人生の目的

特集:人生の目的 文明は人類を幸福にしたか 『サピエンス全史』の衝撃

もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてみましょう。

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◆第6章◆ 苦悩の根元

(1)文明は人類を幸福にしたか 『サピエンス全史』の衝撃

文明は人類を幸福にしたのか?この衝撃的な問いが、一冊の本をきっかけに、話題になっています。イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の書いた『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』。人類の歴史を、人は幸福になれたか、の視点から問い直した書です。

7万年前、まだアフリカの片隅で生きていくのに精一杯の動物だった人類が、なぜ今日の繁栄を築くことができたのか。それは目に見えない虚構を信じる力による、と著者は主張します。人類だけが、目に見えないものも認知し、伝説や神話、宗教を生み出した。その虚構を多くの人が信じることで、他の生物を凌いで全地球の覇者になることができたというのです。そして我々が日常信じている会社や貨幣や国家、さらには人権や平等や自由までもが虚構だといい、中でも「貨幣は最も普遍的で、最も効率的な制度」と断言します。

確かに人は皆、何かを信じて生きています。1枚の紙幣で1万円の買い物ができるのは、その紙幣にそれだけの価値があると、みんなが信じているから。 「金があれば幸せ」という「金信心」は人類の普遍的で強固な信心でしょう。では、そんな虚構を信じて生み出された文明は人類を幸せにしたのか。著者は、「あとがき」にこう書いています。

「不幸にも、人類による地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない」

私たちは地上を征服し、都市や国家をつくり、地球規模で物や情報が飛び交うようになりました。
「だが世の中の苦しみの量を減らしただろうか?(中略)個々の人間の幸福は必ずしも増進しなかった」と、著者は断定しています。

人間は「豊かになれば幸福になれる」と信じ、さまざまな努力を積み重ねてきました。その結果、20世紀にはかつてないほどモノがあふれ、快適な生活が実現しました。

高速道や新幹線など交通網の整備によって移動時間は劇的に短縮し、飛行機で海外旅行も当たり前に。テレビは白黒からカラーになり、膨大な動画コンテンツがインターネットで見られるようにもなりました。が、果たして白黒テレビの時代より、家庭に幸せな声があふれているでしょうか。

台所には、炊飯ジャーや電子レンジ、冷蔵庫がそろい、掃除や洗濯にも便利な製品が続々登場しています。昔に比べれば格段に家事の手間が省け、楽になったはずですが、私たちは幸せを実感しているでしょうか。

「便利にはなった。けれど幸福になったとは言い切れない」というのが多くの人に共通する感覚ではないでしょうか。まさに20世紀は「金や物が豊かになれば幸福になれる」という考えが迷信であることを証明した世紀、ともいえるでしょう。そして21世紀。私たちは向かうべき方角を見つけたでしょうか。

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいう
噫、われひとと尋めゆきて
涙さしぐみ、かえりきぬ
山のあなたになお遠く
「幸」住むと人のいう
(カール・ブッセ)

この詩を上田氏が『海潮音』で日本に紹介したのは、20世紀初頭の明治38年(1905)でした。

幸せは山のはるかかなた、いくら望んでも手に入らない。そんなあきらめが共感を呼んで有名になった詩です。英訳では、2行目の「人のいう」は「Tell the People」で「人間一般」の「人」ですが、次の「われひとと尋めゆきて」の「ひと」は「the others」で「他人」。訳者は「人」と「ひと」と、表記をかえることで原文の意味を区別したようです。さらに原文では、尋めゆく人たちの姿を「in Schwarmen」(群れをなして)と表現しています。仏教には、人類を「群生海」とか「群萌」と表現した言葉がありますが、まさに「群れをなして」幸せを求めながら誰一人「幸」を得ることなく、涙ながらに帰っている繰り返しが、人類の営みといえるかもしれません。

カール・ブッセの詩から1世紀。相変わらず、「涙さしぐみ、かえりきぬ」私たちは、幸せは山のはるかかなた、手の届かぬものとあきらめるしかないのでしょうか。

実は、『サピエンス全史』の著者は、本の最後に、仏教に深い関心と期待を寄せています。他のどんな宗教と比べても、 「仏教は幸福の問題を重要視し、2500年にわたって、幸福の本質と根源について、体系的に研究してきた」。そして、幸福に関する最新の学問的な研究を、仏教はすでに先取りしている、と述べています。事実、「お金や物が豊かになっても人間は幸福にはなれない」 という人類が21世紀に到達した結論は、2600年前、すでにお釈迦様によって明らかにされています。

(2)有っても無くても苦

「金や物が豊かになっても、人間は幸福にはなれない」 。この真実を、お釈迦様は一言で「有無同然(うむどうぜん)」と説かれています。以下が、その経典の言葉です。

「田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共に之を憂う。有無同じく然り」 (大無量寿経)

この言葉は、次のような意味です。

『田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、有れば、管理や維持のためにまた苦しむ。その他のものにしても、みな同じである。ゆえに、憂(うれ)いは、有る者も無い者も同じなのだ』

金、財産、名誉、地位、家族、これらが無ければないことを苦しみ、有ればあることで苦しむ。それはちょうど、有る者は「金の鎖」、無い者は「鉄の鎖」につながれているようなもので、材質が金であろうと鉄であろうと、苦しんでいることに変わりはない。これをお釈迦様は「有無同然」と説かれています。

「有無同然」を実証する事例は世の中にあふれていますが、こんな有名な話があります。主人公はアメリカ人のシーラーさん。独身女性のシーラーさんは、「お金があれば幸福になれるに違いない。自分は貧乏だから苦しいんだ」と思い、夢を託して宝くじを買った。なんと5500万ドル(当時約74億円)の大当たりを射とめてしまった。これで人生はバラ色と、天にも舞う心境である。

ところが当選発表のあった日から、シーラーさんの家の電話は鳴りっぱなし。結婚の申し込みが殺到したのである。アメリカ各地からだけでなく、オーストラリアからもプロポーズの電話がかかったという。断り切れないシーラーさんは、ついに家の電話番号を変えざるをえなかった。 「うれしい悲鳴」と笑ってはいられない。シーラーさんは独身といっても当時63歳だった。なぜ、その年になって急にもてるようになったのか。なぜ会ったことも、声を交わしたこともない男性から結婚の申し込みが殺到したのか。魂胆は見え見えである。賞金が目当てなのだ。

ところが他人ばかりではなかった。親戚、友人、知人までが、 「お金を少し貸してほしい」 「資産を倍にする方法があるよ」 と言いながら、ニコニコと近づいてくる。だれが、本心から自分のことを考えてくれているのか、さっぱり分からなくなり、シーラーさんは人間不信に陥ってしまった。
「確かに、お金には不自由しなくなったけれど、心が寂しい。だれも信用できなくて、苦しい」 と、シーラーさんはしみじみ述懐したといいます。

お金だけではありません。地位や名声、その他のどんなものを手に入れても、同じです。1960年代に伝説的な成功をおさめたロックバンド、ビートルズが解散する前年、リーダーのジョン・レノンは、記者会見で、こう語っています。
「ビートルズは成功し、ツアーをやめ、欲しいだけの金や名声を手に入れ、最後に、自分たちは何も手にしていないことに気づいた」(デヴィッド・プリチャード/アラン・ライソート(著)加藤律子(訳)『ビートルズ オーラル・ヒストリー』)

お釈迦様が「有無同然」と説かれるとおり、金や物が有っても無くても、人生が苦しみであることは変わらないのです。 それは、なぜなのでしょうか。

(3)苦悩の根元を明かす仏法

2600年前、インドで最強を誇ったマガダ国の首都・王舎城にも、「有無同然」の苦しみを味わっている国王夫妻がありました。
最初は、子供のないことを苦しんでいた2人でしたが、念願かなって男の子が生まれてから、さらに苦しみが大きくなりました。成長するにつれ、親を親とも思わぬ凶暴な子供になっていったからです。
わが子の暴力に、この世の地獄へ転落していった王様夫妻は、お釈迦様の説法に救いを求めました。初めて仏法を聞きに来た王夫妻に、お釈迦様は、次のように説かれました。

「人々よ。心の頭(こうべ)をたれて、我が言葉を、聞くがよい。
人は、苦をいとい、幸せを求めている。だが、金を得ても、財を築いても、常に苦しみ、悩んでいる。
王や貴族とて、皆同じである。それは、なぜか。苦しみの原因を、正しく知らないからである。
金や名誉で、苦しみはなくならぬ。無ければ無いで、苦しみ、有れば有るで、苦しむ。有無同然である。毎日を不安に過ごしている。たとえば、子供のない時は、ないことで苦しみ、子供を欲しがる。しかし、子供があればあったで、その子のために苦しむ。

この苦しみの原因は、どこにあるのか。それは、己の暗い心にある。
熱病の者は、どんな山海の珍味も、味わえないように、心の暗い人は、どんな幸福も、味わえないのだ。
心の闇を解決し、苦しみから脱するにはただ仏法を聞くよりない。
この法を求めよ。心の闇が破れ、真の幸福が、獲られるまで。たとえ大宇宙が火の海原になろうとも……」

ここでお釈迦様は、なぜ私たちが、何を手に入れても「有無同然」で苦しみから解放されないのか。その理由を、明快に説き示されています。 それは「心が暗いからだ」と。

「熱病の者は、どんな山海の珍味も、味わえないように、心の暗い人は、どんな幸福も、味わえない」

これが、古今東西の人類が、幸せを求めながら幸せになれない原因であるとお釈迦様は突き止められ、本当の苦しみの根元と、その解決の道を説き明かされたのです。

肉体の病でも、まず第一にすべきことは、苦しみの原因を正確に知ることでしょう。「肛門に目薬」のことわざもありますが、原因を見誤って、どれだけ一生懸命努力したところで、解決には結びつきません。
腹痛でも、冷えたのが原因なら温めてもよいが、盲腸炎の場合、温めたら逆に悪化するといいます。原因によって、対処はまったく違ってきます。
「なぜ私たちは、幸福を求めながら幸福になれないのか」 「なぜ、苦しみから離れ切れないのか」。その原因を探求することが幸福への第一歩なのです。その人類の苦悩の根元を明らかにし、解決の道を教えられたのが仏教なのです。

では、お釈迦様のおっしゃる「暗い心」とは何か。これこそ、仏教で苦悩の根元と教えられる「無明の闇」といわれる心であり、「後生暗い心」のことです。

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