生と死

生と死

女性のための仏教入門1~今を明るく生きるために、死んだらどうなるかをハッキリさせる

今を明るく生きるために、「死んだらどうなるか」をはっきりさせよう!

こんにちは、仏教講師の山本真紀です。

今を明るく生きたい。心から安心した日々を送りたい。そのために必要なことは、嫌な未来に目をつぶるのではなく、目を見開いて「その先」をはっきりさせること。今回は、そんなまじめなお話をしてみたいと思います。

幼い頃、死についてよく考えた

幼い頃、死んだらどうなるんだろうと考えたことがあります。不安で眠れない夜もありました。

小学生の時に、祖母の白骨を見た時に、大変なショックを受けたことを今もよく覚えています。祖母もガンでした。人間は最後死んで一つまみの白骨になってしまうのか。ならば長く生きたところで早く死んでしまおうが、結局変わらないのではないかとも思いました。

また、親友の父親が仕事中の事故で、亡くなったこともありました。1週間前、元気に2人で歩いている姿を見た後でしたので、信じられない思いでした。突然、若くても死んでいくことがあるのか。母子とも憔悴しきって、母親の実家へ引越し、親友は転校しました。残された家族の悲しみも大変なものだと強く知らされました。

人だけではなく、動物もたくさん飼っていたので、よく死に直面しました。大好きだった犬、セキセイインコ、ひよこ、ジュウシマツなど何匹もいましたが、全部、死んでしまいました。

特に、犬とセキセイインコが死んだ時は、一晩中泣き明かしました。生きとし生けるものは、必ず死んでいくのだと、思い知らされました。今まで動いていたものが動かなくなるのはどうしてなのか。死とは何なのか。人や動物は死んだらどこへ行くのか。

死んだらどうなるのかという疑問は、ますます膨らんでいきます。
真っ暗な世界へ入っていくのか、考えれば考えるほど分からなくなりました。

そのように死を自分のこととして考える時期があります。
死は決して人ごとではなく、私にやってくる問題なんだと思うと暗く沈んでいきました。

でも、いつしか「生」のことで頭の中は埋め尽くされ、「死」の問題にはフタをして、心の片隅に押しやってしまう人がほとんどでしょう。

人生このままでいいのかな 何か違う気がする

ところがやがて、ふと人生を考えた時に、このまま終わっていいのかな、何か違う気がする、と感じる時期がやってきます。

幼い頃に封印していた、疑問が出てきて、不安に襲われます。
人並みに勉強して、高校、大学と進学して、就職したけれど、決められたレールの上を走る列車のように、このままではいけない気がする。
何かが違う、何が違うのかはわからないけれど、このままでいいはずはない、と。

若い人が病気で亡くなったニュースがよく流れている

最近のニュースを見ると、34歳でガンで亡くなった元女性アナウンサー、42歳で亡くなった元プロ野球選手、47歳で俳優が死去しています。2月には18歳の女性タレントが急死を遂げました。

今年の半年だけで、もう多くの有名人が死去したという報道が流れています。有名人だけではなく、人口動態統計によると、日本では毎日3000人以上の人が亡くなっています。

そんなことを知りますと、自分の命もいつどうなるかわからない儚いものであると強く知らされます。みんな長く患って亡くなったのではなく、本当に若くても急死しています。もちろん事故や事件に巻き込まれたら、忽ちに命を落とします。

歩道を歩いていたら、車が突っ込んできて亡くなったり、雪山で訓練中に高校生が亡くなったり、防災ヘリが墜落して乗組員全員が死亡したなどのニュースもありました。
いつどこでどんな縁で死んでしまうかわかりません。
死の縁は無量であると教えられています。

自分も必ずやってくる死。これだけは100パーセント確実な未来です。

何をすれば、後悔のない生き方ができるのか

どうせいつか死んでいくならば、50年生きた、80年生きたといっても何も変わらないのではないか。どうせ死ぬのになぜ生きる?

何をすれば後悔のない生き方ができるのか。一度きりの人生、何をなすべきか。
それには、必ずやってくる死を見つめなければ、本当の安心満足はありません。
仏教では「生と死は一つの如し」と教えられて、生死一如(しょうじいちにょ)と言われます。

丁度、台所とトイレの関係です。
生は、明るい台所 死は暗いトイレです。
暗いから嫌だから、トイレを無くしてしまったらどうなるでしょうか。
安心して台所で食べたり飲んだりできなくなりませんか。いつでも行けるトイレがあるからこそ、思いっきり飲食ができるのです。もしなかったら大変です。不安で食べたり飲んだりも控えるようになります。

死は嫌な問題ですが、その死を見つめて、いつ死が来ても人間に生まれてすべきことは全てなし終えたとならねば、安心した生き方はできません。

どうせなら、人生を後悔のない輝く日々としたい

仏教と聞くと暗いイメージしかない人もあるでしょう。
しかし死を見つめることは、いたずらに暗く沈むことではなく、先を見て今を生きること。
本当に明るい生き方にしたいならば、目の前のことだけではなく未来を見つめることが大事なのです。

仏教では、いつ死がきても変わらない、本当の幸福を教えられています。
だから、心から安心した日々が送れるのです。

私たちには、無駄な時間はありません。命とは時間です。100パーセント確実な未来を見すえ、今生きている時に最優先すべきことは何か、仏教はそれを教えてくれます。

詳しくは、ぜひこちらのメルマガをお読みください。あなたが心の底で知りたかった問いの答えが、きっと見つかります。




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この記事を書いた人

仏教講師:山本 真紀

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