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後悔しない生き方をしたい、と思っている人は多いでしょう。
「後悔先に立たず」とは後悔しない生き方を教えた有名なことわざです。ところが、人は誰しも後悔しない生き方をしたいと思っているのに、実際には後悔の言葉が絶えないようです。
どうすれば本当に後悔しない生き方ができるのでしょうか?真に後悔しない生き方をするためのポイントを、ある30代の女性・藤沢絵美さん(仮名)の体験談から学びたいと思います。
「後悔しない生き方なんて、できない……」。宮城県の30代女性・藤沢絵美さん(仮名)は、昨年秋、10年以上交際を続けていた彼を大病で亡くし、そう思っていました。
「一緒にいることが当たり前の存在、空気のような存在だった彼を亡くした衝撃は大きいものでした」と語り、絶望や悲しみなどさまざまな感情が襲ってきたと言います。
大切な人を失ったときには、誰もが打ちひしがれ、例えようもない喪失感を味わうものです。
亡くした人との関係が深く、気持ちが通じ合っていたほど亡くしたつらさは増します。
自分の半分がもぎ取られるように大きな心の支えを失い、後悔の念から、深く自分を責めたそうです。
「生きているうちにもっと優しくしてあげればよかった」「愛情表現をすればよかった」「もっと看病してあげればよかった」といった後悔です。
予期していなかった死に、「こうしていれば」「ああしていれば」と後悔の念が吹き出してきて、「毎日、『こんなに苦しいのに、なぜ生きねばならないのだろう』とばかり考えていました」といいます。
そんなある日、インターネット上で【ブッダに学ぶ後悔しない生き方】という講座案内が目に留まりました。交際相手が亡くなって、ちょうど100日目。何となく、会場に足が向かっていました。
後悔しない生き方を、どうすればできるようになるのか。その答えを求めて藤沢さんが参加したその日の講座は、「四苦八苦」についてでした。
お釈迦さまは、いつ、どこに住まいしようとも、人間である限り避けられぬ苦しみを、「四苦八苦」と教えられています。釈迦が仏教を説かれた2600年前のインドでも、科学や医学が急進し、便利で豊かになった今日の日本でも、変わらぬ苦しみがあるのです。その中でも、生老病死の4つを四苦、さらに詳しく説かれたものを八苦と言われます。
藤沢さんは、中でも、愛する人や物と別れる苦しみである「愛別離苦」の解説に、心を揺さぶられました。
生き別れもあれば、死に別れもあります。
〈主人を亡くし、もうすぐ100日です。ケンカばかりでしたが、ずっと2人でいたので寂しくてなりません〉
〈震災で妻を亡くし、車も家も全て流されてしまいました〉
〈娘を4年前に亡くして以来、毎日悲しみに暮れています〉
愛する気持ちが強いほど、”もう二度と会えない、話もできない”という永遠の別れの苦しみは、深くなるのです。
このように、古今東西変わらぬ人間の苦しみを明らかにされたうえで、ブッダは、それでも人間に生まれたことを心から喜べる幸せの身になり、後悔しない生き方ができると示していると知り、続けて聞かずにいられなくなりました。
さらに、大事な人の死を無駄にしたくないからこそ、大切な人を失ったことを縁に、自分の人生を見つめることが後悔しない生き方には肝心だと、以下のような話を聞いたのです。
彼女は狂わんばかりに愛児の亡骸を抱き締め、この子を生き返らせる人はないかと村中を尋ね回った。
ある人が、「舎衛城にましますお釈迦さまに聞かれるがよい」と教える。
早速、お釈迦さまを訪ね、泣きながら子供の生き返る法を求めた。お釈迦さまは、優しくこう言われた。
「あなたの気持ちはよく分かる。いとしい子を生き返らせたいのなら、私の言うとおりにしなさい。これから町へ行って、今まで死人の出たことのない家から、ケシの実を一つかみもらってくるのです。すぐにも子供を生き返らせてあげよう」
それを聞くなりキサーゴータミーは、町に向かって一心に走った。
どの家を訪ねても、「昨年、父が死んだ」「夫が今年、亡くなった」「先日、子供に死別した」という家ばかり。
ケシの実はどの家でも持ってはいたが、死人を出さない家はどこにもなかった。
やがて、日も暮れ夕闇が町を包むころ、もはや歩く力も尽き果てた彼女は、トボトボとお釈迦さまの元へと戻っていた。
「ゴータミーよ、ケシの実は得られたか」
「世尊、死人のない家は、どこにもありませんでした。私の子供も死んだことがようやく知らされました」
「そうだよキサーゴータミー。人は皆死ぬのだ。明らかなことだが、分からない愚か者なのだよ」
「本当に馬鹿でした。こうまでしてくださらないと、分からない私でございました。こんな愚かな私でも、救われる道を聞かせてください」
キサーゴータミーは、わが子の無常を縁に「自分にも死ぬということがある」ことを知らされて、仏法を求めるようになったのです。
「悲しみを忘れることは、彼を忘れるようで、なかなか前へ進めませんでした。でも彼は私にこの世の無常を、身をもって教えてくれたのだと気づかされたんです。おかげで、これまでの悲しみの涙が、感謝の涙となり、後悔しない生き方を知ることができました」と藤沢さんは語り、彼への感謝の心を胸に、光に向かって一歩を踏み出しました。
後悔しない生き方を送るには、以下の3つのポイントが大切と言われます。
「なんだか照れくさい」「面と向かっては恥ずかしい」と思い、親しい人ほど感謝の気持ちを伝えそびれてしまいます。
しかし、藤沢さんの例からも分かるように、私たちの命は無限ではありません。
当たり前にあるものだと思っていることも、決して当たり前などではない。
本当に伝えたいときに、その相手がいる保証などどこにもありません。
時間が経つほど言い出しづらくなるものです。
「いつもありがとう」「今までありがとう」と、大切な人に感謝を伝えてみてください。それが、後悔しない生き方を送るには大切なことなのです。
「みんなが言っているから」「親を安心させたいから」と、自分自身を抑えて、誰かの望む人生を歩んでしまうと、人生が思い通りにいかなくなった時、「ずっと言う通りにやってきたのに」「あの人のためにやってきたのに」と、誰かのせいにしてしまいます。
しかし、私たちは他人の期待に応えるために生きているのではありません。
あなたの人生は、他の誰でもなく、あなた自身のためにあります。
あなたの人生の主人公はあなた自身なのですから、自分の人生を自らの手で選び取っていくことが、後悔しない生き方を送るのには大切な心がけなのですね。
フランスの哲学者は、「あなたはあと1週間の命となったら何をしますか。その答えこそ、生涯かけてなすべきことである」と言いました。
あなたなら、あと1週間の命となった時、何をしますか。
1日が今までよりずっと貴重に感じられ、1時間も無駄にしてはならない、という気持ちになるのではないでしょうか。
死別の悲しみと後悔に暮れた時、藤沢さんのように「一瞬一瞬が輝く人生にするために、大切なことを教えてくれたんだ」と思えたなら、幸せなことです。後悔しない生き方を送るための、大切な心がけですね。
では、かけがえのない人生の時間を、精一杯、何に使えば、後悔しない生き方を送ることができるのでしょうか。
一般に、後悔しない生き方とは、「やりたいことを、やりたいようにやった人生だ」と思われています。
ところが、人々に影響を与え、多くの人の記憶に残る業績を上げながら、死を目前にして後悔の言葉を述べている人が多くあります。
いくつか、実例を挙げてみましょう。
ダビデ像をはじめ、彫刻、絵画、建築などの様々な分野で偉大な作品を残したルネサンスの天才、ミケランジェロは、生前から高い評価を受けており、史上、最も優れた芸術家の一人として、多くの作品を残しています。
私たちからすれば、大変な生きたあかしが残されていますから、これはミケランジェロ自身にとって、素晴らしい生きる意味だったのではないでしょうか?
ところが本人は、晩年、芸術に対して深い幻滅を告白しています。
後世にあのような素晴らしい作品を残しても、本人は、芸術に人生を捧げたのは、迷妄であり、誤りであり、その情熱や欲望は、災いの源泉であったと後悔しているのです。
江戸時代は元禄文化、俳聖といわれ、世界的に知られる松尾芭蕉が、最後、病に伏し、死の四日前に詠んだのが、この有名な句です。
この時芭蕉は、早く治してまた旅に出たいという夢を語ったのか、それとも五十年の旅のような人生を夢か走馬灯のように思い巡らしていたのか……。
死がすぐそこまで迫る中、一体何を見たのでしょうか。
その時立ち会った弟子の『笈日記』によれば、芭蕉は、花鳥風月に心をかけるのは迷いであったと知らされ、「あれだけ打ち込んできた俳諧を忘れようとしか思わないとは……」と、繰り返し繰り返し後悔したとあります。
たくさんの名句を残し、日本人なら誰でも知っているような松尾芭蕉も、臨終に後悔しているのです。
古い社会体制が行き詰まり、フランス革命が勃発する混乱のさなか、破竹の勢いでヨーロッパを席巻し、英雄といわれたナポレオンは、絶頂期には皇帝にまで昇り詰めます。
ところが、ロシア遠征に失敗して栄光の座から転落し、最後はセント・ヘレナ島に幽閉されてしまいます。
ナポレオン法典を制定し、あれだけ生きたあかしを残しても、六年間の苦悩に満ちた生活の末、失意の中で生涯を閉じました。
生前、このような言葉を残しています。
音楽の世界にもあります。
「椿姫」「アイーダ」といった名作を残した、十九世紀を代表するイタリアの作曲家ヴェルディは、晩年、シェイクスピアを原作とする歌劇「オテロ」や「ファルスタッフ」を完成し、好評を博しました。当時の人たちにとっても、私たちからしても、素晴らしい作品群が残されています。
ところが本人は、晩年、健康が著しく衰え、そんな自分の状態にすっかり憂鬱になってしまいました。1901年、87歳で死ぬ年に、こう書いています。
あれだけの作品を残し、世界的な名声も得たのに、少しもうれしくなさそうです。せっかく素晴らしい作品を残したのに、それが自分にとって意味が見いだせなくなってしまったのです。
フランスの印象派の画家クロード・モネは、日本好きだったことでも知られています。
スイレンの池にかかる日本風の橋の絵をたくさん描いたり、着物を着た奥さんをモデルに描いた「ラ・ジャポネーズ」というきれいな絵もあります。
晩年には画家として高く評価されていたのですが、だんだん自分の絵画の価値について根底から疑いを持つようになり、自分の絵を破いたり燃やしたりするようになりました。最後にはこう言っています。
詩集『道程』『智恵子抄』で日本人で知らない人はいないほどの有名な高村光太郎は、明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男でありながら、ロダンの「考える人」の彫刻に感銘を受け、フランスに留学しました。
その後、日本近代彫刻を牽引する存在となっていきます。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」で始まる詩は、国語の教科書で必ず学びます。
才能にあふれた生涯を送りましたが、
と『ある墓碑銘』に言っています。
スペイン出身、フランスで活躍したピカソもそうでした。
落札額が百億円を超すこともある絵画を描きましたが、晩年になると、自分の絵に確信が持てなくなります。「傑作なのかクズなのか分からない」と疑問を持ち始め、そのむなしさを打ち消そうと、ますます激しく仕事に打ち込みます。ところが最後には、
と言っています。死んでいく時には、あのようなたくさんの素晴らしい作品も、彼を明るくすることができなかったのです。
日本の文豪・夏目漱石も同じです。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』『それから』『こころ』と、あれほどの名作を残しながら、死の前年、最後の随筆『硝子戸の中』には、こう記されています。
このように、やりたいことをやりさえすれば、後悔しない生き方ができるとは、必ずしも言えません。
もう一度、フランスの哲学者のことばを引いてみましょう。
「あなたはあと1週間の命となったら何をしますか。その答えこそ、生涯かけてなすべきことである」。
いいかえれば、それは人生の目的ともいえるでしょう。
本当に後悔しない生き方を送れるかどうかは、真の人生の目的を知るか否かがポイントとなります。
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