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誰かを幸せにしたい!
2月の『歎異抄』勉強会の日。
いつものようにオーシャン学習塾のドアを開けると、教室の半分が帽子に占拠されていた。
「わあ、何これ!」、ララが歓声を上げる。
「この帽子、レースがついてて、すっごくかわいい」、晴美も目を細める。
「西田さん、帽子屋さんでも始めたんですか?」
西田が奥からニコニコ笑いながら出てきた。
「ああ、実は明日の午前中、ここで帽子作家の方の講座があるんですよ。その準備もあって、散らかっていてすみません。今日の勉強会は奥のテーブルでやりましょう」
「ここ、学習塾だけじゃないんですね」
「午前中は教室が空いているので、近隣の方々に開放しているんです。1人でも多くの人が幸せになれる場になればいいなと思いまして。この帽子作家の方は、塾生のお母さんなのですが、最近すごく人気なんですよ」
「へえ、西田さん、そういう活動もされているんですね」
「この塾の存在が誰かが輝くことに関与できたら、それが何よりの幸せなので……。さあ、時間ですね。始めましょうか」、西田が声をかけると、みな席に着いた。
「センセイ、ひとつ報告してもいいですか?」、ララがいたずらっぽく笑った。
「この勉強会に参加するようになって、幸せについて、よく考えるようになったんです。自分もそうだけど、周りの人にも幸せになってほしいなって思うようになって。私たちが追い求めている『幸福』について、じっくりと考えたことがなかったので、とても面白いです」
「そうでしたか。それは素敵ですね」
「それで、この前、バイト先の喫茶店で、アイドルもいいけどお店にも貢献してよって店長に言われて、私、直接聞いてみたんです。この喫茶店の目的って何ですか? お客さんの幸せのために、私にもできることありますか? って」
西田がにっこり笑って先を促した。
「店長、びっくりしていましたよ! あんな顔見たの初めて。でも、スパッと即答してくれました。うちの店の目的、目指しているのは、お客さんが過ごしたいように過ごしてくれることだよって」
(ほお……)立山豊が身を乗り出す。
そして店長は、せきを切ったように語り始めたのだと言う。
「あの窓際のお客さんは高校生だろうね、参考書を開いて真剣に考えている。そっとしておいてほしいだろうな。奥にいるおばあさんは、よくこの時間帯に来るよな。お孫さんの話をするのが大好きだ。ニコニコしてこっちを見ているのは、手が空いたら話しかけてちょうだいね、という意味だ。カウンターの男性、あの人はコーヒーに詳しい。ほら、豆の棚をじっと見ているだろう。香りや味をじっくり楽しんでいる。たまに私とコーヒー談義に花を咲かせるときもある。
いいかい、ララちゃん。お客さんが来たら、静かに観察するんだ。じっと見つめたらいけない、さりげなく、だよ。その振る舞いから、うちの店でどんな時間を過ごしたいかを想像してみる。それを、ララちゃんが提供するんだ。感性がなければできないし、間合いも大事だ。お客さんに合わせて、表現力とか演技も必要になるかもしれない。いいレッスンになると思うよ」
店長の口まねをひとしきり終えると、ララは頬を上気させて西田に話しかけた。
「だから私、実際にやってみたんです。そうしたら、お客さんたちの反応がガラッと変わりました。これまでは単にお姉さんって呼ばれていたのに、常連さんがみんな、ララちゃんって呼んでくれるの。この間なんて、ララちゃんはこの店のアイドルだね、だって!」
「夢、叶ったじゃないか」、思わず豊がからかう。
「ふふふ。働くのが楽しくなってきました。西田センセイ、ありがとうございます!」。ペコリと頭を下げた拍子に、ポニーテールがぴょんと弾んだ。
『幸福』という漢字の語源
西田は『歎異抄』を掲げて、響き渡る声で話し始めた。
「まさに今日のテーマ、“幸福”に関するものですね。ララさんが素敵なガイドをしてくれたので、このまま説明に入りましょう。誰かに幸せになってもらいたい、という気持ちは、とても素敵ですよね。その時には、そもそも幸せって何なのか、どうすれば自他ともに幸せになれるのかをよく知らなければなりません。前回は、生きる目的は幸せ。なのに、なぜ幸せになれないのか?そんな話をしていました」
西田が、前回の内容を振り返る。
「『自分がこれが幸せ、と思えるものを見つけて、それを貫いて、達成して、人生の意味が満たされる、幸せになる』。実は、みんなが信じて疑わない、この『幸せの方程式』には、致命的な、問題点がある、というお話をしていました。それは、実は、この図式で、幸せになりきれた人はいない、ということです」
荒川俊介は、ポカンとした顔で、「ん?どういうことですか?」と西田の顔を見た。
「もちろん、例えば、金メダルを取った選手に、『あれは幸せになりきってないんだ』などという失礼なことを、ここで言うつもりはありません。しかし、オリンピックでメダルを取った人は、5年後も、その喜びが続いているのでしょうか。私たちは、先の幸せの方程式で、一時的には幸せになれるのですが、続かない。そういう意味で、幸せになりきった人がいない、と述べたのです」
「う~ん、言われれば、確かに、思い当たる節があります」、俊介が姿勢を正して答えた。
「僕ら広告営業は毎月、目標数字に追われています。最初は、広告業って勝ち組だなって思ってたんです。華やかだし、カッコいいし、給料もいいですしね。でも、いつも他の支社と比べられ、みんな余裕がなくて、目標未達なら叱られ、達成しても、その達成感はしばらくの間です。すぐに次の目標への貢献が期待される。何のために働くのか、それすらもわからなくなってしまうメンバーもいます」
突然ポキッと心が折れてしまったトップ営業マン、足立涼平の様子を思い出し、俊介はまた胸が苦しくなった。
「荒川さん、ありがとうございます。何のために働くのか――とても大切な問いだと思います。そこでなぜ、こういうことになってしまうのか、『幸福』という漢字の語源から、お話ししましょう」
西田は、ホワイトボードに「幸」「福」と分けて書き込んだ。
「まず『福』の字から見ていきましょう。この字は大きく3つのパーツに分けられます。左側の『ネ』、右上の『□の上に一』、右下の『田』の3つです」
それぞれのパーツを、西田は赤丸で囲む。
「左の『ネ』ですが、これはもともとは衣偏(ころもへん)でした。ですから、この部分は『衣服』を表します」
「右下の『田』。これは米を作る『田』、つまり『食』を象徴しています」
「では、右上の『□の上に一』は何でしょう。『衣』『食』ときましたから、予想がつきますね」
荒川が言う。「えっと、家、ですか?」
「そう、『□の上に一』は、家の象形で『住まい』です。つまり『福』の1字は『衣食住』がそろっていることを表していたのですね。確かに『衣食住』に恵まれていれば、幸せでしょう」
西田は、それぞれのパーツから赤線を伸ばして、衣・食・住の3文字を書き入れた。
「次に『幸』。こちらは難易度が高いです。実は、この字は『手かせ』を描いた甲骨文字なのです。現代でいえば、『手錠』に当たります。『手錠』と『幸せ』では、イメージは正反対ですね。一体どういうことでしょう」
西田の問いかけに、みなそれぞれに考え込んだ。
「この語源について、漢字学の権威である白川静氏の説を紹介しましょう。古代中国は、罰が、ものすごく厳しかった。足を切るという罰もよく執行されましたし、首を切る、腰を切る、体を切り刻む、手足を四方、動物に縛りつけ、動物が走りだすと体が裂けるなどなど。そのような罰を受けずに『手かせ(手錠)だけなんて、なんて、幸せなんだろう!』という文字の意味だ、と言うのです。つまり、『幸せ』は、比較して感じるもの。あれよりまし、あの人よりいい、という相対的に感じるのが『幸せ』ということ。これが『幸』の語源なのです」
西田の説明に、晴美がへーと相づちを打った。
「このように私たちが日々考えている幸せは、すべて相対的ですから『相対の幸福』といえましょう。テストの点数だと分かりやすいですね。例えば、数学のテストが70点だったとします。これだけでは喜ぶべきか悲しむべきか分かりません。気になるのは、友だちの点数です」
ララが深くうなずき、実感を込めて言う。
「確かに、『今回は難しかったから、平均点は50点だったよ』って先生から発表があれば、70点はかなりいい点数だから喜べるけど、『今回は問題が簡単すぎたな。平均点が90点だった』と言われたら、70点はかなり悲しい結果だもんね」
「そうだね、ララさん。比較して、善しあしが分かり、喜びもし、悲しみもする。このように、私たちの求めている幸せは、すべて、それ自体では幸せかどうか分からず、比べて初めて分かる『相対の幸福』なのです」
「相対の幸福、かあ……」、荒川がつぶやく。
「この相対の幸福は、分かりやすく、いいなあ、と思えるものなのですが、比べるが故に、本当に安心したり満足したりできない、という問題点があります。よく『隣の芝生は青い』と言いますが、つい自分と比べてしまって『何であの人だけ幸せそうなんだろう』と思ってしまうのです」
(つづきはこちら)
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