「ぼっち」は嫌だけど……
最近「ぼっち」という言葉をよく聞きます。
ひとりぼっちは嫌だ、悲しい、孤独は避けたいと思っています。
ツイッターなどで「……私…ぼっち…」など、つぶやいています。
「ぼっち」は「ひとりぼっち」という意味で使われますが、少し掘り下げてみると、「一人」と「独り」は、違うようです。
今回は「一人」と「独り」のぼっちの違いから、本当に深刻な「ぼっち」について、お話ししたいと思います。
ぼっちの孤独~誰かと一緒にいないと不安
誰かと一緒にいないと不安になるのは、ぼっち(一人)と見られるのが嫌ということ。
他人から、ぼっち(一人)だと思われるのが嫌。
みんなから、あの人変わり者と思われたくない。
他人の目が気になって、誰かと一緒の行動をとらないと不安になる。
表面上は合わせないと、仲間外れにされてしまう。いじめられる。
だから、ライングループの中で発言しないと、また「既読」になっていないと次の日、学校で嫌な目に遭う。
不安だから夜中遅くまでラインを見る。寝不足になって、学校へ行って、授業中に寝てしまい、成績も悪くなる。そんなことを繰り返す。
こんなことがずっと続くのかと不安になる。体調を崩し、心も病んでしまう。
そんな人間関係に悩まれている方も、たくさんあるでしょう。
反面、ひとり(ぼっち)になれない人間関係は煩わしい
その反面、一緒にいる友達に合わせるのが大変苦しい、嫌だと思う。
嫌いな人に合わせるのは苦痛。
あいそ笑いをしなければならない。
その分、ストレスになって家庭で荒れたりもする。
女性同士の会話って疲れますよね。
話題も、人の悪口だったり、彼と彼女が別れたとか、くっついたとか、マスコミ心理ですよね。
人のうわさ話って、聞くの嫌じゃないですか。
本当はそんなことしたくないけど、しないと自分がいじめられてしまう。
話を合わせないと嫌われてしまう。
だから「ひとり(ぼっち)」になりたい。
トイレで食事をとったこと、ある?
会社で、昼のお弁当をトイレで食べてる人って案外多い。
「トイレで食事? そんなバカな」
と思う人もあるでしょうが、女性の10%は経験があるというデータがあります。
「ランチメイト症候群」とも言われます。
一人(ぼっち)で食事しているのを見られたくない。
一人ぼっちだと思われたくない。
自分はどう見られているかを気に病むことから起きること。
食後は、トイレでうたた寝をして終わり、なんていう記事もありました。
「ひとり(ぼっち)」と思われるのが嫌だから。
結局、私は「ひとり(ぼっち)」になりたいのか、「ひとり(ぼっち)」になりたくないのか。
人間関係に疲れた時は、心の栄養ドリンクも必要です。
好きな音楽を聴くとか、映画を見るとか、一人旅に出てみるとか、何か、気晴らしがあるといいですね。
「ぼっち」で心が折れそうな時は、こんな風に思ってみるのもいいのではないでしょうか。
『きっと今は、長いトンネルの中にいるようなものなんだ。必ず、このトンネルを抜けたらきっと明るい世界が待っている』
『朝の来ない、夜はない。今は夜だから朝が来る』
『苦しみが多い程、人には優しくできるって言われるから今はその勉強中なんだ』
「ひとり(ぼっち)」の時間が、自分を成長させてくれることもあります。
あせる必要はありません。
つらいのは「分かり合えない」独りぼっち
けれども、簡単には癒やされない「ひとり(ぼっち)」があります。
それは心の「独りぼっち」です。
その「独りぼっち」の孤独な心で苦しんでいたのが、ダイアナ元妃でした。
伯爵家に生まれたダイアナは、大きな家に一人でいることが多かった。
おとなしい性格だったダイアナがイギリスに行った時に、チャールズに出会いました。
チャールズ皇太子とのロイヤル結婚式は、世界中の憧れでした。
しかしダイアナは、分かりあえない心を抱えて、孤独な心で苦しんでいました。
子供が大怪我をして病院へ行ったときも、チャールズは公務だからと一度も病院には来ませんでした。
また、ダイアナが体調を崩して公務中に倒れたのですが、その時、チャールズは、
「倒れるならばプライベートの時にしてくれ」
と言ったそうです。
分かりあえない心に、いつも泣いて、5回も自殺未遂しています。
話しても、まったく気持ちを分かってもらえず、孤独に苦しんでいたのです。
カーペンターズの妹のカレン・カーペンターが、拒食症で短い命を落としたことも知られています。
カーペンターズの曲は今でも私たちの身近で流れています。美しすぎる歌声ともいわれたカレンは、実兄に恋焦がれて孤独な心で苦しんでいました。どれだけ人気、名声、才能、お金に恵まれていても、分かり合えない孤独はとてもつらいもの。その苦しみは誰にも理解してもらえません。
そして人間は、みんなその「独りぼっち」の孤独を抱えているのです。
どうすれば、分かりあえない孤独(ぼっち)から解放される?
ブッダはそのことを、
(どくしょうどくし どっこどくらい)
と教えられています。
意味は「私たちは、生まれてから死ぬまで、独りぼっちである」ということです。
心のうちは誰にも分かってもらえない。孤独な心で苦しんでいるのが私たちである、ということです。
家族や友達、周りに肉体の連れがあっても、心の連れがない。
一人じゃないけど、独りぼっちなのです。
だから人生というものを、さびしい「秋の夕暮れ」とも例えられています。
そんな孤独な心を抱えている私たちが救われるには、どうすればいいのでしょう。
人間関係でも、孤独な心が軽くなるのは、誰かに自分の思いを聞いてもらって、受けとめてもらえたときですよね。
私のすべてを底の底まで分かってもらえたら、私は心から救われることができます。
そして、その道を教えられているのが、ブッダの教えです。
私たちは皆、ひとり(ぼっち)だけれど、ひとり(ぼっち)じゃない。心から救われる道があります。
底知れない孤独から救われたいと思ったら、ぜひブッダの教えを学んでみてください。
はじめての方には、こちらがおすすめです。
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