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平和のとりでは心の中につくられねばならぬ|築くべき「心のとりで」とは?

こんにちは、齋藤勇磨です。

第2次世界大戦後、発足したユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、国際連合の専門機関で、教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的としています。

1946年に設立され、パリに本部を置いています。

日本を含む193の国と地域が加盟しており、教育・科学・文化を通して世界中の人々がお互いに分かりあうことで、平和で持続可能な社会をつくるための活動をしています。

そのユネスコは憲章・前文に、

「戦争は心の中で始まるのだから、平和のとりでは心の中につくられねばならぬ」

と宣言し、

“今度の恐るべき大戦は、人間は皆、平等にして尊厳であることを否定し、人種差別を容認する思想が引き起こした”と訴えました。

残虐非道の戦争も、根元は心とし、人間の心にある不平等観が、戦争の悲惨を招く一因になったとあります。

恐るべきヒトラーは、”優秀なドイツ民族が世界を支配し、劣等民族は滅ぶべきだ”とユダヤ人を差別し、600万人もの命を奪ったといいます。

ならば、心に築くべき「平和のとりで」とは、「すべての人は、平等である」という、真の平等思想ではないでしょうか。

インドのカースト制と平等を説いたブッダ

ブッダ在世中、このようなことがありました。

弟子の1人である阿難が、ある夏の暑い日、祇園精舎に帰る途中、あまりにのどが渇いたので、木の陰で1人の若い女が手桶に水をくんでいるのを見て、1杯の水を求めました。

阿難に言葉をかけられた娘は、赤面しながら小さな声で、「私は卑しい素性の女です。あなたのような尊い身分の方に、あげたくてもあげられません」と、断ったのです。

当時のインドには、「婆羅門」「刹帝利」「吠舎」「首陀羅」といわれる、厳として破ることのできない社会の階級がありました。

この身分制度をカーストといいます。

婆羅門(僧侶)と刹帝利(王族)は、ほとんど同等の尊い身分とされていましたが、吠舎(庶民)はそれらに対して、婚姻はもちろん、交際から職業までも禁じられていたのです。

首陀羅(奴隷)に至っては、直接それらと言葉も交わされぬほど蔑視されていました。

今の娘は、その首陀羅であったのです。

仏教には、この四姓(身分制度)の鉄壁を打ち破って、“すべての人々は平等である”と説かれています。

阿難は、優しく娘を慰めて、「人間は、生まれながらに貴賤が定まっているのではない。仏の教えは、一切の人々は生まれながらに平等であり、自由だと教えられているのです。どうか遠慮なさらずに、私に水を1杯布施してください」と少女を励ましています。

ブッダの教え「天上天下唯我独尊」

今日もなお、インドの社会に強い影響力を持つといわれるカースト制は、ブッダの在世時、まさに絶対的なものでありました。

その中、万人平等を叫ばれたとは、実に驚くべき事実です。

仏教で、”すべての人は平等である”と説かれるのは、すべての人の命が等しく尊厳であるということです。

貧富、老若、男女、人種、民族、才能の有無などと関係なく、あらゆる人の命は平等に尊いのです。

では、何が等しく尊厳なのでしょうか。

それは、人は何のために生まれてきたのか、生きているのか、苦しくとも生きねばならないのはなぜか、という「人生の目的」が、万人平等に尊厳なのです。

これを仏教では、「天上天下、唯我独尊」と説かれています。

“天上にも地上にも、ただ我々人間の独尊あり”

すべての人は天上天下、ただ一つの崇高な目的を持って生まれてきたのであり、それを果たすための命が、等しく尊いのだよと、教えられたお言葉です。

その万人共通の人生の目的を知らず、平等に尊い命と言われても、納得できないことが、様々な争いを生む元なのでは、ないでしょうか。

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この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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