仕事

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小説『ガラタンッ!』~人生をガラリと変える『歎異抄』(21)

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(前回の内容はこちら)

ムダになる努力は一つもない

引っ越して狭くなった〈フォーユー〉のオフィスには、事務スペースと会議室しかない。

ひとつの会議室を応接室として使ったり、社内打ち合わせに使ったりしていた。

その会議室で、赤城晴美は泣きじゃくる後輩の話を聞いていた。

20代社員のシホだ。

「どうしたの? 何があったの?」

「ねえさん、どうしましょう……私、五木あかね先生を怒らせてしまったんです」

五木あかねは長年、〈フォーユー〉のエースとして活躍してきた契約講師だった。

話の流れで、南原社長も研修講師をやることになったと伝えたところ、自分の出番が減ることを危惧した五木が、激しく会社の体制変更を叱責したというのだ。

「そんな……シホを叱ることないのにね」

「うっかり私がしゃべっちゃったから悪いんです。五木先生、きっと会社に怒鳴り込んでくると思いますよ。すごい剣幕でしたから」

会社に来てくれたほうが、かえって好都合だと晴美は思った。

五木に限らず、ベテラン講師たちには、今回の決定を南原から直接告げるべきだ。

それが礼儀というものだ。

「もしも五木先生がいらしたら、ちゃんと社長から説明してもらうから。大丈夫、五木先生も私たちと同じ志を持つ、かけがえのない仲間なのよ」

そうなぐさめると、シホの嗚咽が激しくなった。

「仲間なんかじゃありません。私なんて、どんなに頑張ったって何にもできないし、いてもいなくても同じなんです。こんな思いまでして働くのは、もういやです」

晴美は少し前までの自分を見ているような気がした。

前なら同調していたかもしれないが、いまは違う。

シホの前向きな気持ちを、どう引き出してあげればいいかを考えていた。

『歎異抄』が脳裏に浮かぶ。

いまがチャンスだ、と晴美は思った。

「私もついこの間まで、自分のことをそう思っていた。でも違うの。みんな、いなくてはならない仲間なの」

涙を流したまま、シホはつと顔を上げた。

「シホの頑張ったことで、ムダになる努力は一つもないわ。シホは、なくてはならない、かけがえのない人なのよ。そのシホのいいところを生かして、フォーユーに貢献してみようよ」

どうやら、顔に生気が戻ってきつつあるようだ。

「たとえば、シホは細かくて几帳面だし、耳の記憶力がいいっていうのかな、人の話をよく覚えているよね。だから、電話のメモとか議事録とか、すごく助かっているわ」

「ほんとですか」

「ほんとよ。正確だし、丁寧だし、臨場感もあるから、あとで読み返してもわかりやすいの。そうだ、今後はシホが会議の議事録を担当したらどうかな。シホの強みを、みんなのために使ってちょうだい」

「……私も貢献、できるんですね」

自分の仕事がみんなの幸せにつながる道筋を得て、シホの瞳に光が戻ってきた。

「人ってどうして働くんでしょうね」

「会議始めるよ」、晴美がオフィス全体に声をかけ、みな会議室へいそいそと向かう。

南原社長もジャケットを脱ぎ、白いボタンダウンのシャツを腕まくりした。

「いつも持ち回りでやっていた議事録担当、今日からシホに担当してもらおうと思うんだけど、どうでしょう」

晴美が口火を切ると、みな口々に大賛成。

南原が「頼むぜ」と声をかけ、シホが嬉しそうにうなずいてペンを取った。

前回のミーティングで、それぞれの強みを生かした仕事を割り当てられて以来、顔を合わせて報告をじっくり聞くのは、初めての機会になる。

「この2週間、俺が講師の商品を案内したところ、すでに十数社から問い合わせが来ている。一社ずつアポを取ってプレゼンに行き始めたが、反応は上々だ。次段階のプレゼンに進んだ会社もある。休眠していた顧客層が、目を覚ました感じだ」

明るい兆しに、メンバーたちも前のめりになる。

「来期からのリーダー研修、営業研修、新人育成プログラム、どれも人気があった。特にリーダー研修は、複数社の合同企画でやろうという話になっている。これをメイン企画に、メールの一斉案内、各種サイトでの告知、DMで攻勢をかけ、一気に勝負に出ようと思う」

会議室の空気が、ピリッと締まる。

「20年前にフォーユーを始めたとき、朝から晩までいろんな会社でコンセプトをしゃべり倒した。そのとき研修を導入してくれたお客さんたちのおかげで、うちは船出できた。うちが泥船のようになって次々と人が逃げ出したが、ここにいるみんなは残ってくれた。そして、船出を助けてくれた当時のお客さんたちも、また戻ってきてくれた……」

南原は、一呼吸置いて、見回した。

「何とか、今月の給料を出せそうってことだ。俺からは以上だ」

メンバーたちがどっと笑った。

「では、僕からは、つながり作戦について」。悠人が立ち上がる。

「あれから北陽銀行の方のアポイントが若干増え、現在、68名のインタビューを終えました。フリーワードのベタ打ち資料をご覧ください」

――仕事にやりがいを持つようになると、プライベートの幸せが遠のきそうで心配です。
――業務上必要な能力アップの研修だけでいいと思います。モチベーションや自己啓発は興味ありません。
――休行日ぐらい休みたいです。
――1人1人の人生のビジョンを、どうして銀行で共有しなければならないのか。
――意識と潜在意識の話が面白かった。
――内容が昭和っぽい。
――正直、中堅層は自分のやり方で実績をあげてきたので、意識向上の研修は意味がない。新人社員研修にはいいだろうが。
――もう飽きた。
――つまらない。わくわく感なんてない。

覇気のない回答結果を見たメンバーたちが、ため息交じりに感想を語り出す。

「それにしても、ネガティブな意見が多いですね」

「この人たち、仕事がつまらないのかもしれないね」

「仕事とプライベートは別、って感じがめちゃくちゃ出てますよね」

「こういうの見ると、何だか悲しくなるなあ」

そんな様子を見た南原は声を上げて笑った。「お前たち、いつのまにかフォーユースピリッツになっているんだな」

「仕事は、プライベートの反対語じゃない。自分を成長させる、最高に楽しい機会だよな。仕事で自分が成長できたら、人生全般に影響する。プライベートは仕事から逃げ込む場所じゃない。仕事で成長できれば、プライベートも輝く。仕事で、自分が生きていることが世の中に生かされる。俺はそう思っている」

メンバーたちは南原の力説に、資料をめくる手を止めて聞き入っていた。

ふと、誰かがつぶやいた。「人ってどうして働くんでしょうね」

生きることが素晴らしいと言えるには

会議のあと、南原は晴美を遅いランチに誘った。

ひと足早く春が訪れたような陽気に誘われて、オープンカフェで打ち合わせを兼ねて食べることになったのだ。

「今日はおとなしかったな」、南原がアメリカンサンドにかぶりついた。

「私より先に、みんなが発言しますからね」

「頼もしいな」

「はい、最高のメンバーです」

お互いが強みを生かして〈フォーユー〉の目的に向かおうとするようになってから、劇的に社内の人間関係がよくなったように思う。

このことは晴美にとって、日々のやる気の大きな原動力となっていた。

若手メンバーに対する信頼は、格段に強くなっている。

それにしても、さっきの調査結果はショックだった。

前向きな回答もあったが、冷めた層が思ったよりも多いことに気落ちしていた。

「働く、って何でしょうか」、また晴美が静かにつぶやいた。

南原はナプキンで口を拭うと、問い返した。

「晴美にとっては、働くって何だ?」

「私もついこの間まで、あの回答と同じだったんです。定時が待ち遠しかったし……」

南原が腕を組む。「重い問いだな。働かなきゃ生きていけない。でも、いくら働いても死ぬ。だとすれば、なぜ働いて生きる?」

晴美が、口を開いた。

「働くのは生きる手段ですが、生きることもまた手段です。生きることが素晴らしいと言えるには、何か素晴らしい目的があって、そこに向かって生きてこそじゃないでしょうか?」

「なら、その素晴らしい目的って何だ?」、南原が前のめりになる。

「それが書かれているのが、『歎異抄』なんです」

「そうなのか。……晴美、ちょっと変わったよな。前より、エネルギーを感じる」

「はい、いまは家でもどこでも、『歎異抄』を軸に、仕事のことを考えているんです。義務でも焦りでもなくて、単に考えたいから。まあ、会社がピンチっていうのもあるかもしれませんが」

南原は顔をくしゃっとさせて笑う。「まったく、お前らしいな」

思わず2人は、笑って顔を見合わせた。

(つづきはこちら)

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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