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小説『ガラタンッ!』~人生をガラリと変える『歎異抄』(22)

(第1回はこちら)

(前回の内容はこちら)

噴火山上の舞踏会

ゴールデンウィークが明け、街にはさまざまな花が咲き誇っている。

オーシャン学習塾では、5月の『歎異抄』勉強会が行われていた。

西田敦志が参加者の前に立つ。

「前回まで、【一切が滅びる中に、滅びざる幸せ】で、諸行無常(しょぎょうむじょう)だから、信じているものも、自分の心も続かない。
 
したがって、相対の幸福はやがて色あせ、失われる宿命にある。

しかし私たちは苦しむために生まれてきたのでもなければ生きているのでもない。

幸せになるために生きている。

崩れない幸せを絶対の幸福といい、摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)ともいわれる。

ということについてお話ししました」

みないっせいにノートを開く。

「考えてみれば、私たちの身の回りにある幸せは、いつ捨てられるともしれないものばかり。

言葉を換えれば、どの幸せも、いつ崩れるか分からない不安定で、はかないものといえましょう」

カフェオーナーの立山豊は、「人生には思わぬ問題が噴出しますからね」と腕を組む。

西田がうなずき、言葉を継いだ。

「一生、汗とあぶらで築き上げた家屋が、災害で一瞬のうちに崩れ、悲嘆に暮れている人もあります。

昨日まで仲良く一家団欒していた家庭が、事故や事件に巻き込まれ『まさかこんなことになろうとは』と茫然自失しているのも、日々報道されていることです。

今日も、どこかで、つらい現実に直面している人々があるでしょう。

これらの幸福は、今日あって明日なき無常の幸福ですから、常に、壊れはしないかという、不安の影が付きまとって離れません。

ニュースを見ても、集中豪雨や竜巻、地震や噴火など、突然の災害が各地で起きています」

「でも、みんながみんな、災害に遭うわけじゃないでしょう?」、熊谷ララが頬を膨らませる。

「そうですね。ですが、これは、ある特定の場所だけの問題ではありません。

『人生は噴火山上で舞踏会をしているようなものだ』という言葉があります。

実際の山が噴火しなくても、一人一人に、必ず『死』という大噴火が起きるからです」

露と落ち 露と消えにし わが身かな

西田は真剣な眼差しで言った。

「私たちが日常、大切にしているものは、すべて『生』を土台としています。

家族も、会社も、お金も、財産も、皆、『命あっての物種』。生きていることが大前提の幸福ばかりです。

しかし、どう頑張っても150年も生きられない。

家族は苦境に立った時、支えてくれるありがたい存在ですが、いよいよ死ぬ時には誰一人、ついてはきてくれません。

好きな人とは、1、2年、離れ離れになるだけでも、寂しくてつらいのに、死ねば金輪際、顔も見られない、声も聞けない、メールのやりとりもできない、支えることも、支えてもらうこともできない永遠の別れです。

大切なもの一つ取られても、夜も眠れぬほど、悔しくてつらい思いがするのに、死ぬ時は、すべてを放置して丸裸で、一人この世を去っていかねばなりません。

その無念さは、いかばかりでしょう。

大切なすべてのものと引き離されて、得体の知れない未知の世界へ、独りぼっちで踏み出す孤独感は想像を絶します」

歴史好きの立山が大きくうなずいた。

「たしかに。日本の歴史上、最も多くの財を掌中に収めた人物は、豊臣秀吉だと思っています。

天下を取り太閤にまで上りつめ、大阪城や聚楽第を築き、栄耀栄華を極めた姿は輝かしいものですが、当の秀吉は満足した一生を終えてはいません。

辞世といえる歌は、

『露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢』

あれだけの大事業を成し遂げた秀吉でしたが、一切は夢の中で夢を見ていたような、はかないものでしかなかったと、寂しくこの世を去っています。

独りぼっちで丸裸、死に行く先はどうなるのかと、暗い後生におびえる小柄な老人の姿には、居並ぶ全国の武将を睥睨(へいげい)していた、かつての天下人の面影はありませんでした」

死を前にすると出てくる「無明の闇」とは?

西田の声が熱を帯びていく。

「どんな難事業を成し遂げても、臨終にすべて霧散するものは、『本当の幸せ』とは言われません。

秀吉でさえ、死を前にしては集めに集めた相対の幸福も『夢のまた夢』でした。

私たちはどうでしょう?

死ぬことほど確実なものはありませんが、『いつ死ぬか』ということほど不確実なものはありません。

早ければ今晩、いや、一息先さえ当てにならないのが『命』というものです。

この『死』の問題を前に、何か準備ができているのでしょうか?

どんな明かりがあるでしょうか?」

みな、自分の胸に問うように、前をじっと見つめる。

おもむろに西田は、ホワイトボードに板書を始めた。

「死を前にすると出てくる暗い心、これを【無明の闇】(むみょうのやみ)といいます。

無明とは、明かりが無いと書きますから、暗いということ。

闇は、門がまえに音と書きます。

中の様子は音でしか分からないほど暗いから、こういう字になっているそうです。

つまり無明の闇は、真っ暗闇の心なのです。

この辺りの地理に暗いといえば、この辺りに何があるか分からないという意味。

『暗い』には『分からない』という意味があります。

無明の闇は、暗い心ですが、何に暗いのか。

それは、『死んだらどうなるか』に暗いのです。

つまり死後が分からない心をいいます。

死んだあとを『後生(ごしょう)』ともいいますから、無明の闇を『後生暗い心』ともいわれます。

一歩死と踏み出すと、真っ暗な心が出てくる。

この無明の闇が全人類を覆っており、無明の闇が晴れない限り、本当の幸せにはなれないといわれます」

立山豊が手を挙げる。「もう少し詳しく、教えていただけないでしょうか」

「では、噛み砕いて考えましょうか……」

(つづきはこちら)

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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