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喜劇王チャップリンが映画に込めたもの

こんにちは、齋藤勇磨です。

山高帽にチョビヒゲ、ドタ靴にステッキ――。

こんなトレードマークで一世を風靡したのが、喜劇王チャールズ・チャップリン(1889-1977)です。

俳優、映画監督として知られ、『キッド』『黄金郷時代』『街の灯(ひ)』『モダン・タイムス』『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』など、世界中に愛される作品を数多く送り出しました。

誰でも一度は、思わず笑いに誘う彼の姿を目にしたことがあるでしょう。

そのコミカルな動きには、当時の観客たちも抱腹絶倒でした。

皆があまりにも激しく笑い転げるので、映画館で2週間も上映すると客席のボルトが緩んでしまい、定期的に固く締め直さなければならなかった、というエピソードが残るほどです。

しかも、チャップリンのすごいのは、単なる喜劇では終わらせないところでした。

見飽きることのない作品の魅力は、どこから生まれたのでしょうか。

人生は苦しみの連続

チャップリンは、芸人の両親のもとロンドンに生まれましたが、1歳の時に両親が離婚してしまいます。

酒に溺れがちだった父親と離れ、幼い彼は、4歳年上の義兄と、母の元で暮らすことになりました。

父親からの仕送りは滞りがちでした。

喉を痛めて舞台を去った母親は、針仕事で家計を支えるものの、一家は文字通り、食うや食わずの極貧生活が続きます。

服を買う金がないので、いつも着るのは擦り切れた服、靴がないので母親の靴を履き、貧民スープ接待所へ通っては、その日1回きりの食事を持ち帰るという有様でした。

あまりの窮乏に、とうとう、母親は精神を病んでしまいます。

こんな体験からにじみ出た言葉だったのでしょう。

『自伝』に彼は、「賢者だろうと愚者だろうと、人間みんな苦しんで生きるよりほかないのだ」*1と記しています。

人生は苦しみの連続ということを、身にしみて感じていたようです。

映画に込めた人生の不条理

24歳でハリウッド・デビューを果たしたチャップリンは、夢中で映画を作り続けました。

彼の映画で笑いとともに描かれるのは、人間が露呈する、どうしようもない愚かさや矛盾、不条理な真実です。

それぞれの作品に、チャップリンならではの鋭い視点が光っています。

例えば、現代の大量生産システムを風刺した彼の代表作、『モダン・タイムス』を見れば、歯車の世界でもがく主人公は、どう生きるかに振り回されて人として大切なことを見失っている、私たちのことだと気づかされるでしょう。

「機械によって新しいスピードが開発されましたが、かえって私たちはみんな機械の部品になって、自分の穴に閉じこもるようになってしまいました。生活を豊かにするはずの機械が、逆に私たちを貧困の中に放り出しています。私たちに必要なのは機械よりも人間なのです」*1

また、『独裁者』では、多くのユダヤ人を抹殺したヒトラーをコメディタッチで批判しながら、絶対的な権力を手にして本性むき出しになった人間が、いかに危険な存在になり得るかを描こうとしました。

最後の6分間の演説シーンは、特に有名です。

この演説に対してはスタッフからも反対の声が強く、営業担当からは「この演説で売り上げが100万ドル減るからやめてくれ」と抗議を受けます。

しかし、チャップリンは「500万ドル減ってもやる」と言って撮影を断行しました。

ブラックユーモアに満ちた『殺人狂時代』では、死刑を宣告された主人公に、「1人を殺せば悪党だが、百万人を殺せば英雄だ」*2のセリフを言わせ、人間の勝手に決めた罪悪の矛盾を浮き彫りにしています。

苦悩のときは、哲学か、ユーモアか

彼にとって笑いとは、そんな私たちが、苦しい人生を生きていくのに不可欠なものでした。

人は圧倒されるような失意と苦悩のどん底に突き落とされたときには、絶望するか、さもなければ、哲学かユーモアに訴える。*3

苦しい人生、なぜ生きるのか。

ユーモアの中にも、常に、生きる意味という人間不変のテーマを問うたからこそ、チャップリンの作品は、色あせないのではないでしょうか。

[出典]
*1 チャールズ・チャップリン(著)『チャップリン自伝』 新潮社
*2 清原伸一(編)『週刊100人 歴史は彼らによって作られた チャールズ・チャップリン』 ディアゴスティーニ・ジャパン
*3 チャールズ・チャップリン(著)『チャップリン自伝』 新潮社

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この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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