
みなさんは今朝、一緒に暮らす家族に「おはよう」「行ってきます」って、あいさつしましたか?
一人暮らしの人なら、家族にメールやLINEを送ったのはいつかな?と思い起こしてみてください。
多くの人にとって、最も身近な存在といえば「家族」ですが、その家族間のトラブルで悩んでいる人も、少なくないようです。
これから紹介する松永明日香さん(仮名・30代)もその1人でした。
総合病院で管理栄養士として働く松永さんは、小学生の頃から「母」との確執で悩んできましたが、あるきっかけで、20年にわたる仮面親子に終止符を打つことができたといいます。
一体何があったのか、取材すると、大きな幸せのヒントがありました。
松永さんに聞いてみましょう。
父と祖母と私、3人で幸せな毎日……が一転
私が物心ついた時には、父、祖母との3人暮らしで、母はいませんでした。
なぜなのかと父に聞いても、いつも言葉を濁されるので、そのうち聞くこともなくなりました。
父はタンクローリーの運転手でした。幼い頃は、仕事中の父にこっそりついて行き、時々、タンクローリーに乗せてもらっていました。
「おい、明日香。今日は佐渡が見えるかの?」
「うん、天気がいいから、今日は見えるかもしれないね!」
海沿いを通る北陸道、車高が高いタンクローリーから見渡す景色は最高で、大きな車をかっこよく運転する父が大好きでした。
授業参観にも父が来ました。私には当たり前でしたが、当時は父親が参観日に来るのはまだ珍しかったので、注目の的でした。豪快で、サービス精神旺盛な父は、クラスの女子にも人気。それが私の自慢でもありました。
通常、母親がするようなことも、優しい祖母がみんなしてくれます。母親なんかいなくても、ちっとも寂しくない。父と祖母と3人の平穏な日々がずっと続いていくんだ、と固く信じて疑いませんでした。衝撃の告白を聞くその日までは……。
「父さん、結婚しようと思っとるけど、いいか?」
「母」がやってきた。小さな抵抗が始まった
それは小学4年、冬が始まる頃でした。
お風呂で頭を洗いながら、父は何げなくそう言いました。
〈お父さんが……結婚!?〉
父には、女がいたのです。
中学校の同窓会で再会し、娘の私と誕生日が同じだと意気投合したのが付き合い始めたきっかけだったと後で聞きました。
すぐには承服できない気持ちでしたが、反対もできないので、「いいよ」と言いました。弟や妹ができるならいいかな、と思い込むようにして。
すると、その女は、日に日に家に来る回数が増え、そして私の「母」になりました。
入れ替わりで祖母が家を出て、新たに始まった親子3人の生活。
「母」は永らく服飾関係の仕事をしていたこともあって、いつもセンスのよい服を選んで買ってくれました。ほつれやボタン付けもパパッとこなします。
一方で、思ったことは何でも言う性格らしく、
「洗濯物はちゃんと畳みなさい」
「いっつも部屋が片付いてない」
など、ちゃんとしているつもりのことも何かと怒られ、
「三つ子の魂百までとは、よく言ったものね」
と呆れて言われたこともありました。
今にして思えば、「しっかりしつけをしなくては」という責任感からでしょうが、当時の私にはそんなことは分かりません。
知らない女が突然「母」になって、母親として自分に接してくる。
でも私の中では、あの人はいつまでも「他人」。家に他人がいる違和感、においが、ずっとイヤでした。
階段を上り下りする足音すら気に障りました。
やがて、「この家から出ていけ」とばかりに、小さな反抗を繰り返すようになったのです。乾いた洗濯物をわざと濡らしたり、「母」のスリッパだけ裏返しにして置いたりしました。
相手も黙ってはいません。私が逃げ込んだ部屋の扉めがけて、思いきりスリッパを投げつけられたこともありました。
女同士の争いを見るに見かねたのだと思います。ある日、父からこう言われました。
「明日香、『お母さん』と呼ばないと、家から追い出すぞ!」
〈「お母さん」? この人が、お母さん?そんな言葉、言ったことないもん!急に呼べって言われても、できないよ!〉
あまりのショックに、珍しく大泣きしたのを覚えています。
お父さんも分かってくれない、あの女にお父さんを取られた、と家の中に居場所を失ってしまったように感じました。
つまづいた中・高時代「全部、両親のせいだ!」
小さな反抗も小学生まで。中学に入ってからは「冷戦」でした。
他人の前では一応、普通の母娘のように振る舞いますが、家で2人きりの時は一切、口もきかず、顔も合わせようとしなかったのです。
必要最低限な話だけ、父を介して、母に伝えていました。
この頃は、学校でも人間関係に苦しんでいました。
ストレスからまともに食事が取れなくなり、だんだんやせ細っていきました。
いいえ、「あんたのせいで、私はこうなったのよ」と母に見せつけたくて、あえて食べようとしなかった、ともいえます。
摂食障害はだんだんとひどくなり、ついに中学1年の冬に長期入院を余儀なくされました。
中学は病院の養護学校で学び、退院後、単位制の高校に進みました。
人間関係の苦労もなく、それなりに楽しかったのですが、時々、過去を振り返っては、惨めな思いになるのです。
自分で言うのも何ですが、私は父に似て、スポーツ万能でした。
かけっこをすれば必ず1番。
小学校ではバレーボールチームで活躍。空手や剣道もしていました。
順調に人生を送っていたら、中学・高校で部活動に入って、陸上か、空手か、球技か、何かで国体に行ったり、大会で優勝できたかも……。
でも、もうそれは叶わない。
「あの時、お父さんが結婚したから、今、私がこんな苦しい目に遭ってるんだ!」
「こんな人生になったのも、全部あいつらが悪い!」
と両親を責め続けていました。
職場の同僚と参加したセミナーの話に釘付け
闘病を機に、栄養学に関心を持ちました。
一人暮らしをしながら、県外の専門学校に3年間通い、管理栄養士になって、総合病院に就職しました。
その間も、母とは心から打ち解けることのないまま、もつれた糸は年々絡まり続け、挨拶すら交わしませんでした。
転機となったのは、職場の同僚に誘われて、仏教セミナーに参加したことです。
初めは、〈えっ、仏教!?〉と少し引きましたが、誘ってくれた同僚がとてもいい人だったので、彼女が言うなら、と参加することにしました。
登場した男性の講師は、意外にもイケメンで、思わず身を乗り出しました。
「皆さん、いちばん不幸な人とは、どんな人だと思いますか? 仏教では『最も不幸な人は、感謝の心のない人』と教えられています」
ハッとして、真っ先に両親の顔が思い浮かびました。
〈親なんだから、子供の面倒を見るのは当たり前。育ててくれてありがとうだなんて思ったことなかった。「最も不幸な人」って、私のこと?〉
そう思っている間にも、話が続きます。
「自分が生かされているのは何のおかげか」
「どなたのご苦労があって、今自分は恵まれているのか」
現在の自分がある原因を知れば、感謝し、何とかお返ししたいという心になるでしょう。
最も身近なのは、親の恩です。お釈迦さまは、「父母の恩の重きこと、天の極まりなきがごとし」と説かれています。
そして、親の恩を10に分けられた教えを1つずつ、丁寧に解説してもらいました。
お腹の中で十月十日、守ってくださった恩。
出産の時、陣痛の苦しみに耐えてくださった恩。
生まれた時、それまでの一切の苦しみを忘れて、喜んでくださった恩。……
正直、私にはピンと来ませんでした。
それどころか、「だから何なの?私には関係ない」と反発心が起きてきました。
しかし、帰宅してからも、なぜか講師の言葉が頭から離れませんでした。
「最も不幸な人は、感謝の心のない人」
〈そういえば、仕送りに感謝することもなかったなあ。私って不幸なの?このままじゃ、幸せになれんってこと?〉
虚しさ、不安、恐怖。いろんな感情に襲われ、もう少しあの仏教セミナーを続けて聞いてみようと思い、再び足を運びました。
この日のテーマは「幸せの法則」でした。
私たちの身の回りに起きる結果には、全て原因があります。
植物でも、蒔かぬ種は生えませんが、蒔いた種は必ず生える。もし自分に起きる結果を変えたいならば、自分の行いを変えてみましょう。
人間関係に悩んでいる人は多くあります。
他人を変えることは大変ですが、自分は変えられます。うまくいかない相手にも、まず挨拶から始めましょう。
「他人は変わらない」。目からウロコでした。
今まで、あの母が変わってくれたら仲よくしてあげてもいいのに、と思ってきましたが、それは無理な話だったのです。
〈私が変わったら、母も変わるのかな?〉
半信半疑でしたが、翌朝から、母に挨拶しようと決めました。
いつもなら何も言わずに出かけますが、わざわざ台所に立ち寄り、ドキドキする胸を押さえつつ、背を向けている母に声をかけました。
「お母さん、行ってきます」
朝からケンカした、初めての「母の日」
「行ってらっしゃい」
意外にも母からは普通に返ってきました。
あれ?と拍子抜けしつつも、とてもうれしかったです。
帰宅した時も「ただいま」と言えば、母からは普通に「おかえり」と返ってきました。
たったの一言ですが、すごくうれしいのです。
なあんだ、私が勝手に壁を作っていたのか。冷戦と思っていたのは、私だけだったようです。これまでの数々の悪態を反省せずにいられませんでした。
別々だった食事も、一緒に取るようにすると、自然に母との会話が増えました。
私も話し好きですが、それ以上に母はおしゃべりです。テレビのことや仕事のこと、時には父への愚痴も……。何でも話すようになりました。
「母の日」なんて、生涯、自分には無縁だと思っていましたが、初めてカーネーションを贈ることにしました。
当日の昼に届くように注文していたのですが、こともあろうにその朝、私はささいなことで母と口論になり、そのまま出掛けてしまいました。
「フン!ケンカしたことを後悔するがいい」と思いながら。
昼になり、外出先に父からメールが届きました。
「母さん、すごく喜んでいるぞ」
知らなかったのですが、花が大好きなようで、以来、毎年「母の日」には花を贈っています。
過ぎ去った20年は取り戻せませんが、仏教を学ばなければ、感謝の心を知ることはできず、「不幸な人」のまま、人生を送っていたことでしょう。
「私が変われば、周りも変わる」
「自分の行為が、自分の未来を切り開く」
仏教で教えられるとおりでした。もっと早く私が歩み寄っていればよかったなと思います。両親にも幸せになってほしいので、私が学んでいる仏教を聞いてもらいたいと思っています。
取材を終えて

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