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天才・李白は苦労人|李白の詩に学ぶ人生

こんにちは、齋藤勇磨です。

皆さんは、中国・唐の時代の有名人、李白(り・はく)をご存じでしょうか。

李白は、杜甫(とほ)、白居易(はっきょい)と並んで、絶賛を受けた詩人です。

「あ、漢文の授業で学んだことある!」と思い出した人も、いるかもしれませんね。

自由奔放でスケールの大きい李白の作品は、高く評価され、彼は後世の人々から「詩仙」と呼ばれました。

また、酒好きで知られ、友達の杜甫からは「李白一斗詩百篇」(酒を一斗あおれば百首の詩を作る)とも評されています。

「さぞかし、悠々自適の日々を送ったのだろう」と思われがちですが、実は、彼の一生は挫折の連続だったと言われているのです。

波瀾万丈の李白の生涯を振り返りつつ、有名なエピソードや詩を紹介します。

李白、青年期のエピソード|鉄杵(てっしょ)を磨く

李白は701年、唐の時代に生まれました。1300年ほど前のことですね。

生まれた場所は西域、中央アジアだったようです。

李白一家はその後、蜀(四川省)に引っ越し、青年になるまで、ここで暮らしたと言われています。

李白はこの時期、ある山で、詩や文章の勉学に励んでいましたが、途中でイヤになって投げ出してしまいました。

帰ろうとして、小川を渡った時、鉄製の大きな棒を、一心不乱に磨いている女性に出会ったのです。

よく見ると、その鉄の棒は、臼で穀物をつく時に使う杵の一部のようです。

不審に思った李白が尋ねました。

「なぜ、そんな鉄の棒を磨いているのですか」

「どんどん小さくして、一本の針を作ろうと思っているのです」

あきれた李白は、思わず言います。

「そんな太い鉄の棒を、いくら磨いても細くはならないでしょう。まして、布を縫う時に使う針など、作れるはずがない!」

しかし、彼女は、静かに答えました。

「やってもいないのに、どうして分かるのですか。この世には、一生懸命にやって、できないことは、一つもないと思います」

この言葉に感動した李白は、再び、山への道を引き返し、勉学に励む決意をしたといいます。

以後、李白は幾多の困難に直面していきますが、「鉄の棒を磨いて針を作る苦労に比べれば、これくらいは苦労とはいえない」と奮起し、努力を続けたのでした。

この時の逸話から、「鉄杵(てっしょ)を磨く」という故事成語が生まれたといわれています。

李白、苦難の連続|目はギラギラ、口は飢えた狼

李白は20代半ばで故郷・蜀を離れ、長江を下って江南へ向かいます。

地方の有力者の門を叩き、自分の才能を売り込んで宮廷に推薦してもらおうと考えたのです。

まるで、都会に出てスカウトを狙うストリートバンドのようですね。

それから十数年、結婚し、子供にも恵まれましたが、なかなか売れません。

それでも李白は夢をあきらめず、各地を流浪しています。

李白42歳の年、知り合いの推薦により、ついに李白は唐王朝、時の玄宗皇帝から直々に招かれましたが、ようやく認められたと思ったのもつかの間、たった2年で朝廷からお払い箱となります。

李白44歳、2度目の放浪は青春時代の漫遊とは違い、先に希望がありません。

なんとか食いつなげる地方の有力者を求めての旅でした。

とはいえ、無為徒食の人間をいつまでも暖かく歓待してくれるほど、この世は甘くはないでしょう。

冷たくあしらわれることも多々あったに違いありません。

当時の李白の様子を、彼の知人は、「その目はギラギラと光り、口は飢えた狼のよう」(『李翰林集序』)だったと表現しています。

苦しい人生の中で、李白は62歳で亡くなるまで、数多くの傑作をものにしていったのでした。

李白、名詩から生まれた故事成語|浮生若夢

そんな彼の詩に由来する四字熟語が、【浮生若夢(ふせいじゃくむ)】です。

【浮生は夢の若し】と訓読みされ、人生は夢のようにはかないものであるという意味です。

李白の「春夜 桃李園に宴する」という詩の序文に由来しています。

余談ですが、松尾芭蕉『奥の細道』の冒頭「月日は百代の過客にして…」も、この序文を参考にしているそうです。

夫れ天地は萬物の逆旅(ゲキリョ)にして
光陰は百代の過客なり
而して浮生は夢の若し
歡(カン)を爲すこと幾何(いくばく)ぞ……。

人生への思いをつづった長い詩です。

冒頭を意訳してみましょう。

この世は、人々の旅の宿のごとく、

時の流れは、永遠の旅人のようなもの。

しかし人生ははかなく、まるで夢のようだ。

楽しいことも、長くは続かない。

昔の人が灯火のもとで夜更けまで飲み遊んだのは、

まことにこのむなしさのゆえなのだ。

酒と快楽に生きたはずの天下の詩人・李白の言葉には、どこか寂しさを感じます。

李白の、こんな詩節も残されているのが、その証左でしょう。

刀をぬきて水を断てば水は更に流れ
杯を挙げて愁を消せば愁は更に愁う

(宝刀で水の流れを断ち切っても、決して水は断ち切れないように、どれだけ酒をあおっても、人生の憂いは断ち切れず、増すばかりだ)

「浮き沈みの激しい不安定な一生だ。苦労もすべて、むなしく夢と消えていく。酒がなくても、この人生の憂いを解決できる道はないのか」

李白は、本当は、そう叫びたかったのかもしれません。

古今変わらぬ浮生のすがた

翻って、現代の私たちはどうでしょうか。

地震や大雨による天災、突然の感染拡大、それにともなう様々な生活不安……。

1300年前の李白だけでなく、いつどうなるか分からず、不確実性の高い現代の私たちもまた、浮生といえるかもしれません。

そんな浮生にあって、確かな人生の指針はないか、李白ならずとも、知りたくなります。

そんな私たちの求めに詳しく答えられているのが、仏教思想です。

世界的ベストセラーとなった『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)にはこう書かれています。

他のどんな信条と比べても、幸福の問題を重要視していると考えられる。2500年にわたって、仏教は幸福の本質と根源について、体系的に研究してきた。

実は、仏教には、浮生のすがたのままで、「人間に生まれてきたのはこのためだった」といえる本当の幸せが教えられているのです。

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この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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