人生の目的

特集:人生の目的 私たちの確実な未来 「アリとキリギリス」の教訓

もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてみましょう。

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◆第5章◆ 生と死

(1)私たちの確実な未来 「アリとキリギリス」の教訓

「死」は、私たちの確実な未来であり、だれ1人として避けることはできません。
しかもそれは、生ある者にとって、最大の恐怖であり、最大の悲劇です。
では、どうすればいいのか。

「死ぬことを考えるから暗くなるのさ。今を楽しく生きようよ」 という人が多いのですが、本当にそれで、後悔のない人生にできるでしょうか。イソップ寓話「アリとキリギリス」でも教えられています。

真夏の太陽の下、陽気で楽天家のキリギリスは、得意のバイオリンを弾いて、歌って、遊んでばかりいる。
しかし、勤勉なアリたちは、寒い寒い冬に備えて、食糧集めに、せっせと働いている。

「君たち、なぜ、遊ばないんだ。こんなに天気がよくて気持ちがいいのに」

キリギリスは、汗を流して働くアリをバカにしていた。
アリは忠告する。

「あなたは、雪に覆われた寒い冬がきても、その調子で浮かれているつもりなの」

キリギリスは、笑って答える。

「冬? そんなの、ずっと先のことじゃないか。遊ぼう、歌おう、踊ろうよ」

季節は、確実に巡る。青々と茂っていた葉も、少しずつ茶色になり、枯れていく。
やがて雪が降り出した。ついに冬が到来したのだ。一面の銀世界。アリたちは、夏の間から準備してあった暖かい住み家で楽しく過ごしていたが、キリギリスは、飢えと寒さで、身を寄せる所もなく、泣くばかりであった。

夏の次は秋、そして冬が巡ってくることは明々白々。疑う余地がありません。
必ずやってくる一大事に対して何の対策もせず、遊んで暮らす。これほど愚かしいことはないでしょう。

人生また然り。やがて必ず襲ってくる「死」を忘れ、「楽しい生き方」ばかり追求していたのでは、キリギリスと同じ結末を迎えるのは、火を見るより明らかでしょう。

(2)恐れを知って 恐れない者こそ

古来、 「恐れを知って、しかもそれを恐れない者こそ、真の大勇気者である」 といわれます。

赤ん坊が、アイロンを平気で触りにいくのは、勇気があるからではない。危険を危険と知らないからです。 「死」の恐怖の本質を知ったうえで、いかに「死」を超えるか――、それこそ、「人生の目的」を果たす重要なポイントです。

知識人の中には、「人間は死んでいくんだ、人生とは残酷なものだ、と、自然に受け入れよ」と諭している人もあります。理屈はそうかもしれませんが、肉親の死にあえば号泣し、自らの死におびえるのが人間の感情です。なくそうと努めてなくせるものではありません。意識より、もっと奥深い所から込み上げる魂の戦慄なのです。

『世界の名言』(梶山健著)によると、かの夏目漱石が、最後の息を引き取る前に、にわかに首を振りながら 「ああ苦しい、ああ苦しい、いま死んじゃ困る、いま死んじゃ困る」 と苦しみ悶え、周囲を驚かせた、とあります。周囲が驚いたのは、漱石の人生観である「則天去私」と大きく矛盾する言動だったからですが、人間、死に直面すれば、演技する余裕も、意地も我慢もなく、観念的な死の解決は吹き飛んでしまうことを、多くの人が臨終に証明しているではありませんか。

(3)「死ぬ」と思えぬ心  知識と実感は、大違い

「生」の喜びを根底から覆すもの、それが「死」です。だからこそ、「死の実体」を、いかに正確につかむかが、真実の幸福への糸口となります。

医師から、至急手術をしなければならぬと言われた時、眼前が真っ暗になり、足元が崩れるような気がしたとよくいわれます。
それは手術が怖いからではなく、死ぬのが怖いからです。

病院へ入る、手術を受ける、腹が切り開かれ血がたくさん噴き出る、あと縫い合わせてうまくゆくかどうか、医師や看護婦に絶対失敗はないか。
診断の間違いや、手術のミスや、ちょっとした手落ちで死ぬことがある。
腹を開けてみたら思ったより重症で手術ができず、そのまま縫い合わせたという話も聞く。
自分の場合もそうではなかろうかという不安に襲われる。
死ねばどうなるのだろう。他人は私の死体を火葬場に運び、焼いて灰にするだろう。この肉体が灰になるとは、とても信じられない。目が見えなくなる。物音が一切聞こえなくなる。自分というものがなくなる。
こんな恐ろしいことがあるだろうか。
「助けてくれ、助けてくれ」
そう言って、そこらじゅうを這いずり回って助けを求めたい気持ちになり、ただ怖いだけ。

平生どんなに、理想とか真理とかを口にし、知識や教養を山積みしていても、すべてが音をたてて崩れ去り、何の支えにもならないことが、その時ハッキリと知らされることになります。
臨終になって、 「いま死んじゃ困る……」 と叫んでも、手遅れです。

人間は皆、死ぬ、分かり切ったことです。
しかし、すぐ死ぬとは、だれも考えていません。
ということは、本当に自分が死ぬとは、だれ1人思っていないということです。
知識では知っていても、実感がまったくないのです。
己の死の直前まで、人間はそのことについては完全な目隠しをされているのです。だから、どれほど想像力をたくましくしても、死の実体には遠く及ばないのです。

その 「目隠し」 をはずされた時の恐怖は、 「目隠し」 されていた時のそれどころではないことを、お釈迦様は、2600年前から警鐘乱打なされています。
ここに、死を超える永遠の生命とは何か、の真実の仏法への入門があります。

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