コラム

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いつも忙しい、時間が足りない!という学生の皆さんへ~今日よりも明日の方が自由になれる、という幻想

いつも忙しい!

こんにちは、ライターの大藤秀樹です。

今年も残すところあとわずかですね。

1年間を振り返ってみて、長かったでしょうか?短かったでしょうか?

師走が過ぎれば1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、アッという間に新年度です。

「忙しい、忙しい」で飛ぶように過ぎ去る日々、「大学は人生の夏休み」という言葉も、今は昔。

単位の判定も厳しくなり、授業に出て、レポート書いて、バイトにサークル・恋愛・飲み会・資格取得に期末試験、海外にも行きたいし…。

「体がいくつあっても足りないよ!」

「試験期間は、いつも徹夜してます」

「レポートの〆切に追われてヒーヒー言ってる」

「やりたいことが多過ぎる」

「いつもせわしなくて、心が落ち着かない」

「サークルで役職に就いたし後輩の面倒も見ないと…」

「時間が足りない!1日30時間は欲しい!!」

学生の声を聞いていると、皆大忙し…。ご苦労様です。

忙しい!は加速する

いつになったら、この忙しい日々から解放されるのでしょうか?

明日?来週?それとも来月?あるいは来年?

「今日は忙しいから、レポートは明日頑張ろう」

「今週よりも来週の方が、自由な時間をとれるはず」

こんなふうに思うこと、ありませんか?

残念ながら多くの場合それは、都合の良い幻想・妄想です。

面倒事をキレイさっぱり片付けてくれる「明日の私」は存在しません。

だから、「明日の自分に任せる」こともできません。

一晩寝て起きたら、そこにはやっぱり「今日の私」がいるだけです。

「昨日の私」が残したレポートを書くのは、「今日の私」です。

忙しい毎日を過ごすうちに学年が上がり、就活・実験・研究・卒論と忙しさは増すばかり。

必死の思いで内定を取って社会に出ると、ますます忙しくなります。

学生時代は大学に学費を払っているのでお客様の待遇ですが、社会に出れば給料をもらう側になるからでしょう。出世すれば責任が重くなり、忙しさにも拍車がかかります。

忙し過ぎるコミュニティを「ブラック○○」と言われますが、ブラック企業にブラックバイト・ブラック研究室もあればブラックサークルもあり、世のコミュニティは黒を基調としているのではないかと思ってしまうほどです。

忙しい日々は何かに追い立てられるように過ぎ去り、それは年を取るほど加速していくと感じる人が多いようです。

小学生の頃は10分の休憩でもグランドに飛び出して、思い切りサッカーやバスケをしていたのに、大学生になると缶コーヒーを飲んで終わりです。ちょっと離れた教室への移動だと、その暇すら無いかもしれません。

幼稚園や小学生の頃は1日、また1日と過ぎていきますが、大学生になると

「あ、またこの教授の授業か。もう1週間経ったんだ。早いなー」

と1週間単位で過ぎていきます。どうでしょう、思い当たる節はありませんか?

これが社会に出れば、給料日に「もう1ヵ月経ったのか」となります。

19世紀、フランスの哲学者ジャネは、「時間の心理的長さは、年齢に反比例する」という仮説を立てています。

20歳の人は、10歳の頃に比べると2倍の速さで時が流れているように感じる、ということです。

「でも、それが本当なら80歳になると1歳の頃の80倍?

 1歳の頃は覚えてないにしても、8歳の頃の10倍の速さに?いくら何でも…」

と思うかもしれません。

しかし、貯金する時、「利率が良いから」という理由で10年満期のコースを選び、10年間経ったら「もう10年経ったの?早いね~」と言っていた祖母のことを思うと、あながち間違いではないかもしれません。

80歳まで生きた人の人生の折り返し地点は、客観的に見れば40歳です。

しかしジャネの仮説通りに計算すると、主観的には約10歳が折り返し地点だったことになります。

「えっ!?もう、とっくの昔に過ぎてるんだけど…」

という人が多いのではないでしょうか。

物心つくまでを計算から除いても、20歳くらいが折り返し地点です。

20歳までが「振り返ってみればアッという間だったな」という人は、その「アッという間」をもう1度繰り返せば、20歳から80歳までが過ぎ去るのです。

「忙殺」という言葉の通り、「忙しい、忙しい」と言っている間に、ふと気づけば一生終わってしまうのかもしれません。

かく言う私も、以前は、あまりに膨大な仕事の山を目の前にして、「さて、何から手を付けたら良いものやら…」と途方に暮れているうちに日も暮れてしまうことがあったので、忙しい人の気持ちはよく分かります。

「忙」という字は「りっしんべん」に「亡くす」で、「落ち着いた心が無くなる」ということです。

あまりに忙しい毎日を過ごすうちに、最初は抱いていた

「何のためにこんなに忙しくしてるんだろう」
「このままで良いのかな?」

という問題意識すら、かき消えていきます。

「足りない、足りない」と言っている時間とは、何か?

小学生の頃から、毎年夏休みは遊びほうけた末に、溜め込んだ宿題を最後の数日で徹夜して突貫、それでも間に合わず家族に泣きついてやっとやっと終わらせる。そんな、「こんなはずじゃなかったのに…」という負けパターンをずっと繰り返して来た人は、もう手遅れかも…、なんてことはありません。

自己啓発・タイムマネジメント・手帳活用法などの本を読んで、時間の効率的な使い方を学び、地道に頑張れば、適度な余暇を得て、心の余裕を手にすることができます。

しかし、それだけではこの問題の根本的な解決にはなりません。

今日は、もっと大きな話をしましょう。

この問題解決の鍵は、まず、時間とは何かを知ることにあります。

私たちの「時間」とは、私たちの「命」です。

もちろん命には限りがあり、いつかは終わってしまいます。

私たちは、有限性を知ると、ものを大事にするようになります。

お金を大事にするのは、使えば無くなってしまうからです。

「湯水の如く使う」という水でも砂漠では大事にするし、空気も宇宙船では決して無駄遣いしません。

有限性を知れば、

1、使い道を考える
2、優先順位をつける
3、まず大事な使い道の分を確保する
4、余ったら、他のことにも使う

ということをします。

時間(命)の場合、どんどん過ぎ去っていくので有限性を知っても使わないわけにはいかず、増やすこともできません。
だから、何に使うかが特に重要になってきます。

忙しいのは悪いことか?

「忙しい」と聞くと、やらねばならないことが山積み、ブラックな企業・バイト・サークル・研究室などを連想して、ネガティブなイメージが先行しがちです。

しかし、

「じゃあやることが何も無くて独りゴロゴロしてるのが良いの?」

と聞かれれば、たまには良いかもしれませんが、続けば退屈しそうです。

問題は、何に忙しくするかです。

大切なのは、忙しく時間を使うに値する対象を知っているか、どうかです。

それを知らねば、せっかくたっぷりの時間をもらっても、

「小人閑居して不善をなす」(つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしない)

で、残念な結果に終わってしまいます。

先ほどの夏休みの例を思い出してみて下さい。せっかくの長期休暇も、後悔に終わってしまいます。

時間(命)よりも大切なもの

人生は取引の連続と言えます。

時給1000円のバイトは、1時間の命と1000円の取引です。何か購入するのは、お金と物やサービスの取引です。

取引をするか、しないかの判断基準は、損得です。

誰でも、得をしたい、損をして後悔したくないと思っています。

だから、時給5000円の安全なバイトがあれば多くの学生は飛びつくし、何の変哲も無いアンパンが1000円で売られていても買う人は稀でしょう。

私たちは一生と引き換えに、様々なものと、それを手に入れた時のささやかな喜び・一瞬の満足というオマケを手に入れますが、それで本当に満足と言えるでしょうか?

それが私の命より重いと言えるでしょうか?

あまりに命を安売りし過ぎではないでしょうか?

1、時間=命。最も重要な資源
2、その時間(命)と引き換えにしても得だと言えるものに、時間を使う

この2つが分かれば、何に忙しくすれば良いのか、何を削って余暇にあてれば良いのか、分かります。

無駄な忙しさは無くなり、価値ある忙しさだけが残ります。

空虚な焦燥感ばかりの疲労は、充実感と爽快感を伴った疲れに転じます。

では、「時間(命)と引き換えにしても得だと言えるもの」とは何か?

もっと詳しく学んでみたい方のために無料動画コンテンツ(ラインで配信しています)も用意しているので、是非そちらもご覧下さい。

1本あたり平均15分間くらいの動画ですが、大学の90分や105分間の授業よりもずっと大切な内容を学べることをお約束します。

この記事を書いた人

Webライター:大藤 秀樹

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