こんにちは、由紀です。
あなたは心が折れそうな時、自分を支えてくれる何かを持っていますか?
これからご紹介するのは、不慮の交通事故で絶望の淵に立たされた辣腕営業マン・大西利秋(おおにしとしあき)さん(富山県・67)が、「あの事故さえ、幸せになるために必要なステップだった」と喜びに転じるまでの実話です。
読み終えた時、きっとあなたの中で、何かが変わりますよ。以下、大西さんの告白です。
「やらねば、やられる」 熾烈な競争社会の中で
(大西利秋さん)
私の幼い頃は、戦後の混乱期で貧しく、両親は家族5人を養うために朝早くから田畑へ出掛け、その後ろ姿を見て育ちました。早く自立して、両親を楽にしてやりたいと思い、高校を卒業してすぐに金沢市で就職、主に公共の建物の建築や土木工事に必要な資材の注文を取って回る営業職に就きました。
どの商社も、建設会社に群がって自社製品をPRします。入札は激しい争いでした。資材を買ってもらうにはどうしたらよいか。品物の善しあしのみならず、相手会社の社長や役員との信頼関係が物を言う世界、金沢は北陸3県でも激戦区でしたが、負けず嫌いの私は、契約を取るための苦労を惜しまず、成績は上々でした。
朝は4時に起き、1時間ほど農作業をしたあと、6時半過ぎに家を出ます。金沢市までは小一時間ですが、渋滞にかかれば遅刻してしまいます。いつも1時間くらい余裕がなければ落ち着かず、早めに出勤していました。7時半前に会社へ到着し、皆が出社するまでに事務所の床を掃き、モップをかけるのが日課でした。
「これが仕事なんだ」と自分に言い聞かせ、お客さんに顔を覚えてもらうため、酒の接待やマージャン、海釣り、海外旅行、ゴルフなど、生活を顧みず、時間とポケットマネーをつぎ込みました。
激しい生存競争にきれいごとは通用しない。やらねば、やられる。それが当たり前だと思っていました。何かの役に立つようにと資格や免許もたくさん取得し、毎日が仕事と勉強で、夜11時前に家へ帰ることはほとんどありませんでした。そうして億単位の商談が決まった時は、言葉にならぬ喜びと快感で疲れは吹き飛び、次の戦いへの原動力となっていました。
気がつけば50歳を過ぎ、息子と娘は、もう巣立っていく頃となっていました。ホッとして、「退職したら、残りの人生をどう過ごそうか」と、妻とよく、老後の話をするようになったのです。
車椅子ごと落ちたら楽になれるだろうか……
ところが15年前、53歳の8月20日朝7時10分に、全てが一転しました。
いつものように車で家を出て金沢市へ入り、赤信号で停車していた私に、10トントラックが居眠り運転で突っ込んできたのです。
気がついたのは病院のベッドの上でした。頭が割れたのかと思うほどの痛み、左の手足が動かない、全身が痛い……。数週間過ぎても全く治らず、夜は睡眠薬なしには眠れません。細い輪ゴムさえ延ばす力が出せず、苦しいリハビリが始まりました。
「これから、こんな体で過ごさねばならぬのか……!」
地獄をはいずり回る心地でした。
加えて、相手方と補償問題で折り合いがつかず、弁護士を入れての度重なる話し合いで疲れ、人間に嫌けが差しました。最後は十分な補償もないまま、しかたなく合意したのです。
時折、会社の社長や重役が、「早く良くなって、また元気に働こう」と励まし、「君がいないから、ライバルに仕事を取られたよ」などと会社の状況を伝えてくれましたが、周りじゅう金儲け、地位や名誉のために働いていることがむなしく感じました。
「なぜ俺だけがこんな目に遭わねばならんのか。
人一倍頑張ってきた俺が、どんな悪いことをしたというのか」
何十年も積み上げてきた努力が一瞬で吹き飛び、傷だらけの身体に涙をのまねばならぬ悲嘆は、言葉になりません。
「もう私には何も残っていない。何も信じられない。
あるのは心と体の激しい痛みだけだ……!」
苦しみのあまり、周りに八つ当たりし、
「元の身体に戻してくれ!」
と、加害者を罵倒しました。
病院を5回も変えましたが、激痛は治まらず、何の明かりもない孤独に泣きました。
「病院の屋上から、車椅子ごと落ちたら楽になれるだろうか……」
何度そう思ったことでしょう。
しかし、見舞ってくれた子供と1歳の孫が「じっちゃん」と私を呼んでニッコリする顔に、かろうじて引き留められました。
「あなたのような患者は初めてだ。一体、何をしたのですか」
事故から6年ほどたったある日、母宛てにハガキが届きました。仏教の勉強会の案内状でした。それがふと私の目に留まり、行ってみようかという気になったのです。
そこで、仏教の根幹「三世因果の道理(さんぜいんがのどうり)」を聞かせていただきました。
「どんなことにも必ず原因がある。
原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つもない。
私の上に引き起こる結果は、全て私のまいたタネ(行為)の結果であり、
それはこの世だけでなく、過去・現在・未来の三世(さんぜ)を貫くのだ」
との話に驚きました。
「えっ!? そんなことあるの? ホント?」
今まで1度も聞いたことのない話でしたが、心をガチッとつかまれ、続けて聞かずにいられませんでした。
そして、なぜ、そんな居眠り運転のトラックが突っ込んでくる、その時、その場所に、私がいなければならなかったのか。ほんの数秒早くても、遅くても、そんな事故には遭わなかったのに。1台前の車にも、1台後の車にもなかった原因が、私自身にあった。トラックは大変悪い縁ではあったけれども、あくまで原因は自分にあると説かれる仏教の教えが、次第に理解できるようになっていったのです。
するとどうでしょう、「あいつのせいだ、こいつのせいだ!なぜ俺だけが……」と他に原因を求めているうちは少しも静まらなかった胸のつかえが、次第に軽くなっていったのです。
さらに、仏教には、健常者にも、どんな障害を持っている人も、差別なく、本当の幸福になれる道が教えられていることを知りました。
「悲嘆の淵に落ちた私が、幸福になれる道があった……!
こんなうれしいことはない。いっときでも、わずかでも光に向かって進むんだ。
これだ。これで私は生きていける! この教えしかない!」
と思いました。
それからも激痛は続き、週1回、脊髄と首の3カ所に注射を打たねばなりませんでしたが、心は明るくなりました。母も妻も仏教を聞くようになり、家の中は仏教の会話であふれるようになっていました。
そして4年たった頃、主治医から、
「あなたのような患者は初めてだ。一体、何をしたんですか」
と驚かれるほど、病状が劇的に改善したのです。
全身の激痛が治まって、注射も薬も不要になりました。心の大転換が、身体にもよい影響を与えたのでしょう。
あの事故も、人生の本当の幸せを知るために必要なステップだったと思います。
こんな明るい心になれた今の幸せを、心から喜んでおります。
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