仕事

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小説『ガラタンッ!』~人生をガラリと変える『歎異抄』(17)

(第1回はこちら)

(前回の内容はこちら)

使わない金塊なら石と同じ

つながり作戦をスタートして、2週間が経った。

赤城晴美は自宅でココアを飲みながら、『歎異抄』勉強会の学びを振り返っていた。すっかり書き込みが増えた濃紺のノートに向き合うと気持ちが静まる。

ふと、勉強会で学んだ一文が目に留まった。

「出来るだけ他人の長所を発見してほめるようにしよう」

最近は、家でもしょっちゅう会社のことを考えるようになっていた。

自分が役に立っているという感覚が、こんなにも自分をはりきらせるということに、晴美自身が驚いていた。

(それにしても、今日は悠人に悪いことしちゃったな……)

会社での出来事が脳裏に浮かぶ。

つながり作戦はかなり順調で、全員の知り合いをたどっていったところ、思いがけず50人のサンシャイン銀行勤務者と面会のアポイントを取りつけることができた。

だが、悠人が面会相手を怒らせてしまったのだ。

善意で協力していただくのだから、丁寧に礼儀正しく、でもなるべく本音を引き出せるように会話をふくらませてね、と晴美は指示した。

悠人は、緊張した面持ちの相手をリラックスさせようとするあまり、冗談を連発しすぎて不快にさせてしまったらしい。

「せっかく時間をつくったのに、こんなふざけたインタビューなのであれば、ご協力できません」、そう断られて帰ってきたのである。

思わず晴美はカッとなり、「あなたは繊細さに欠けるのよ」と声を荒らげてしまったのだ。しかも、みながいる前で。いつもは快活な悠人が、すっかり落ち込んでいた。

(悠人の長所って何だろう……)

思い返せば、つながり作戦にいち早く賛同してくれたのが悠人だった。

彼にはリスクを伴っていても物事に挑戦しようという、前向きな気持ちがある。

そんな悠人に引っ張られるように、いままでみなも士気をキープできたのだ。

(それなのに……私、最低だわ)

晴美は大きなため息をついた。

翌日は気温4度の寒さだった。富山の春は遠い。3月になったというのに、まだ路地には雪が残っている。

〈フォーユー〉が新オフィスに引っ越してきて初めての会議の日。

晴美は寒空の下、制服にストールだけを羽織って、20代コンビのシホとナオを連れて近くのコンビニに買い出しに来ていた。

久しぶりに南原社長が同席するので、お茶とお菓子でささやかに景気づけできればと思ったのだ。

ぱっと買って帰ろうと思いきや、シホとナオは棚の前で話し込んでいる。

(この子たち、ちょっと行動が遅いのよね……)

晴美は急かそうとして、2人の背後に近づいた。

「社長は冬でもアイスコーヒーだよね。微糖の。

あと、今日は風邪気味の人も多いから、温かいものもあったほうがいいね。

ティーバッグ、買っておこうか。ポットのお湯、多めに用意しなくちゃね」

「お茶菓子は個包装のおせんべいのほうが手が汚れないし、余っても取っておけるよね。甘いものならこれはどうかな? 賞味期限もまだまだ大丈夫だし、常温でも保存できるよ」

晴美は驚いて言った。

「シホ、みんなのこと、よく見てるのね。えらい。ナオも気が利くじゃない」

褒められた2人は嬉しそうだった。

(そうか。こういうふうに、人には必ず、長所と短所があるんだ)

(私、みんなの短所ばかり見て、1人でイライラしていたんだわ……)

自分の意見をもたない、のんびり屋の羊たちだと思っていたのは、晴美の思い込みだった。よく見れば1人ひとりに、その人ならではの長所がある。

分かっていたはずなのに、実際にわかっていなかった。晴美は自戒の気持ちを込めて自らの胸に刻んだ。

「お疲れさん。やっぱり狭いね」、南原社長は新オフィスを見回して肩をすくめた。

引っ越してきてから全員が揃うのは初めてだった。

このところ金策に奔走していて不在がちだった社長の顔を見て、メンバーたちのテンションが上がる。

南原は週末に散髪に行ってきたようで、いつもより短めの髪が表情をより精悍に見せていた。

背の高い彼が仕立てのいいスーツに身を包んでいると、そのオーラは初めて会った人をも一瞬で魅了する。

とても倒産の危機に瀕しているようには見えなかった。

「社長、髪切ったらますますかっこいいですね」

「新しいスーツ、買ったんですか」

「何言ってんだよ。ちょっと痩せたら、昔のスーツが着られるようになっただけだ。最近は会食を減らしてるからな。おかげでいいダイエットになったよ」

心労で食欲が落ちていることを、南原はそんなふうにごまかした。

会議が始まり、一人ずつ業務報告をする。

書記がホワイトボードに要点を書いていく。〈フォーユー〉では毎回持ち回りで会議の進行役を決めていた。今日は晴美の番だった。

「では続きまして、サンシャイン銀行勤務者への研修インタビュー、通称つながり作戦の最新状況の報告を悠人からお願いします」

悠人は顔がこわばっていたが、気を取り直すように咳払いをして、報告を始めた。

「現在、50名のサンシャイン銀行勤務者とアポイントが取れ、23名の取材が終了しています。しかし、そのうち1名は僕が取材中に相手の機嫌を損ねてしまい、NGとなりました。申し訳ありません。お配りした資料は、22名のヒアリング結果をフリーワードでベタ打ちしたものです」

資料には、インタビューから抜粋された言葉が、口語のまま並んでいた。

――研修は難しくてよくわからなかった。

――大学の先生みたいにずっとしゃべっていて、途中で眠かった。

――マナーの講師が、ちょっと古くさい。

――営業トークができるようになった。

――研修が多すぎる。もっと減らしてほしい。

――土日をつぶすのは勘弁してほしい。

――あまりよく覚えていません。

「このように肯定も否定もありましたが、実はインタビュー対象者22名中、16名が女性、しかも全員が入行5年未満です。属性が偏っており、サンシャイン銀行勤務者を代表するデータとは言えません。今後、年次の高い方や男性行員の声をいかに増やすかが課題です」

「ありがとうございました。どなたか質問やご意見はありますか」、晴美はメンバーの顔を見回した。特に手を挙げるものはいなかった。

「では続いて、他に連絡事項のある方はいますか?」

1人の手が挙がった。最年少の女性社員ナオである。

「落とし物がありました。場所は打ち合わせデスクの下、拾った時間は金曜日の夕方です。落とし物はこの写真です」

コンサートホールの客席をステージ上から撮ったような写真だった。

何千人も入りそうな大きな会場だ。少しセピア色にあせた古いプリントである。

「あ、俺のだ。魔法の写真なんだ、それ」

「魔法の写真?」、みんな一斉に南原に注目する。

「平成8年の写真だよ。当時できたばかりの富山ホールで、『富山の元気社長1000人集合』というイベントがあって、20代の部で賞をいただいたんだ。いつかまたこのステージに立ちたいと思って、リハーサルの合間に客席を写したんだ」

南原は懐かしそうな顔になり、とうとうと語り始めた。

「いつかこの富山ホールで、県内の企業が何百社も参加して、会社の枠を超えて学び合うような、大きな合同研修を実現させたいって思ったんだ。俺たちの手で、富山の『働く』のレベルを押し上げていけたらいいなって……。

この会社を立ち上げた頃は、俺も研修講師をやっていたんだよ。ステージに立って、何百社ものクライアントから参加している何千人もの前で、マイク持って思いっきり研修したいって、そのとき思っていたんだ。

疲れているときにこの写真を見ると、なぜか元気が湧いてくるんだよ。だから、魔法の写真なんだ。いつも手帳に挟んでいたんだけど、いつ落としたんだろう。引っ越しのどさくさで気づかなかったよ。ナオ、ありがとう」

南原が社長業に専念するようになったのは、この十年ぐらいのことだ。

それまでは、自分で取ってきた研修を自分で教える、スゴ腕の営業マン兼講師だった。

入社当初の晴美はよく研修のサポートに入ったものだ。

声がよく通り、ぐいぐい聴衆を惹きつける南原の研修は、晴美も思わず聞き入ってしまうくらい面白かった。

南原のかつての輝く姿を思い出し、晴美はあることを思いついた。

「社長、それからみなさん。私からひとつ提案があります。イソップ童話に、こんなことが書いてあるんです。全財産を金塊に換え、埋めておいた男がいたが、隠し場所が暴かれ、全て盗まれてしまった。悲しみに暮れる男に、ある人が言った。『使わない金塊なら石と同じです。何を悲しむ必要があるのですか』ってね」

皆、晴美に引きつけられる。

「いまこの状況を突破するために、私たちは、全員の強みを生かさなければならないと思うんです。みんなの強みを総動員するんです。なかでも一番大きいのが、南原社長の強みです」

ほう、という顔で南原が視線を上げた。

「南原社長はオールラウンドプレイヤーで、どんなお仕事もよくお出来になりますが、とりわけ、人前で話すことに長けていらっしゃるのではないかと……。

私はこれまで十数年見てきて、クライアントさんは南原社長の話す熱意や想いに惹きつけられて、うちの研修を導入してくださったんだと思っています。

社長が研修なさる姿は、私、いまでも忘れられません。そこで、です」

「何だ、晴美。今度は何を思いついた?」

「はい、社長。通常、研修を受注したら、外部委託している契約講師の先生方に報酬をお支払いいたしますよね。これが原価となり売上から引かれてしまいます」

「そりゃそうだ」

「そこで、社長ももう一度、研修をおやりになってはいかがですか。私が司会を引き受けますので。それと、導入ワークは、盛り上げ上手な悠人が適任だと思います」。

晴美はそう言って悠人に笑いかけた。

「この間はごめん。あなたの弱みを責めるなんて、最低だったわ。あなたには、明るさと勇気っていう、誰にも負けない強みがある。私のアホな提案に最初に乗ってくれたのは悠人だもんね。リスクを恐れない前向きなそのパワー、すごいと思う」

伏し目がちだった悠人に、ようやく笑顔が戻る。

「盛り上げ役なら任せてください! 僕、何でもやりますよ!」

南原の表情もにわかに明るくなった。

「研修……久しぶりすぎるな。ざっと十年ぶりだ。でも、悪くない」

「うわー、私、聞いてみたいです!」「私も!」「僕も!」

メンバーたちは大賛成だった。魅力的な南原には、金策に走り回るよりもステージに上がってほしい。脚光を浴びてほしい。かっこよくマイクを持って輝いてほしい。みんなの期待がオフィスに充満していく。

自分のせいで会社が傾いているという自責の念で日々を過ごしていた南原の心に、まばゆい光が差し込んだ。

「よし、わかった。晴美センセイの言うように、俺たちの強みを総動員してみようか」

南原はポキポキと指を鳴らして立ち上がった。

「善は急げ、だ。いまプレゼン中の案件にも、俺の研修を追加しよう。シホ、お前はパソコン作業が得意だから、カリキュラムに使うテキストのつくり直しを頼む。昔の資料に俺が手を入れるから、至急でよろしく」

「はい!」

「それからナオ。お前はなじみのクライアントに受けがいいからな。既存顧客130社に俺がやる研修のリリースを配って歩け」

「承知しました!」

「悠人、導入ワークはたしかにお前がぴったりだ。この後、打ち合わせしよう」

「はいっ!」

こうして南原は一人ひとりに、強みを生かせる仕事を振っていった。

「社長、私は?」

唯一、仕事を振られなかった晴美が南原に訊ねた。

「晴美の強みは、例の勉強会仕込みの視点だ。全体を俯瞰して、足りないものを俺にアドバイスしてくれ。つまり、俺の相談相手だ」

「えーっ!」、晴美がびっくりする声にかぶせるように、メンバーたちの歓声が上がった。

ほんの数ヶ月前の、不満だらけだった自分が嘘のようだ。

(つづきはこちら)

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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