仕事

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小説『ガラタンッ!』~人生をガラリと変える『歎異抄』(10)

(第1回はこちら)

(前回の内容はこちら)

時間がない!

林拓哉が野菜シチューをもっていくと、1階のテーブル席で歓声が上がった。

「わあ、彩りがきれい!」

「ここのシチュー、美味しいのよね」

カフェ「スマイル・ウェルカム」は開業以来、ぽつぽつとリピーターが増えてきていた。

立山豊はありがたいと思いながら、カウンターでコーヒーを淹れている。

「拓哉、2階席のオーダー、上がったよ」

さて、と。豊がかすかなため息をついたとき、レジに置いてある電話が鳴った。

「はい、お電話ありがとうございます。カフェ『スマイル・ウェルカム』でございます。ああ、どうもこんにちは、立山です。ええ、その件ですよね、ぜひお話を聞きたいと思っておりましたが……。えっ、いまからですか? えーと、はい、じゃあお待ちしてます」

豊はあわただしく電話を切った。

「誰か来るんですか?」、拓哉が声をかける。

「ほらあの、前に拓哉が電話受けてくれたホームページ制作の人だよ」

「外注するんですか」

「値段とクオリティ次第だな。まあ、話を聞いてから判断するけど」

拓哉は何か言いたげな顔で、おずおずと切り出す。

「今日は夕方にミニコミ誌の取材も来ますよ」

「わかってる」

「そういえば、メニューブックに誤字がありました」

「そうか、直さなきゃな」

「それから、そのホームページですけど、年末のままになってます。もう正月も過ぎましたし……」

「あああああ、もう、何だってこんなに忙しいんだ」

時間がない。なのにどんどん用事が溜まる。やりたいことが何もできない。

豊のイライラは最高潮に達しつつあった。

ドアが開いて来客を告げるベルが鳴った。

「いらっしゃいませ!」、豊が出て行くと、20代とみられる男性が立っていた。

新人の営業マンだろうか。しどろもどろで汗をかきながら話し始める。

「あの……、すみません、ただいま、お得な電話回線のご案内に回っております。数分で結構ですので、お時間を頂戴したいのですが……。社長さんはいらっしゃいますか」

豊の顔がみるみる紅潮していった。

「お時間、ありませんね。申し訳ないけど!」。けんもほろろに返すと、営業マンは一目散に退出していった。

あまりの対応に、拓哉が呆れ顔で豊を見る。

「……ちょっと俺、上で仕事してくるわ。ホームページ制作の人が来たら呼んでくれ」

豊は疲れたように2階のオフィスに消え、背中を丸めて椅子に座り込んだ。

(まずい、営業活動に行く時間が全然ない)

血の気が引く思いだった。

念願のカフェ開業に燃え、早朝から夜更けまで働いているつもりだった。

しかし実際には、雑事にばかり時間を取られているような気がする。

カフェ「スマイル・ウェルカム」が軌道に乗るまでの道筋を、何百もの手が邪魔しているかのようだ。

(何でこんなに時間がないんだ……)

豊はふと、この間の勉強会を思い出した。

バッグからノートを取り出し、ぱらぱらとめくる。ある1行が目に留まった。

「生きる目的がハッキリすれば、無駄な時間が明らかになる。

かたまりの時間をひねり出し、真になすべきことに使う」

「ああ、まずは生きる目的をハッキリさせるんだったな……。でもそんな余裕ないわ。こんなくそ忙しい状況で、できるわけがないっての」

ぶつくさ悪態をつく豊の脳裏に、西田の台詞がよみがえった。

――忙しいと嘆く人の多くが、実はやめても問題のないことに時間を費やしています。

――本当に重要なことをじっくり考えるには、細切れの時間ではできません……。

「全部大事なんだ。その、生きる目的を吟味する時間がないんだよ……」

豊はふうっと息を吐き出した。今日も帰りは夜半過ぎになりそうだった。

仕事と家庭

豊が疲れ果てて自宅に帰ると、すでに日付が変わっていた。

そっと音を立てずに瑠華の寝室を覗いてから、ダイニングで妻に声をかける。

「腹減った……」

「こんな時間まで食べなかったの?」

「店閉めたあと、パソコンに向かっていると忘れちゃうんだ」

「そう。こんな夜中じゃ胃にもたれるから、おうどんにするわ」

麻衣が運んできたうどんには、大きな梅と溶き卵が入っていた。

「こりゃ美味そうだ……いただきます」。豊は無心になってうどんをかき込んだ。

「瑠華は元気か」

「いやあねえ、一緒に住んでいるのに、もう何日も娘の顔を見ていないなんて」

「いまだけだ。しばらく朝早くて夜遅いからなあ。休みもないしなあ」

麻衣は不安そうにため息をつく。

「あなたが大きい保険会社に勤めていたから安心して結婚したけど、まさかこんなことになるなんてねえ」

「おい、何だよ。まだ倒産もしていないし、借金苦にもなっていないぞ」

おどけてみせる夫に、麻衣は困ったような顔で返した。

「瑠華、元気ないのよ」

「えっ」

みるみるうちに麻衣の目に涙が溜まった。

「瑠華、元気ないの。いじめられているみたいなのよ。ダンス部をやめさせられたわ」

食べているうどんが、逆流しそうになった。

「何だって? いつだよ、いじめって何だよ!」

豊は妻を問い詰めながら、いつだかの夕方の光景が脳裏をよぎった。

たしか、瑠華はこう言っていなかったか――パパは会社をやめさせられたの?やめさせられたんじゃないならいいよね、と。

(何てことだ! あのときちゃんと話をしていれば……)

思い返せば、たまに21時頃に帰宅したときも、瑠華の寝室は真っ暗だった。

てっきり眠っていたのかと思っていたが、そうじゃなかったのか。

(瑠華!)

瑠華の寝室に駆け出さんばかりの豊を、麻衣が制した。

「いまは寝ているわ。寝させてやって。私も先週気づいたのよ。私がつくったダンス用の巾着、ハサミでズタズタに着られていた。細切れになって、スクールバッグに入っていたの。だから私、バッグのなかを探したのよ。そうしたら、これが」

麻衣が差し出した水色のメモ帳に、ピンクのペンで短い言葉が書かれていた。

“ねっけつ瑠華うざい。ダンス部にイラネ”

怒りで豊の脳みそは沸騰寸前だった。

自分に似た性格の娘は、きっと部活でも情熱的なのだろう。

決してスマートに振る舞うタイプではない。

しかし、それをこんなふうに排除するとは。

豊は少女たちの冷たさにぞっとした。

「熱血の、何が悪いんだ」

「熱血だけじゃないのよ。地区予選の個人戦に何人か出られるんだけど、瑠華は個性的な踊りをするので、抜擢されるという噂があったの。でも、それでこれまでのエース的だった子が落選しちゃ困るってことになってね。まじめにルール通りやってきた一派にとっては、自由に踊る瑠華が評価されるのは許せないんでしょう」

「どうすればいいんだ、俺たちは。そのエースの子の親と話すか?」

「やめてよ! 絶対だめよ、そんなこと! 親の頭越しにねじ込んだって、よけい陰湿化するだけだわ」

豊はうなだれた。

「でも、私は絶対に、何があっても瑠華を支えるわ」。麻衣は静かな口調で続けた。

「この話、もっと早くにしたかったのよ。いま、あなたが忙しいのは理解しているつもり。でもね、朝早く鉄砲玉みたいに出て行ったきり、夜中にくたくたに疲れて帰ってきて……。お休みもないからなるべく寝かせてあげたいけど、もう少しでいいから、瑠華や私と話す時間もつくってほしい。家族にだって、時間は必要なのよ」

静まり返ったダイニングに沈黙が続いた。

時間がない、なさすぎる。豊は体がいくつあっても足りない気がした。

(つづく)

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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