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人生の、2つの悲劇
西田は続けた。
「比べる対象は、他人だけではありません。『過去の自分』とも比べて、一喜一憂しています。問題は、自分と比べて感じる幸せは、常に自己新記録を更新し続けなければならなくなる『茨の道』だということです」
立山豊が、思い出したように言う。
「そういえば、僕の大好きなイチローさんが、2004年に262安打の新記録を打ち立てた時のインタビューで、こんなことを言っていたな。『ありえないことをやってしまいました。自分で自分の首を絞めているようなものです』ってね。シンプルですが、とても深い言葉に聞こえました」
西田は、ほほえみかけた。
「立山さん、良い例をありがとうございます。記録は、伸びれば伸びるほど、自身へのプレッシャーとなります。常に過去の自分を超えていかなければ、喜びが感じられない。しかし、常に過去の自分に打ち勝ち続けることなんて、できるでしょうか」
(どこかで、下降に向かうときがやってくる、だろうな……)
荒川は、思った。
「引退間際の練習でイチロー選手は、彼独特のユーモアセンスで『もう限界』『もう無理』と書いたTシャツを着ていましたが、そこには、本音も混じっていたんじゃないかな。頑張っても頑張っても、幸せであり続けることはできないのだなあ、と感じました」。立山の言葉に、荒川は、深くうなずいた。
塾講師の西田は、指示棒を手に熱く語る。
「イギリスの劇作家・バーナードショーが、『人生には、2つの悲劇がある。1つは、手に入れたいものが、手に入らなかった悲劇。もう1つは、手に入れたいものが、手に入ってしまった悲劇』と言っています。大きな目標を果たしたけれど、自分が求めていたものって何だったのかな。そんなむなしさが出てきてしまう。これが達成した悲劇と言うのでしょう」。
熊谷ララが手を挙げた。
「私も、文化祭とか、コンクールで、こんな感覚になりました。今まですごく準備頑張ったほど喜びも大きいんだけど、当日になると、なぜか、始まったあたりから、『何か足りない。こんな感じで終わってしまうの?』と感じてしまうんです。片付けをしていると、むなしさがこみ上げてきちゃって」
すると、今まで黙っていた赤城晴美が口を開いた。
「ララちゃんの言うことは分かるけど……。だったら、達成直前のワクワクが、ずっと続けばいいんじゃないですか?ほら、次から次にチャレンジし続ければいいんですよ」
勢いよく言う晴美をまっすぐに見つめ、問いかけるように、西田は、言った。
「ずっと達成直前ということは、ずっと欲しい幸せにたどり着いていないということです。よく、ハムスターがかごの中で遊べる、グルグル回る車輪があります。絶対に食べられないエサに向かって、真剣に車輪を回していますが、もうたどり着けない、ちょうどそんな状態が、幸せと言えるのでしょうか。馬が鼻先にニンジンをぶらさげて走っているような状態が、最もよいということなのでしょうか?」
晴美は、腕を組んで考え込んでしまった。
「手に入らなければ、幸せとはいえない。手に入っても幸せになれない。達成直前の心の状態にとどまり続けることもできない。これじゃあ、幸せを求めて生きているのに、どうあがいても幸せになれない、ということになってしまうじゃないですか!一体、どうしたらいいんですか?」
西田は、一呼吸置くと、皆に向かって力強く言った。
「そんな私たちに、『変わらない、崩れない幸せがあるんだよ』と示している本が、鎌倉時代の有名な古典『歎異抄』なのです。『歎異抄』には、「摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)」という幸せがある、と書かれています。『利益』とは、もともと仏教の言葉で、幸せということです。『摂取』とは、がちっとおさめとる。『不捨』というのは、捨てない。摂取不捨の利益とは、変わらない、ずっと続く幸せのことです」
立山は、「そんな幸せがあるんですか?」と目を丸くする。
西田はうなずき、続けた。
「ハッキリ書かずにいられない、あふれる喜びの世界の厳存を、『歎異抄』からはビンビン感じるのですよ。20世紀を代表するドイツの哲学者・ハイデガーをはじめ、『歎異抄』に何かを感じる人は多いです。本当の幸せは、あります。死ぬまで幸せになれないのではなく、生きている時に、ハッキリと本当の幸せになったというゴールがあるんだよと教えられています。『歎異抄』の中に、答えがハッキリ説き示されているのです」
ニンジンを追いかけていただけだった
ここで西田は、俊介のほうに向き直った。
「荒川さん、先ほど、何のために働くのか、わからなくなった、とおっしゃいましたね」
「はい、目標は営業数字なのですが、でも、数字を達成すれば済む話なのか……。先日、同期が疲れ切った様子で言い捨てたんです、お客さんの顔が数字にしか見えないって。それでわからなくなったんです。何のために働くのかって」
「そうでしたか……」
西田は一呼吸置いてから場を見渡した。
「直接の答えになるかどうかわかりませんが、私もちょっと、個人的な話をさせてもらいますね。私も昔、営業数字に厳しい会社で働いていたんです。当時のメンバーにとって、毎月の目標達成がすべてでした。まさにお客さんイコール数字、でしたよ。ですが、あることを機に、180度考えが変わりました。ね、島田部長」
画家の島田宗吉は、含みのある笑いを返してみせた。
「みなさんの学びのために、部長の話をさせていただいていいですか」
西田が訊ねると、島田は肩をすくめ、「くだらん話だけれど」とあごをしゃくった。
「当時、その会社で島田部長と言えば、泣く子も黙る鬼部長でしたよ。あるメーカーの販売代理店だったのですが、全国でも売上はトップクラス、表彰台の常連で、メーカーさんからの信頼も絶大なものでした。それはひとえに、島田部長の情熱的な営業活動あってこそ。夜討ち朝駆けも何のその、まさに24時間働く企業戦士でした」
老画家の意外な過去に、みな驚きを隠せずにいる。
「売上記録を打ち立てては自分で塗り替えていく姿に、みな憧れたものです。だから、島田部長率いる営業2部に配属されたときは興奮しました」
「だけど、お前が配属された直後だったな、俺が倒れたのは」、島田がくつくつと笑う。
「何でこんな話を蒸し返すのかわからんが、まあ仕方ない。みなさん、私はこちらの西田先生のかつての上司というわけですわ。私が栄華から転げ落ちていくブザマな様子を、この人は見ちまったわけです」
「そんなことはありません。私はあれで人生が変わったんです」。そう言うと西田は、参加者のほうに向き直る。
「島田部長は、ある日、心身ともに限界を超え、倒れてしまいました。ちょうど配属されたばかりの私は、入院中の部長に書類やら何やらを届ける役になりまして。いろいろ話を聞くうちに、数字がすべてだと思っていた私の常識が、だんだん変化していきました。そのときの言葉は、いまでも忘れません」
気恥ずかしいのか、島田は目を閉じている。
「部長はこう言ったんです――西田、『歎異抄』にはこう書かれている。『煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あることなし』とな。俺は営業成績だけを求めて、全エネルギーを注いできた。数字をどう上げるかだけを考えてきた。だが俺は、幻を追っていたんだよ。自分でニンジンをぶら下げて、そのニンジンを追いかけていただけだった。とんだ独り相撲だ――と」
「もういいだろう、それくらいで」、島田がかぶりをふった。西田がうなずく。
「みなさん、それから私は、『歎異抄』を読み始めました。ちょうどそのころ手にした雑誌に『歎異抄』が特集されていましてね、のめり込むように学びました。そうして、私の仕事に対する考え方が変わっていったんです」
改めて西田は『歎異抄』を手に取ると、ページを開くよう促した。
「人生は何のためにあるのでしょうか。それこそが、最も大切な問いなのです。普段は目の前のことに忙殺されているかもしれません。でも、いつもの仕事から目線を上げてみてください。視野を広げてみてください。実は、私たちにとって大切なことが、『歎異抄』の今読んだ箇所に、ハッキリ示されているのです」
俊介は後ろ頭をバーンと叩かれたような衝撃を味わっていた。その様子を、島田が温かく見つめていた。
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