仕事

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小説『ガラタンッ!』~人生をガラリと変える『歎異抄』(13)

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つながり作戦

もしかしたらこのまま倒産するのかもしれない――。

そんな思いを追い出すように、赤城晴美は頭を振った。

いままさに、オフィスのそこかしこに散乱する段ボールと格闘している真っ最中だ。

また爪が割れた。ストッキングも伝染している。晴美は周りに気づかれないよう、そっと肩でため息をついた。

北陽銀行の大幅な受注キャンセルによって倒産の危機に瀕した〈フォー・ユー〉は、経費削減のため、今までの好立地の物件から、広さも家賃も4分の1の、駅からだいぶ離れたオフィスへ引っ越すことになった。

なるべく経費を掛けないよう、荷造りも移動も、できる限り自分たちでやる。

おしゃべりに気を取られる女子に「ほら、手が止まっているわよ」と急かし、箱を抱えて右往左往する男子に置き場所を指図し、外部からの問い合わせに答え、大忙しだ。

かつて30数名いた従業員は、もう8人しか残っていなかった。

南原社長は事業縮小のため依願退職者を募り、たくさんのメンバーが我先にと転職していった。

特に30代の行動は早かった。

飲み会のたびに南原社長の横に陣取って愛想よくお酌をしていた営業マンは、いち早く転職先を見つけて辞めた。

競合の研修会社に履歴書を持っていった者もいた。

ボリュームゾーンの40代も、一人残らずごっそり辞めた。

子どもの教育費がかさむ責任ある年代であり、収入を途絶えさせるわけにはいかないのだろう。

しかし、それだけではないように晴美には思われた。

南原には、本当の意味での右腕はいなかったのかもしれない。こういうとき、一緒に立ち向かってくれる戦友のような人間が……。

あまりにも鮮やかな、みんなの変わり身の早さに、晴美は南原の孤独を感じずにはいられなかった。

(倒産なんてさせるものか! 私は南原社長の味方だわ)

その南原は出張で不在だった。

金策に駆け巡っているであろう南原に負担をかけないよう、晴美はしっかりと留守を預かるつもりでいた。

「ねえさん、お茶淹れますけど何がいいですか?」

いつのまにか、晴美が南原の次の年長者になってしまった。残っている若いメンバーたちは、お笑い界の影響なのか、晴美をねえさんと呼ぶ。

――社長! 何でもかんでもやってみましょうよ。思いつくことを全部やってみましょうよ。10個やってだめだったら、100個やってみましょうよ!

あのとき南原社長に言った言葉を思い出す。

もはや、指示待ちで不満だらけだった気持ちはどこかへ行ってしまった。

不謹慎だが、水を得た魚のようにはりきっている自分を最近ひしひしと感じる。

仕事や人生に対する考え方が、この短期間で明らかに変わっている。

「ありがとう、ほうじ茶がいい。ねえ、みんなちょっと休憩して集まってほしいの」

メンバーたちが大きな打ち合わせ机のまわりに腰かけた。

「私、考えていることがあるの」

「何ですか、ねえさん」

「北陽さんのことなの」

北陽銀行はかつての最大の顧客だった。

サンシャイン銀行に吸収合併されることになり、年度末までの研修がすべてキャンセルされた。

そのせいで倒産の危機にあえいでいるのだ。

「北陽さんに納品していたうちの研修は、20年のノウハウをつぎ込んだ、すばらしいものだったと思うの。でもサンシャイン銀行さんは、自分たちが長年使ってきた研修があるから、それで統一しようとしている。だけど、どちらの研修内容がいいか、検証していないんじゃないかしら」

「まあ、吸収する側ですもんね」。あきらめ顔でみんなうなずく。

「ということは、よ」。晴美が指を立てた。「検証さえしてもらえたら、うちにもチャンスが出てくるんじゃないかしら。内容はいいんだから」

しかし、みんな沈黙したままだ。

若手ばかりになってからというもの、ときどき味わう空気だった。自分だけが前のめりで、みんな羊の群れのようにおとなしい。

とはいえ、まったく無言なわけではない。根気強く促せば、おずおずと口を開く。

「こんな小さい会社のために、あのサンシャイン銀行がわざわざ検証なんてしますかね」

「もう、スケジュールも決まっているでしょうし……」

「サンシャインの研修会社だって必死じゃないですか」

あきらめムードが暗雲のように立ち込めている。

「そうかなあ、私も何度も考えた。でもね、可能性はゼロじゃないのよ。だったら、やってみるべきだと思わない? どうせ私たち、暇だもんね!」

明るく振る舞う晴美の言葉にも、周囲は静まり返ったままだ。

「よーしっ!」

そのとき突然、明るい声が響いた。

「ねえさんが本気なら、僕もやっちゃおうかな!」

悠人という、もうすぐ30歳の男性社員だった。

持ち前のノリの良さで、オフィスのムードメーカー的存在だ。

つられて、他のメンバーも硬い表情がやわらぐ。

「たしかに、ダメもとですもんね」

「ひょっとしたら、ひょっとするかも?」

思わず、晴美も勢いづいた。

「ね、やってみようよ! 受け身で待っていてもしょうがないって」

そんな晴美を見て、悠人が笑った。

「しかしねえさん、変わりましたよね。何があったんですか」

晴美は驚いて答えた。

「え、わかる? 私ね、『歎異抄』の勉強を始めたの。すごく刺激を受けているわ」

「そうなんだ。きっと面白いんでしょうね。最近、すごく前向きですもん。こんな状況だけど、ねえさんが残ってくれてよかった」

悠人はちょっとしんみりしたが、次の瞬間には、いつもの調子に戻った。

「で、どんな作戦があるんですか?」

みんなが晴美に注目する。

「名づけて、“つながり作戦”よ」、晴美は仁王立ちをしてみせた。

簡単に言えば、人海戦術だった。友だちの友だちをたどって、サンシャイン銀行に勤務する人を見つけ、従来の研修について忌憚のない意見をもらう、というものだ。

「な、何か地味ですね」

「オーソドックスというか原始的というか」

「個人情報とか、大丈夫ですかね」

ふう、と大げさなため息をつくメンバーもいた。

晴美は思わず憤慨しかけたが、「まあまあ、みんな反対しているわけじゃないんだし」と悠人がとりなすと、すんでのところで落ち着いた。

たしかに、彼らに非があるわけではない。自分だってついこの間までは、不満だらけの指示待ちOLだったのだ。

「ところで、社長のOKは出ているんですか」

「うん、一応ね」

「一応って?」

「今朝、電話で相談したのよ。そうしたら『アホか』って言われた。でも、『やりたいことをとことんやれ、最後まであきらめず、好きにやれ』だって」

「よっしゃ!」、南原社長を敬愛する悠人は嬉しそうだ。「なあ、みんな。やってみようぜ!」

社長の言葉を聞いて、ようやく、みんなの気持ちが上向き出したようだ。

「じゃあ、それぞれ友だちに連絡しましょう。連絡のついたところから、どんどんリストアップしていきましょう」

だが、引っ越しの作業に加えて、新しい作戦の準備である。

夜明けまでかかっても目途がつかなかった。ついに文句が出始める。

「あ~あ、疲れた。今日は観たいテレビがあったのにな」とシホが愚痴ると、「本当にこんなことやって意味あるのかな……」とナオがこぼす。

そんな若手に対するイライラを、晴美も隠し切れなくなっていた。

誰もが疲れていた。時計の針は夜中の12時を回っていた。

(つづきはこちら)

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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