だったが、思いのほか評判がよかった。
自分では気づかなかった箇所について、意見を聞けるのも面白かった。
「今日は少しフリーディスカッションしましょう。どうですか、『歎異抄』の印象は」
いつも元気な20代女性が口火を切る。
「私、『徒然草』は読んだことあったんです。だけど、同じ古典でも『歎異抄』は難しそうでついて行けなかったというか……。でも、荒川さんの説明を聞いて、とっつきやすくなりました」
30代の女性も続く。
「言葉はひらがな交じりだけど、濃厚ですよね。心して読まないと、わかったつもりでも上滑りしてしまって、腹に落ちないというか。荒川さんの説明が加わると、濃縮液をうまく炭酸で割ってくれたみたいで、飲みやすいです。でも、原酒で味わえるようになると、さらに深いんでしょうね」
「あ、わかる! 本物ならではの気品が漂っている感じ」
「そういやウィーンって、芸術の都だよね」
「……まったく、お前らよく言うよ。途中までしか読んでいないのに、ずいぶん立派なコメントだなあ」。加藤課長が言うと、みんなどっと笑った。
おずおずと男性陣が打ち明ける。
「僕は、どんな人でも摂取不捨の幸せになれる、という『歎異抄』の考え方が刺さりました。生きる喜びにあふれる人生に憧れていたけれど、とうてい手が届かないって思っていたから……」
「ほんと、もっと早く読んでおけばよかったよ」
それぞれに、何かをつかみかけているようだ。
加藤課長もゆっくり、しかし響くように話し出した。
「俺も忙しいとつい棚上げしちまうんだが、仕事は手段なんだよな。『マチ・ニュース』を創るという手段を使うのは、何のためなのか。それを忘れちゃいけないんだ。それで思い出したんだが、社長が以前、社内報にこう書いていたよ」
そして「『マチ・ニュース』のミッションとは」という見出しがついた記事を読み上げた。
しかしそんな時代だからこそ、地域にしっかり密着する媒体が必要だろうと考え、『マチ・ニュース』を創刊しました。
『マチ・ニュース』が提供した情報や新たな切り口の提案が、この地域の方々の生活が潤うきっかけになったり、人生に素敵な変化が起きる起点となったりする――。それはクライアント様の夢の実現でもあり、ご商売を応援することにつながります。
常にフレッシュな出会いをご用意している地元密着型の媒体として、ここ富山で存在感を発揮していきましょう。
人生を変える1ページの集合体――それが『マチ・ニュース』の目指す姿です。
人生を変える1ページの集合体。その言葉に、メンバーの心が沸き立つ。
「そう、『マチ・ニュース』に掲載される広告は、クライアントの想いなんだ。それが読者に伝われば、生活や人生を変える可能性がある。間接的にでも、誰かの人生に関わるんだ。そういう気持ちを共有しながら、クライアントと一緒に走っていきたいよな」
いつもは数字の話しかしない加藤課長の熱い語りを、みんな目を輝かせて聞いていた。
「誰かの人生を変える仕事って……」
「何だか、『歎異抄』的ですね」
「そうだ! まさに幸せに関わる仕事だ!」
「うわ、すげえ!」
ずっと探していた答えが見つかったようで、俊介も嬉しそうだ。
「僕もそう思います。数字は組織の存続のために必要ですが、そもそも、自他ともに幸せになるためにあるんですから、幸せについてよく知ることが大事なんですよね」
『マチ・ニュース』の広告営業を通じて、幸せの意味を考え、クライアントと共に走るパートナー的存在となる。クライアントの想いを読者に伝えることで、富山の人たちへ生活の潤いや大切な出会いのきっかけを提供する。そんな世界に、メンバーたちは想いを馳せた。
「クライアントの見ている先をもっと見るんだ。そして一緒に走るんだ。その想いが読者に届くと……」
「誰かの生活を変えることになる……」
「そんな営業ができたらすごいかも」
メンバーの意識が、カチッと切り替わった。自分たちが日々やっている仕事の意味に気づいた瞬間だった。
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