人間関係

人間関係

友達が少ない。自分から人間関係を遠ざけてしまう人へ

【目次】

  1. 友達が少ないほうがいい人もいるーHSP(繊細さん)
  2. 友達は多いほうがいい、という幻想(1)―すでにあるつながり
  3. 友達は多いほうがいい、という幻想(2)―有無同然
  4. 信頼できる友達って、どういう人?―「独生独死 独去独来」
  5. 友達がいない…。誰も分かってくれないと思うときは。

はじめに

こんにちは、心理カウンセラーの月見草です。

今回はこんなお悩みについてです。

プライベートの友達が少ないのが悩みです。
というより、自分から遠ざけてしまいました。
ほんの数人の友達しかいません。

もっと信頼できる友達がいたら、幸せなのに。
人とどう付き合ったらいいのか、よく分からなくなりました。

「友達100人できるかな」
友達は多いほうがいいよ。
どんな人とも仲良くしましょう。

保育園・幼稚園・小学校で、このように教えられます。

「友達は多いほうがいいに決まってる」

そう思うのも当然です。

ところが、その思い込みのせいで、
友達が少ないことを、悩む人が多くいます。

友達は、多いほうがよいのでしょうか。
少ないほうがよいのでしょうか。
どちらでもないのでしょうか。

一緒に考えてみましょう。

友達が少ないほうがいい人もいる―HSP(繊細さん)

5人に1人の割合で存在するHSP(繊細さん)は、刺激が多すぎると、疲れや不調につながります。
HSPさんは、少ない交友関係が向いています。

「広く、浅く」ではなく、
「狭く、深く」つき合う人間関係のほうが、性に合っているのです。

友達は、多ければ多いほどよいのではなく、
いまの自分の特性や感覚に合っている、人数・距離感が大事です。

いまの、あなたの特性や感覚に合っている、人数・距離感が大事。

HSPである私も、長らく、人付き合いは最小限にしてきました。

人と接するのは好きなのですが、

・無意識にいろんな人の表情を見る。
いろんなトーンの声色を聞く。
言葉のニュアンスを読み取る。

こういったことが、刺激になり、疲れます。

人と会った後は、家でぐったり。
ヘタをすると、寝込んでしまう。
そんな状態では、社会参加を続けることも難しくなります。

そこで、次のことに気をつけるようにしました。

(1) 人間関係は無理のない範囲で、最小限にする。
(2) 心地よい人との接点を増やす。
(3)苦手な人には、近寄らない。

こうすることで、「快適に社会生活を送る」ことを重視しました。

否定的な目線や、非難するニュアンスの人との接点を減らした結果、
多くの人と接しても疲れなくなりました。

肯定的に捉えてくれる人との関わりは、いい刺激となり、
パワーをもらうようになりました。

HSPさんにとって、
「人と接するのが疲れる」というよりも、
「“苦手な”人と接するのが疲れる」のだと感じます。

「人と接するのが疲れる」というよりも、
「“苦手な”人と接するのが疲れる」だけ。

仏教では「心の行いが、もっとも重い結果を引き起こす」と言われます。

人と接するといっても、
自分の“心の行い”によって、
疲れたり、元気になったり、結果が変わってくるのです。

自分の“心の行い”がよくなる人と接するなら、
友達が少なくても、自信がつき、前向きな気持ちになれます。

人は、良くも悪くも、他者の言葉を取り込んでしまうもの。
自分に対して肯定的に、応援してくれる人と接していると、元気が出てきます。
自己肯定感も高まります。

私は、自己肯定感が高まって、いろんなことがあってもそれほど落ち込まない・疲れないようになっていきました。
疲れなくなってきたタイミングで、少しずつ、友達の輪を広げていきました。

(1) 人間関係は無理のない範囲で、最小限にする。
(2) 心地よい人との接点を増やす。
(3)苦手な人には、近寄らない。

すると、自己肯定感が高まり、
結果的に、少しくらい苦手な人と接しても、大丈夫になりました。

まずは、自分の“心の行い”がよくなるような、
いい友達との関係を大切にしましょう。

友達は多いほうがいい、という幻想(1)―すでにあるつながり

まずは「友達は多いほうがいい」という思い込みを、外してしまいましょう。
そこから、あなたらしい生き方が始まります。

「友達は多いほうがいい」という思い込みを、外す。

たしかに、友達が多いほうが、なにかあったときに相談したり、助けてもらったりできる人が増えるかもしれません。

カウンセリングの考え方に、「サポートネットワーク」があります。
いざというときに助けてくれそうなつながりを作っておくことを言います。

サポートネットワークは、自分が無事に生き延びていく上で、重要な「技術」です。
広い意味での「友達」ですね。

サポートネットワークを考えるとき、

・会釈をする
・あいさつを交わす

この程度の人であっても、紙に書き出していきます。
いざというとき、誰が助けになってくれるか、わからないからです。

・行政の相談機関
・市役所や保健所
・ハローワーク
・福祉事務所、NPO法人
・地域のカウンセリングルーム

こういった場所も、近くにあるか、チェックしておきましょう。

「私には、サポートネットワークが少ないです…」

そう思った方も、あるかもしれません。
落ち込む必要はありませんよ。
サポートネットワーク(友達)は多ければ多いほどいい、ということではないのです。

少ないサポートの中で、これまでちゃんと生き延びてきたことに自信をもってください。

意外と、頼れる場所がある。
思ったよりも、つながっている。

そんなふうに感じて、ふっと肩の力を抜いてもらえたらいいなと思います。

仏教では、「芥子粒の中に、宇宙が収まる」と言われます。

あんぱんの上にちょこん、と乗っているのが芥子粒(ケシつぶ)です。
ゴマよりも小さな粒です。

なぜこの芥子粒ができたのか。

芽が出て、花が咲き、種(芥子粒)ができました。
どこから芽が生えたのか。
その芽も、そもそも種だったはずです。

……→花→種→芽→花→種→芽→花→種→芽→花→種→……

どこまでさかのぼっても、つづいていきます。
芥子粒には、遠い遠い過去からの、長い歴史があったということです。
小さな芥子粒の中に、悠久の過去が収まっています。

しかも、その種ができるまでには、
日光や空気、水、土、養分など、
適度な量、必要なだけそろったからできたもの。

地球のような、いろんな条件がそろった環境だから、植物が育ちます。

では、そんな地球は、なぜできたのか。
太陽との距離がほどよく、暑すぎず寒すぎず、
月という衛星があったから、隕石から守られたから。

なぜ太陽ができたかというと…
と、どこまでも辿っていくと、
宇宙すべてがつながっているんですね。

「芥子粒の中に、宇宙が収まる」

芥子粒でさえ、宇宙とつながっているのですから、
あなたという人間は、さらに幾多の好条件がすべて揃って、
いまここにいる
のですよ。

友達が少なくても、あなたはつながっています。
宇宙から見れば、友達が多い・少ないなんて、大した差ではないのです。

友達は多いほうがいい、という幻想(2)―有無同然

たしかに、「友達が多い自分」と思うと、自信もつくかもしれません。

ところが、多く接するほど、付き合いづらい人間関係も出てきます。

お釈迦様は、「有無同然」と言われています。

「有っても、無くても、苦しみや憂いは同じ」ということです。

友達がいる人は、友達がいることで悩んでいる。
友達がいない人は、友達がいないことで悩んでいる。

有っても、無くても、悩んでいることは同じです。

「有るほうがいいに決まってる!」

そう思われるかもしれませんが、
有る人は有る人で、悩み、苦しんでいます。

芥川龍之介は自殺する前に、
「たくさんの人が集まっているが、オレは寂しい」
と言って命を絶っています。

友達が多くいても、本当に理解してくれる人のいないことに、ますます孤独感が増し、絶望します。
また、友達が多ければ多いほど、悩みも増えます。

「じゃあ、友達が少ないほうがいいんですね?」

さて、どうでしょうか。

「苦は色を変える、松の風」

松にさわさわと吹く風の音だけを聞いて、のんびりと暮らす世捨て人。
そんな人にも、苦労がある。
苦労の性質がかわるだけ。

苦しみを減らしたつもりでも、結局、また別の苦労があるものだ、ということわざです。

「友達が少ないから、苦しい」

そういうわけでは、ないのです。

信頼できる友達って、どういう人?―「独生独死 独去独来」

「もっと信頼できる友達がいたら、幸せなのに」

信頼できる人がいたら…というのも、どのくらいのレベルを求めるかですね。

HSPさんならば、細かいことに気づくので、相手への要求も高くなりがち。
ですが、一挙手一投足、自分の思い通りに動いてくれる人なんて、いるはずがありません。
そんな都合のいい人がいるなら、それは「友達」ではなく、「奴隷」です。

すべて自分の思い通りに動いてくれる人なんていない中で、
信頼できる人が1人いれば、バンザイ。

「“ほんの数人の友達”しかいない」とおっしゃっていますが、
居心地の悪い人は自分から遠ざけているのに、
数人は遠ざけることなく、友達関係が続いているということですね。

居心地の悪くない友達が2、3人いれば、恵まれていると思います。

自分の本音をさらけ出してしまえば、本当に理解してくれる人なんて、誰も存在しないのです。

お釈迦様は、「独生独死 独去独来」と言われています。
生まれてきたときも、一人ぼっちで生まれてきた。
死ぬときも、一人ぼっちで死んでいく。

生きている間、友達がいるから楽しいように思っても、
心の奥底は、さびしい。
始めから終わりまで、一人ぼっちの孤独なのですよと、言われています。

友達がいない…。誰も分かってくれないと思うときは。

相手に求めるものが大きいと、期待に幻滅します。
期待にすべて応えてくれる人なんて、いないのですから。

求めるものは小さいほうが、お互いにラクですね。

なぜ相手に過剰に求めてしまうのか。
おそらくあなたが、他人の要求に過剰に応えているからなんです。

「自分はこんなにあなたに合わせているのに、なぜあなたは合わせてくれないの?」

そう思うのです。

相手への要求が強くなったとき、
「私はわがままだ」なんて
自分を責めないでください。

じゅうぶんすぎるほど、相手のペースに合わせている、優しいあなたなのですから。

むしろ「わがまま」が全然できていないのではないでしょうか。

「長年付き合ってきたのに、お世話になったこともたくさんあるのに、私は薄情だ

そんなふうに、自分を責めていませんか。

ずっと、相手に合わせて、相手に付き合ってきたのです。
もう「自分らしく生きてもいい」と、自分を呪縛から解放してあげませんか。

自分らしくいたほうが、なぜか自分と気の合う人が集まってきます。
自分を偽っていると、偽りの自分に合う人が周りに集まってきます。

すべてを理解してくれる人はいなくても、
自分らしく生きると、
居心地のいい友達が見えてくるはずです。

おわりに

期待するというのは、仏教では「執着」と言います。

煩悩の1つです。

煩悩とは、私たちを「わずらわせ、悩ませるもの」

友達が少ないことで悩んでいるのではなく、
執着という煩悩によって、あなたは苦しんでいます。

たとえば、

友達の多さへの執着。
「友達は、多いほうがいいのに。私は少ない」

友達にすべてを理解してもらうことへの執着。
「信頼できる友達がいない」

理想の自分になれないことへの執着。
「いっそ、友達なんていないほうがいいんだ」

などなど。

煩悩のせいで、苦しんでいるんですね。執着が少なければ、もっとラクに生きられるのに…。」

そうですね。
執着する心がなければ、友達が多くても、少なくても、苦しむことはありません。

ところが、じつは、この煩悩は、死ぬまで無くすことも、減らすこともできないのです。

執着をしないようにしよう
期待しないようにしよう

そう思って、友達との距離感や、心の持ち方など、いろいろなスキルを身につけて、言動をより良くすることはできますが、苦しみがなくなることはありません。

煩悩でできているのが、人間なのです。
執着も、無くすことはできません。

「えー?じゃあ、どうすればいいんですか?」

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この記事を書いた人

ライター:月見 草

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