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時間をつくれ!
「ねえ、1日でも休みとれないの?」
今朝、出がけに妻の麻衣から言われた言葉が、立山豊の頭の中に響いていた。
いじめに苦しんでいる瑠華に少しでも元気になってもらうために、パパとの時間をつくってほしいという、切なる願いからだった。
その緊急性は、豊も理解できている。だが、仕事のほうも、やるべきことは膨大にある。起業してから1日も休んでいない。店の定休日も、溜まった仕事の片付けに当てないと間に合わないからだ。
とはいえ、瑠華の問題をこれ以上放っておくわけにはいかない。
(何かヒントはないか……)
豊は観念して、勉強会のノートを開く。
『徒然草』の、法師になって説教で生活しようとした人の話が目に留まった。
法事で迎えの馬をよこしてもらっても落馬しては情けないので、乗馬を習う。
次に法事の後の酒席で芸のないのは興ざめと考え、歌謡も教わることにした。
乗馬と歌謡に磨きをかけるうち、説教を身につける時間がないまま年をとってしまったという話である。
確か、勉強会で、こう聞いた。
「愚かなのは、この男だけではありません。
大目標を立てても、『まだまだ時間はある』とのんびり構え、目先のことに心を奪われていては、何一つ成し遂げられないでしょう。
後悔先に立たずで、過ぎ去った歳月は取り返しがつきません。
しかも肉体は、下り坂を転がる車輪のように、急速に衰えていくのです。
では、どんな心がけが必要なのか、『徒然草』に学びましょう」
それは、一日、一時に縮めても同じである。
やるべきことが山ほどある中で、何が一番重要かを、的確に判断しなければならない。
重要なこと以外は投げ捨てて、少しでも価値の高いものから順に取り組むべきだ。
どちらも捨てられないと執着していては、一つも成就しないであろう。
「目的がハッキリすれば、何を優先すべきか、おのずと明らかになります。700年前の教訓ですが、慌ただしい現代にこそ、必要な心がけではないでしょうか」。その時の西田敦志の言葉がよみがえり、豊の胸に響いた。
自分の時間の無駄を省けないか、熟考すべき時だろう。
「捨てる」「人に任せる」
ちょうど手元に、店舗のレイアウトを考えるときに買った、大判の方眼ノートがあった。
覚悟を決めた豊は、これに時間の目盛りを入れて、毎日の時間を何に使っているのか、記録用に使うことにした。
1マスを5分に設定し、主に仕事をしている朝8時から夜11時まで、目盛りを書いていった。
その横に、自分の行動をリアルタイムで記入していく。
朝8時、店に到着。空気の入れ換え。自分のためにコーヒーを淹れる。パソコンを立ち上げてメールチェック……。
ノートは常に手元に置き、一つ一つ行動をとるごとに記入した。
すると、5分もかからない行動も多かった。
そこで、なるべく具体的に把握できるよう、1マスを5等分し、1分単位で書き込むようにした。
ポストに溜まったチラシを捨てようとしてうっかり読んでしまったり、調べ物の途中で別のサイトを見てしまったり、案外、流れの中で意識せずにしている行動は多い。
こういうところに無駄が潜んでいるのだろうが、無意識ゆえに後からは思い出せない。リアルタイムで記録する大切さをかみしめた。
必ず書くと決めれば、そのほうがかえって楽だった。
あれは記録する、これは記録しない、と分別しようとすれば、その都度いちいち判断しなくてはならないが、すぐ書くことを習慣化すれば、それこそ無意識にできるようになるのだ。
記録の手際も、だんだんよくなる。
自分さえわかればよいのだから、よくとる行動については、アルファベットで省略することにした。
コーヒーをドリップしている時間はD、仕込みの時間をS、休憩をQと記号化した。
(あれ、俺パソコンに向かう時間を全部Pにしていたけど、メールの返信とか、ホームページの更新とか、単なるネットサーフィンとか、内容も目的も違うよなあ)
こうして、行動の仕分け方も工夫できるようになった。
時間を記録するようになって10日が経った。
びっしり書き込まれたノートを改めて見る。(このなかに、捨ててもいい仕事はあるだろうか……)
豊は一つ一つの行動を丁寧にチェックしていった。
業者のアポイントが思ったより多かった。
たいして考えもせず、すべて受けていたからだ。
一見しただけでも、半分くらいはメールや電話で済みそうだった。
驚いたのは、開店時間内でもパソコンに向かっている時間が、思った以上に多かったことだ。
ちょこちょことホームページの不具合に気づいては直したり、店内掲示物を印刷したりしていた。
また、メールの着信音が鳴るたびに内容を確認し、その都度返信をしていることにも気づいた。
メール返信の時間をまとめるだけで、新たな時間を創出できそうだ。
そして何より、ネットサーフィンにかなりの時間を費やしていた。
これは意識することで大幅に削減できそうだった。
豊は忘れないように、気づいたことをノートに記入していった。
・できる工夫→業者から連絡が来たら、メールや電話でもいいかを必ず聞く。パソコンを開く時間帯を決める。メール返信の時間もまとめる。
もう一つ、「人に任せる」方法は採れないだろうか。
ほかの人間と言っても、あとは林拓哉しかいない。
ホールの接客と雑事全般をしてもらっているが、思い返してみれば、店にお客さんがいないときは手持ち無沙汰になる。
しかし、自分が抱えている仕事は自分にしかできないように思えて、任せられるものが浮かんでこない。
これは引き続きの宿題とすることにした。
ともあれ、記録をしたことで得た気づきは大きかった。
豊はさっそくその日から、「捨てる仕事」と「できる工夫」を実践していった。
効果は絶大だった。何日もやっていくうちに、どんどん行動がすっきりし、前よりも時間に余裕が生まれてきた。
次の定休日は休もう、と豊は決めた。
この定休日にどうしても休みたかった理由がある。
瑠華の小学校の開校記念日と重なっていたからだ。親子で休める貴重な機会だ。逃すわけにはいかない。
TDAに通わせて!
瑠華は朝から上機嫌だ。久しぶりの家族での外出に喜びを隠せない。
「ねえ、パパ。今日はほんとにお休みなの?」
「そうだよ。さ、お姫様のお好きなところへお連れしましょう」。豊がふざけて答えると、瑠華は満面の笑みを浮かべた。「私、パンケーキが食べたい!」
その様子を見て、豊は少しほっとした。さっそくパソコンで評判のお店を探そうとした。
「もう決まってるの、行きたいお店。射水市のマハロっていうところ」
「何で知ってるんだ? お前、小学生なのに」
「ダンス部によく教えに来てくれてた、大好きなお姉さんがバイトしてるの。パンケーキが美味しいよって言ってたから」
「そうか。ならそこに行ってみよう」
カーナビで検索すると、場所はすぐ見つかった。レンガ造りの年季の入った建物だ。『マハロ』と書かれた重厚な木製の扉を開ける。天井が高く奥行きのある空間だった。
「あれ? この絵、見たことある。うちにもあるよね?」
瑠華が指さした絵は、白木の額に入った青い絵だった。
さまざまな青を織り交ぜて描かれている。
『歎異抄』勉強会で出会った老画家、島田宗吉の画風に似ていた。
(何でここに、この絵が?)と豊が思った瞬間、
「いらっしゃいませ!」
はずむような声で迎えたのは、何と熊谷ララだった。
「瑠華ちゃん、どうしたの! 久しぶりだね! 最近見かけないから、どうしたのかと思ってたよ」。そして父親の顔を見たララは、目をまん丸くした。「え、立山さん!」
「……そっか、同じ名字だ! 親子だったんですね。お母さんも、はじめまして!」
豊と瑠華は、お互いに顔を見合わせる。
「え、パパ、ララちゃん知ってたの?」
「何だ瑠華、ララさんを知ってるのか?」
ララが水とおしぼりを持ってきて、手慣れた様子でテーブルに置いた。
「びっくりしました。どうしてここがわかったんですか?」
「うちの瑠華が、ララさんの話を覚えていたみたいでね」
個性的な瑠華のことを、ララも妹のようにかわいがっていた。
けれど、瑠華が同級生たちに煙たがられていることは、薄々感づいていた。
ダンス部に来なくなって気になっていたものの、連絡先も知らず、ふがいなく思っていたところだった。
「うちはコーヒー目当てのお客様が多いんですけど、実はパンケーキも大人気なんです。瑠華ちゃん、チョコレートソースとキャラメルソースを選べるよ。何なら、両方かけちゃう? サービスするよ!」
年下の女の子に対するララの態度は、『歎異抄』勉強会とは異なり、優しいお姉さんそのものだった。
瑠華はうっとりと憧れのララを見つめていた。
パンケーキは見た目こそ素朴だが、確かな味だった。コーヒーも見事なものだ。どっしりとした焼き物のカップとよくマッチしていた。
(この味……そうだ、保険の営業時代に1回来たことがある)香りと味に誘われて、昔の記憶がよみがえってきた。(しかしパンケーキが評判だなんて、知らなかった)
広い店内を見渡すと、席はおおかた埋まっていた。お昼どきは過ぎているというのにたいしたものだ、と豊はうなる。
窓際では、高齢の女性がくつろいだ様子で読書を楽しんでいる。一枚板を渡したカウンター席には、年輩の男性客が数人いた。奥でコーヒー談義に花を咲かせているのが、店長のようだ。
(お客さんが過ごしたいように過ごしてくれること――それがこの店の「目的」か)
目の前の光景は、まさにその通りだ。繁盛している理由がわかる気がした。
(俺の店の「目的」は何だろう。もっと突き詰めて考えてみないといけないな)
立山一家は大満足で席を立った。ララが、あわてて見送りに来る。「今日はありがとうございました。また来てくださいね」
「パンケーキ美味しかった、ふわふわしていて、何枚でもいけちゃいそうね」と麻衣。
「ご馳走するから、今度はうちのカフェにもおいで」と豊。
「ララちゃん、ありがとう!」、瑠華はまっすぐ見上げてお礼を言った。
「瑠華ちゃん、こちらこそありがとう。中学に行っても頑張ってね。あ、私が通っているダンス教室、中1から入れるんだよ。TDAっていうんだ。パパとママに相談してみたら」
いじめによってダンスをあきらめた瑠華に新たな挑戦の場があればと、ララは両親がいるいまがチャンスとばかり、早口で提案した。
富山ダンスアカデミー、通称TDAは、富山でダンスをしている子どもなら誰もが知っている名門スクールだった。
自宅へ戻る車中、瑠華がおねだりをした。「勉強するから、TDAに通わせて!」
「でもねえ、お金がかかるから。パパどうしましょう」
「う、うむ……」
いじめでダンスを中断された瑠華。瑠華を気遣ってすすめてくれたララ。TDAとやらに通わせたい気持ちは、もちろんある。
しかし、小学校のダンス部は無料だが、民間のスクールはお金がかかる。
コンテストに出るのにも、衣装代や出場費で何十万円もかかるのだと前に麻衣がこぼしていたことがある。
「パパのお仕事が軌道に乗ったら考えましょうか。中学2年生までお勉強を頑張ったら、ってことでどう?」
「えーーーー?」
小学校6年生にとって中学2年生なんて、遠いかなたのことだろう。心を傷めたまま、得意なダンスへの情熱を失ってしまっていいのだろうか。豊の持ち前の熱血魂がむくりと起き上がった。
「瑠華、中学生になったらTDAに通っていいぞ」
「ほんと? お金、大丈夫?」
「パパの仕事はばっちり大丈夫だ。麻衣も瑠華も安心しろ。その代わり、中学の勉強をしっかりやること。ダンスも勉強も手を抜かない、全力投球するのが条件だ」
「はい! 安心して、パパの熱血が遺伝してるから!」
瑠華の笑顔が2月の夕焼けに染まってオレンジ色に輝いていた。
(つづきはこちら)
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