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老画家・島田のプレゼント
正月休みが明け、新年初の『歎異抄』勉強会が開催された。
司会進行役の西田は赤いネクタイを締め、いつもよりも心もち華やかだ。
「みなさん、今年も一緒に、『歎異抄』を学んでいきましょう。よろしくお願いいたします」
すると、老画家が「ちょっと、いいでしょうか」と、やおら立ち上がった。
「こうしてわがままで見学に来させてもらっているお礼と言いますか、これも何かの縁かと思いましてねえ。みなさんにお渡ししたいものがあります」
一人ひとりに配られたのは、白木で額装されたポストカード大の水彩画だった。
「島田さん、もしかして全員に描いてきてくださったんですか」
その画家が、島田宗吉という名前であることを、みな初めて知ることになった。
これまで、ただの見学者だからと、片隅でおとなしくしていたのだ。
「すごい、これ、ぜんぶ青い!」
熊谷ララが言うように、島田の絵の色彩は、すべてブルー系統だった。
具象的なものではなく、色のグラデーションが描かれている。
「うわぁ、こんなの初めて見ました」。普段控えめな荒川俊介が、思わず歓喜の声を上げた。
「あんたは深い青がいいような気がして、暗めにしたさ」
「えっ。人それぞれ、色が違うんですか?」
「絵は、人に寄り添うからね。その絵があんたのとこ行きたいって言うから、そうしたよ」
誰もが自分のところへ来た絵に、じっと見入っていた。
今の自分の心象風景にふさわしい青が寄り添いに来たような、言葉にできない感覚だった。
「ありがとうございます、島田部長」。西田が深々と頭を下げた。
「えっ、部長?」、立山豊が驚くと、島田は手を軽く挙げて制した。
「さ、時間を食っちゃったから、始めてくださいよ、先生」
西田は、島田に会釈すると、会の進行に戻った。
何のために生きるのかというのは人それぞれ?
「みなさん、ここからが、いよいよ本番です。
生きる目的は何か、『歎異抄』から明らかにしていきましょう。
『生きる目的』と聞くと、すごく深い問題だと感じながらも、意外と、一人ひとり、みんな答えを持っているのでは?と感じる方もあるのではないでしょうか。
たとえば、実際には町で聞きにくいかもしれませんが、もし、『ちょっとすみませんが、あなた、何のために生きてますか?』とアンケートをとると、皆さん、どう答えるでしょうか?」
立山豊があごに手をやりながら、しばらく考えて発言した。
「そうですね……。皆、それなりに答えを持っているんじゃないでしょうか。
『医者になって、国境なき医師団に入り、海外に行って、命を救う』とか、『弁護士になって苦しんでいる人を助けます!』『プロ野球選手になるために素振りは欠かしません。夢は大谷翔平越えです』とか、でしょうか。
まあ、こんな大きな答えばかりではなくて、『自分の家を建てるために生きています』『自分の小物雑貨店を持つために生きているんです』『結婚資金を貯めるために生きています』『子供のため、孫のため』『ユーチューバーになるため』という人も多いんじゃないですかね」
「立山さん、ありがとうございます。ではこのことについて少し説明します」
西田は、立山が挙げた例を書き、ホワイトボードに「人それぞれ」と書いた。
「これらはもちろん、人それぞれで、お互い尊重すべきものです。
『他のものはダメだ、これでなければ』と言う人がいたら、偏っているな、と思うでしょう。
何のために生きるのかというのは人それぞれ、というのが、普通の人の答えだと思います。
しかし、よく考えてみますと、『弁護士になりたい』と言っている人も、『家が欲しい』と言っている人も、『ユーチューバーになりたい』と言っている人も、人それぞれのようでいて、実は、みんな同じものを目指しています。
これは、昔から言われていることです。
哲学者のプラトンも、パスカルも、アリストテレスもウィトゲンシュタインも、生きる意味は人それぞれじゃなくて、唯一、これなんですよと言われているのです。
さて、それは何でしょうか?
少し、考えてみてください」
(何だろう……)俊介は頭をひねった。
「それは『幸せ』です。
『幸福』になるために生きている、と言えるわけです。
生きる目的は人それぞれ、と思っている人も、実は、どれを選んでも結局、『幸せになりたい』という点で【共通】しているのです。
だから、目的は『幸福』という点で【共通】しています。
少しむずかしい話をすると、人それぞれのものは、【共通唯一】である幸せになるための『手段』ということになります」
そう言うと西田は、丁寧な字で「幸福」とホワイトボードに書き加えた。
「もっといえば、今、幸せな時には、『私って、何のために生きているんだろう』という問いは出てきません。
たとえば、長年の恋を実らせ、いよいよゴールイン!
結婚式当日、みんな祝福モードで、笑顔が絶えない花嫁の姿に、涙を流して喜んでいる。
司会が、『では、ここで、新婦から、今の気持ちを一言お願いします』と聞いたときに、『私って生きる意味あるんですかね。人って、何のために生きてるんでしょうね』なんて、言わないですよね?」
ハハハ、それは先生、ヘンよ、と口を開けて熊谷ララが笑った。
「今、幸せで、『この日のために生まれてきたんだ!生きてきたんだ!』と思っている人からは、『何のために生きているんだろう?』という言葉は絶対に出てこないのです。
また、学校で、嫌いな科目と好きな科目が、皆さん、あったと思います。
嫌いな科目は、『これって、何のために覚えなければいけないのかな』『勉強する意味あるのかな』って思ってしまいます。
でも、好きな科目は、『何のためにするのかな?』という理由は、必要ありません。楽しいからです。
『私って生きる意味あるのかな?』『これから何のために生きればいいのだろう?』という疑問は、何だか不安だな、むなしいな、足りないな、という人に出てくるのですから、幸せになってしまえば、こういう問いはなくなる、ということになります。
これを20世紀の代表的哲学者、ウィトゲンシュタインは、『生の問題の解決を、人は、その問いの消滅によって知る』と言いました」
(生の問題の解決を、人は、その問いの消滅によって知る、か)。豊が思わずうなった。
「しかし、何だか変です。
これで話が済むならば、生きる目的を問う人はいないはずです。
『自分がこれが幸せ、と思えるものを見つけて、それを貫いて、達成して、人生の意味が満たされる、幸せになる』。
これでいいのでは?と思われるかもしれません。
しかし、実は、この『幸せの方程式』には、致命的な、問題点があるのです。
一体、どこが、いけないのでしょうか?
それについては、次回、お話しします」
(うーん、けっこう深そうだな)と豊が眉間にしわを寄せる。
一方の晴美は(今度、勉強会用にもっと大きめの手帳を探しに行こう)と前向きな様子だ。
人生という名の車を走らせる燃料
「ところで、生きる目的がハッキリすれば、無駄な時間が明らかになります。
そうやってかたまりの時間をひねり出し、真になすべきことに使うわけです」
西田はホワイトボードの文字を指し示して言った。
「なすべきことをなすためには、まず時間の確保が不可欠です。
時間は人生という名の車を走らせる燃料なのです」
「はーい!」と元気よく手を挙げたのが、アイドル志望の高校生、熊谷ララだった。
「私の場合、何かなって考えてみたんです。それで、ゲームの時間をやめてみました。まだ3日しか経ってないけど。えへへ」
「すごいじゃないか、ララさん」、西田は目を細めた。
「時間の浪費を見つけて整理すれば、新たな時間を生み出すことができますね。
そこで日々の時間の整理について説明しましょう」
女子高生に負けじと、晴美のメモを取る手に力が入る。
「まず1つ目が、ララさんがやったように、その活動自体を“やめる”という方法です。
忙しいと嘆く人の多くが、実はやめても問題のないことに時間を費やしています。
会議、打ち合わせ、会合、パーティー……それは本当に参加すべきでしょうか。
実は人生にあまり重要でないものも多々あるのではないでしょうか。
プライベートの時間においても、ゲームやテレビ、何となく惰性で行く飲み会など、あまり重要ではない時間があるかもしれませんね」
「それから2つ目」、西田は指を2本立てた。
「“人に任せる”です。あなたに限らず、他の人でもやれることがあるはずです。
それをなるべく、大きなかたまりにしてください。
本当に重要なことをじっくり考えるには、細切れの時間ではできません……」
「私たちにとって、時間は貴重な資源です。この代替不可能な資源にどう向き合うか――これは、人生の目的を知り、果たす上で、大事な能力なのです」
豊は腕を組み、低い声でうなっていた。
(つづきはこちら)
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