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1:「なぜ生きる」のシンプルな答えを知る
2: 2種類の幸福の違いを知る
3:「本当の幸せになれない理由」を知る
4:「本当の幸せ」と「本当の幸せになれる道」はどこに教えられているかを知る
5: 正しい方向に進む
古代ギリシャの3大哲学者といえば、ソクラテス・プラトン・アリストテレスでしょう。
アテナイを舞台に活躍した、この3人の哲人によって、西洋哲学の基礎は築かれました。
彼らの遺した言葉を通して、幸せとは、人間にとって大切なことは何か、考えてみましょう。
ソクラテス(紀元前496-紀元前398)は、哲学者の代名詞的な存在です。
その主張は、「魂をできるだけすぐれたものとするように気をつかわなくてはならない。身体や金銭のことを気にしてはならない」(『国家』)というものでした。
ソクラテスは、そのためには問答によって絶えず己を吟味し、無知を知らねばならない、と考えたのです。
彼は1冊の著作も執筆しませんでした。
文章を書き残すのではなく、対話法によって、相手の思い込みや、根拠なき論理を気づかせようともくろんだのでした。
では、ソクラテスの対話にはどのような方法があったのでしょうか。
一つは、「イロニー」です。
ソクラテスは、相手が真実だと思い込んでいる本音を聞き出し、認めるところから始めます。
そのうえで、相手の依っている考えが、根拠の薄いものであることを証明するため、信念を揺るがすような事例や話を返し、実は、自分は何も知ってはいないのだ、ということをさとらせるのです。
もう一つは、対話の中で問いを重ねていくことで、相手に主張の矛盾や間違いを気づかせ、最初の主張とはまったく逆の見方を認めさせる、「産婆術」です。
いずれにしても、哲人ソクラテスと対話をすると、相手は自分の間違いに気づき、恥ずかしい思いをします。
ですが、その恥ずかしさを通じてなんとか真実に到達しなければ、と思うようになります。
対話法とは、対話の相手に真実を求める思いを起こさせ、教育する術なのです。
しかし、誰彼なく論争を仕掛けたため恨みを買い、彼は公開裁判で、不敬罪と若者を堕落させた罪で有罪となり、毒杯を自らあおって死んだのでした。
重要なポイントは、ソクラテスの出現によって、哲学の問いのあり方が、「世界は、何によって成り立っているか」から、「人間はなぜ生きるのか、いかに生きるべきか」という方向へ大きく舵が切られたことです。
古代ギリシャのデルフォイの神殿には、「汝自身を知れ」と掲げられていたそうです。
ソクラテスは、真実の自分に目を向けようとしました。
それが、彼にとっての「己を知ること」だったのです。
プラトン(紀元前427~紀元前347)は、ソクラテスの弟子でした。
2人が生きた古代ギリシャのアテナイは、ペルシャ戦争(前5世紀初頭)に勝利した後、政治、経済、文化の中心地として栄えていました。
ソクラテスが71歳で獄死した時、プラトンは29歳。
若きプラトンにとって、最も敬愛する師の刑死は、許し難いものでした。
彼は、在りし日のソクラテスを後世に伝え、堕落したアテナイ社会に報いようと、次々に著作を編み出していったのです。
『ソクラテスの弁明』『パイドン』『饗宴』『国家』など、プラトンの作品は、ソクラテスを主人公とする”対話篇”です。
イギリスの哲学者・ホワイトヘッドの、「西洋哲学の歴史は、要するにプラトン哲学に対する一連の脚注(解説書)に過ぎない」という言葉は、よく知られています。
哲学のあらゆる問題は、すでにプラトンによって論じ尽くされているといって過言ではありません。
中でも、最も広く読まれているのが、エロス(愛)をテーマとした『饗宴』です。
これは、プラトンの文学的才能と、哲学的な探究が一体となって生み出された、不朽の名作といわれます。
『饗宴』では、「万人共通の人生の目的は、永遠の幸福である」ことが論じられています。
ふと、こんなことを考えたことはないでしょうか。
「人間は、何を目的にして生きているんだろう……」
この問いに向き合ったのが、マケドニアに生まれたアリストテレス(紀元前384-紀元前322)です。
私たちが日夜、頭をひねっていることは「目的を果たすための手段だ」と、アリストテレスは解明しました。
アリストテレスは、プラトンに20年師事し、プラトン亡きあとは、故郷で若き日のアレキサンドロスの教育に従事しました。
論理学から自然学に至る広範な知識から、「万学の祖」と呼ばれます。
では、手段が向かう先の目的とは、何か。
アリストテレスは、人間の行いはすべて、「善」を目指しているのだと答えます。
しかし、ひと口に「善」といっても、それは様々です。
アリストテレスは、人間が生きる上で最高の「善」は「幸福」であると考えました。
そして、それこそが人間が生きる目的であると断じているのです。
「自足的」というのは、それだけで足りないものは何もないことだとアリストテレスは説明し、幸福にはそういう性質があると言っています。
彼は、幸福の種類を3つに分類しました。
1つ目は、主に飲食と性に重きを置いた、快楽中心主義です。
アリストテレスは、快楽をむさぼる享楽的な生活を、最も低俗で、動物の幸福、奴隷の幸福とさげすんでいます。
2つ目は、国政など、公の仕事に従事する、社会的な貢献に重きを置いた生き方です。
先の幸福よりは人間的な生活ですが、社会的な貢献によって得られる名誉は、それを与えてくれる他人にかかっており、本人に由来するものではないから、一喜一憂しなければならないと述べました。
そして、3つ目の、真実の幸福を求めることこそ、哲学者の生活だと説いたのです。
だが、人生の目的が成就した「永遠の幸福」とは、どんな世界なのか――。
3大哲学者以降、2400年を経過しても、西洋哲学は、その答えを知りえませんでした。
そんな西洋哲学が、今、熱い視線を送っているのが、鎌倉時代に書かれた日本の古典『歎異抄』です。
20世紀最大の哲学者ともいわれるマルティン・ハイデッガー(1889-1976)は、晩年の日記に、こう記しています。
もし10年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。遅かった。(中略)
日本の人達は何をしているのだろう。日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。
そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。21世紀文明の基礎が置かれる。
あと10年早く『歎異抄』を知っていたら、「ギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった」の言葉は印象的です。
古代ギリシャで三大哲学者が展開した思想を超えるものを、ハイデッガーは『歎異抄』に感じていたのかもしれません。
ハイデッガーが強い関心を示す『歎異抄』は、約700年前に書かれた書籍で、「日本で最も読まれた仏教書」と言われています。
ハイデッガーが、「世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。21世紀文明の基礎が置かれる」とまで絶賛する『歎異抄』には、一体、どんなことが教えられているのでしょうか。
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