「なぜ生きる」の答えはわずか漢字2字で答えられる~幸せと本当の幸せの違い(1)
人生の目的(なぜ生きる・生きる意味)の答えはわずか漢字2字で答えられます。目先の目標にとどまらない、自分が本当の幸せになれるヒント。
もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてみましょう。
「人生の目的」が分からぬ限り、命の重さも、また分かりません。それは大人だけでなく、子供の世界にも深刻な影響を与えています。 「いじめ」は、その典型でしょう。
平成28年(2016)11月、明るみに出た「原発避難いじめ」では、改めて子供たちを取り巻く環境の過酷さを知らされました。原発事故で福島県から横浜市に避難した男子生徒が、同級生から「賠償金があるだろ」と金銭を要求され始めたのは2014年5月。父親が学校に訴えるものの、適切な対応はとられず、「無力感しかなかった」と父親は語ります。マスコミに公開された、生徒の思いがつづられた手記は、小学6年(2015年7月)の時、母親の目の前で書かれたものでした。手記の最後につづられた言葉に胸をつく思いをした人も多いのではないでしょうか。
「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけど、ぼくはいきるときめた」
原発避難いじめに限らず、日本のあちこちで、つらいいじめにあい、ぎりぎりのところで踏みとどまっている子供が、どれだけいるか分かりません。
かつて、愛知県西尾市の中学2年生、大河内清輝君の自殺が、社会に大きな衝撃を与えました。
平成6年11月27日、大河内君は、自宅裏の柿の木で首を吊って死んでいるのを母親に発見されました。葬儀の直後に、次のような遺書が見つかっています。
小学校6年生ぐらいからすこしだけいじめられ始めて、中1になったらハードになって、お金をとられるようになった。
中2になったら、もっとはげしくなって、休みの前にはいつも多いときで60000、少ないときでも30000~40000、このごろでも40000。そして17日にもまた40000ようきゅうされました。だから……。
でも、僕がことわっていればこんなことには、ならなかったんだよね。スミマせん。もっと生きたかったけど……。(略)
何で奴らのいいなりになったか?それは、川でのできごとがきっかけ。川につれていかれて、何をするかと思ったら、いきなり、顔をドボン。とても苦しいので、手をギュッとひねって、助けをあげたら、また、ドボン。こんなことが4回ぐらい?あった。(略)
泳いで逃げたら、足をつかまれてまた、ドボン、しかも足がつかないから、とても恐怖をかんじた。それ以来、残念でしたが、いいなりになりました。(略)
家族のみんなへ14年間、本当にありがとうございました。僕は、旅立ちます。でも、いつか必ずあえる日がきます。その時には、また、楽しくくらしましょう。(略)
まだ、やりたいことがたくさんあったけれど……。本当にすみません。いつも、心配をかけさせ、ワガママだし、育てるのにも苦労がかかったと思います。おばあちゃん、長生きして下さい。お父さん、オーストラリア旅行をありがとう。お母さん、おいしいご飯をありがとう。(略)僕はもうこの世からいません。お金もへる心配もありません。(略)しんでおわびいたします。(略)」
(若一光司著『自殺者 現代日本の118人』)
なんと胸の詰まる事件でしょう。子供の小さい心には、どれだけの負担だったかしれません。
大河内君の遺書が大きな反響を巻き起こし、いじめを見て見ぬふりをしていた学校側の責任が問われました。教育長は市議会で、「教師の未熟さ、情熱のなさが、こんな事態につながった」と陳謝。国会でも村山首相が、「まことに痛ましい事件だ。こうしたことが再発しないよう、内閣としても文部省を中心に対応していきたい」と述べるなど、事件の波紋は文部行政を動かすまでに拡大しました。しかし、昨今の原発避難いじめの告発からもうかがえるように、子供たちを取り巻く過酷な環境も、学校現場の対応も、ほとんど何も変わっていないのではないかという疑念を抱かざるをえません。 それどころか、子供たちに人命の尊さを教え、手本となるべき大人自身が、「どんなに苦しくても生き抜かねばならない理由」に、はっきりした答えを持っていないのが、実情ではないでしょうか。
ある年の12月の、1カ月間の自殺者を調べたら、なんと校長が4人も含まれていました。
『生きる力』を教えるはずの教育現場の責任者が、人生を放棄している。これで、どうして子供の自殺を止められるでしょうか。
校長ともなれば、 「耐えて、投げ出さずに、生き続けなさい」 と子供たちに訓示してきたはず。しかし、実態の伴わない言葉だけでは、苦悩渦巻く人生を生き抜くことなどできないことを、校長の自殺が証明しています。
「どんなに苦しくても、なぜ、自殺してはならないのか」
大人も子供、まず、「人生の目的」をハッキリ知ることが、私たちの急務なのです。
子供たちに教えるべき、最も根本的な『生きる力』とは、「人生の目的」であり、「なぜ苦しくとも生きねばならぬのか」の答えでしょう。
「どんなに苦しくても、生きねばならないのは、人生には、とっても大切な目的があるからだよ」
「あなたの人生には、かけがえのない、崇高な使命がある。尊い価値があるんだよ。だから、その目的果たすまで、何が何でも生き延びて」。子供たちに、そう断言できる「人生の目的」を、あなたは、はっきり知っておられるでしょうか。
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