仕事

仕事

小説『ガラタンッ!』~人生をガラリと変える『歎異抄』(5)

(第1回はこちら)

(前回の内容はこちら)

『歎異抄』勉強会始まる

富山駅から3駅、路面電車を降りて数分のところに、その学習塾はあった。

年季の入ったビルに〈オーシャン学習塾〉という青い看板が出ている。

「『歎異抄』勉強会」の会場は、その2階だった。

第1回目はガイダンスが行われると聞いている。

荒川俊介は、駅で待ち合わせた赤城晴美と一緒に、おそるおそるドアを開けた。

いかにも学習塾らしく、壁には模試の日程や連絡事項、偉人の名言などが、所狭しと張り出されている。

ホワイトボードの前に机がロの字形に組まれており、〈カフェ「スマイル・ウェルカム」〉の立山豊が一足先に座っていた。

知った顔を見つけて、俊介はほっとして声をかけた。

「立山さん、こんにちは。紹介します、こちらが先日お話しした知人の赤城晴美さんです」

「はじめまして、赤城です。今日は便乗させていただき、ありがとうございます。『歎異抄』を買ったのはいいけれど、なかなか読めなくてどうしようかと思っていたところなんです」

晴美は『歎異抄』を胸に抱くようにして、少し緊張気味だ。

「はじめまして。こちらこそよろしくお願いします」。豊は大きな笑顔を見せた。

「大丈夫、初回は全体の説明だけと聞いています。予習はいらないということで、私もまだ読んでいないんですよ。気楽に行きましょう」

俊介も、買ったばかりの『歎異抄』を鞄から取り出し、机の上に置いた。

定刻となり、主宰の西田敦志がさっそうと教室に入ってきた。

「こんにちは! 今日はお集まりいただき、ありがとうございます。私は『歎異抄』勉強会を主催している西田と申します。ご覧の通り、この塾の塾長もやっております。よろしくお願いします」

西田は見たところ、50歳前後だろうか。冬だというのに、白いシャツを若々しく腕まくりしている。

参加者は全部で5名。晴美、俊介、豊のほかに、女子高生と白髪の老人が着席していた。

「これから一緒に読書していく仲間ですから、簡単に自己紹介しましょうか」

「立山です、カフェのオーナーをしています」

「荒川です。フリーペーパーの『マチ・ニュース』ご存じですか? その営業をしています」

「赤城です。研修会社に勤めています。荒川さんに誘われて来ました」

続いて、女子高生が元気よく挨拶する。

「熊谷ララ、高校2年生です! アイドル目指して頑張ってます!」

白髪の老人は、画家だという。70歳は超えているだろうか。西田の古い知り合いらしく、見学に来た、とだけ言って軽く会釈した。

「それでは、さっそく始めましょうか」。そう言うと、西田は1枚の紙を配った。

■勉強会の進め方
・月に1度、1回につき90分の実施
・事前に該当の章を読み、気になるところに線を引いてくる
・当日は線を引いてきたところを読み上げ、コメント(感想、質問、報告など)を発表する
■勉強会の効果
・1人で読書するだけでは気づかない視点を得られる
・会話をすることにより、さらに理解を深めることができる

■課題図書
・『歎異抄』

「最初にまず、この勉強会について説明させていただきますね」。西田が切り出す。

「もともと僕が熱烈な『歎異抄』ファンだと知っている友人たちから、どんな内容なのか、などと相談されることが多かったんです。ただ、せっかく紹介しても、途中で挫折する人もいたりして……」と言いながら一瞬、顔を曇らす。

「それで、『歎異抄』のすごさ、奥深さ、面白さを分かち合いたい、と言う気持ちで勉強会を始めました。立ち上げから、かれこれ10年は経つでしょうか――クチコミでじわじわと話が広がり、いろいろな方に来ていただけるようになりました」

豊は黙って、この会を紹介してくれた、信用金庫の中村の顔を思い浮かべていた。

「さて、勉強会の進め方そのものは、とてもシンプルです。課題となった章をあらかじめ読んできてもらい、気になったところに線を引いてきてもらいます。そして、気になった理由や感想などを報告し合うだけです」

そう言うと西田は、本を高々と上げてみせた。「課題図書は、『歎異抄』です。みなさん持っておられますか」

全員が確認するかのように、それぞれ手元の本に視線を落とす。

「『歎異抄』は700年ほど前、親鸞聖人の弟子・唯円によって書かれたものといわれます。

三大古文として有名で、鴨長明の『方丈記』、『歎異抄』、吉田兼好の『徒然草』の順で、ほぼ60年間隔で成立しているんです。

中でも『歎異抄』の文体には、引き込まれるような魅力があり、全文を暗唱する愛読者があるほどです。

数ある仏教書の中で最も多くの人に読まれている1冊といっていいでしょう」

西田の口調は、次第に熱を帯びていく。

「ただ、古文と聞いて、敬遠してしまう人も多いんですよね。もったいない。『歎異抄』には、いつの世も変わらない人間の心を見つめ、生きる喜びにあふれた悔いのない人生を送ってもらいたい、という願いが込められているんですよ」

豊も、俊介と晴美も、西田の言葉に心が引き込まれる。

さらに一段、西田の声のトーンが上がる。

「私たちは、生きて、何をすればいいのか。その、『なぜ生きる』の答えについてハッキリと書かれ、私たちを勇気づけるメッセージを発しているのが、この『歎異抄』なのです」

その気迫に、参加者の背筋がピンと伸びた。西田の説明は続く。

「『歎異抄』は18章の短文からなります。最初の10章は『ある時、親鸞聖人はこう仰った』と、親鸞聖人のお言葉を記述されたものです。

胸を揺さぶるような名文は、その場の空気が伝わってくるかのような、臨場感にあふれています。

11章から18章までは、親鸞聖人の没後、『オレの言うのが、本当の親鸞さまの教えだ』と、親鸞聖人の教えと異なることを言いふらす者を、見過ごせなかった唯円が、親鸞聖人のお言葉を明示しながら、泣く泣く筆をとって正したものです。

その点からは、11章以降が歎異抄の『異なるのを歎く』部分といえますが、今日はほとんど問題にならないことなので、現代の私たちにとっては、親鸞聖人のお言葉をそのまま記された10章までが、『歎異抄』の真髄といえましょう」

(学生時代の先生も、こんな感じで教えてくれていたらよかったのに)。晴美は、引きつけられる説明に思った。

「親鸞聖人の本当の教えを明らかにするために書き残された『歎異抄』でしたが、皮肉にも後世、その教えを誤解・曲解させる要因ともなりました。

それは逆説的・衝撃的表現の多い『歎異抄』なので、親鸞聖人の教えを正しく理解できなかった人たちが、自分勝手な解釈をしたからに他なりません。

約600年前に現れ、親鸞聖人の教えを日本全国に広く伝えた蓮如上人は、『歎異抄』の、その危うさをいち早く感知され『仏教の理解の浅い人には、読ませないように』と封印したほどです。

それが明治時代に解放されるや、近代化に戸惑う青年たちが続々と『歎異抄』に魅了されていきました。

大正時代の一大ブームを経て戦争に突入し、死を身近に感じた昭和の人々にとって、心の拠り所となっていったのです。

明治時代から現在までに出版された歎異抄と名のつく書籍は、500冊にも上るといわれています」

使命感に燃える西田の瞳。『歎異抄』の教えを伝える役目を、心底、魂から喜んでいるかのような表情だ。

なぜ、生きる?

「この本の美しさは、最初の一文からもう始まっているんです。みなさん、一緒に、冒頭を読んでみましょう。……この書き出しは、心に残りますよ!」

そう言うと、西田はおもむろに読み上げた。

弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなりと信じて、念仏申さんと思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。(『歎異抄』第1章)

西田が読み上げる『歎異抄』の言葉が、朗々と低く教室内に響き渡り、晴美の心は引き込まれた。

「ご覧のように、冒頭から『弥陀の誓願』で始まり、その後も仏教でしか使われない言葉が多く使われていますね。そのために、『歎異抄』を読む人は、長く仏教学者や、哲学者、文学者、知識人が中心でした。親鸞聖人の教えを知っている前提で書かれたものなのです」

西田は説明が流暢だった。いかにも塾講師らしい。

「人は、なぜ生きるのか。その答えを、冒頭にズバリ、『摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)』と仰っています。『利益』とは幸せで、『摂取不捨の利益』とは、『色あせることも薄れることもない、永遠に変わらない幸福』のことなのです」

勢いのついた西田は、美しい字で、ホワイトボードに書き出した。

「センセイ、質問!」。ここで女子高生、ララの手が挙がった。

(えっ、発言するの?)晴美はその積極性に驚き、メモの手を止めて顔を上げた。

西田は「どうぞ」と促す。

「私、アイドルになるためにいろんなレッスンを受けていて、けっこうお金がかかるんです。だから週に1回、近所の喫茶店でアルバイトしてるんですけど……この間、思っちゃったんですよね」

みんなの視線が、ララに集まる。

「――仕事って、基本的には同じことの繰り返しなんだなって。アルバイトの私だけじゃなくって、お店に来る偉い社長さんみたいな男性も、毎週、同じ曜日の、同じ時間に来て、同じものを注文されるんです。毎日同じことの繰り返しなら、どんな意味があるのかなって、ちょっと、考え込んじゃって」

「そうですか、質問どうもありがとう」。西田は他の参加者を見渡す。「実は彼女、うちの学習塾の生徒さんでもあるんです。この塾は一方通行で講義をするのではなく、質問重視のスタイルなのですが、そのなかでもララさんは質問の女王なんです」

熊谷ララは照れくさそうにはにかんだ。

「さて、詳しいことは今後の勉強会で話すとして……今日は簡単に説明しましょう。

『毎日、同じことの繰り返し。こんな人生に意味があるのだろうか』という問いでしたね。

では、どんな人生が、意味のある人生なのでしょうか。

20世紀最大の哲学者といわれるウィトゲンシュタインは、『意味のある人生』とは『幸福な人生』だと言います。

例えば、受験生の目的は、大学合格でしょう。

大学に合格した時、目的を果たした時に、受験生は幸せを感じ、『つらかったけれど、受験勉強を頑張ってきてよかった』と、受験勉強に意味があったと感じられるものです」。西田は続けた。

「そう聞くと、『不幸な人は、生きる価値がないのか』と反発されるかもしれませんが、もちろんそれは誤解です。ウィトゲンシュタインが言いたかったのは、人生に大満足している幸せな人だけが、『私の人生は意味がある』と実感できる、ということです。

たとえ週1回のアルバイトでも、人生の深い洞察は得られるものですね。ララさんが尋ねていることは、言い換えれば、『幸せとは何か』という、古今東西の哲学者が求め続けてきたことと言えるかもしれません」

この説明で、ララは、なぜ生きるのか、という問いを、自分事として感じることができたようだ。

「バイトも、楽しみになってきました!」

「私も、ララさんの質問が楽しみです」。西田がにっこり笑った。「さあ、続けましょう」

「では、生きる意味が実感できる幸せとはどんなものなのか。それが記されている本こそ、実は、この『歎異抄』なのですが、先ほどお話ししたとおり、仏教用語がふんだんに出てきます。

そこで、はじめて『歎異抄』に触れる方には、まず親鸞聖人の教えの全体像を知っていただくことが、『歎異抄』の概要を知るには、とても大事なことなのです。

この勉強会で、親鸞聖人の教えの全体像を知り、『歎異抄』を読めば、古今東西の知識人を魅了する古典の名著を、グーッと身近に感じられるようになられるでしょう」

うなずく参加者に、打ち解けた様子で西田はしめくくる。

「勉強会形式はいろいろな学びがあって面白いんですよ。やはり一人で読むのと違って、気づきもありますし、わからないところもすぐに聞いていただけるので、理解しやすいです。難しく考えず、リラックスして楽しみましょう。本日はこれまで!」

勉強会ガイダンスが終わり、みな帰り支度を始めた。俊介は豊に改めて頭を下げた。

「ありがとうございました、誘ってくださって。本当によかったです」

晴美も興奮冷めやらぬ様子だ。「私もこの勉強、ぜひ続けたいです」

立山も顔をほころばせた。

「自分も感動しています。カフェの開業で心配の種が尽きないところでしたから……絶妙なタイミングでした」

「これも何かのご縁ですよね」と俊介が振り返る。「あのとき晴美と会って『歎異抄』の話を聞いていなかったら……立山さんのオフィスでこのチラシを見かけなかったら……僕は今日ここに来られませんでした」

そこに、ホワイトボードを消し終えた西田が加わった。

「立山さんは、信用金庫の中村さんのご紹介でしたね。お越しいただき、ありがとうございました。荒川さん、赤城さんも、よくいらっしゃいました」

「こちらこそ、来てよかったです」。3人が口々に言う。

「『歎異抄』は、年代を問わず胸を打つのですが、みなさんのように社会人経験を積んだ30~40代の方々にこそ、知っていただきたいと思っています。

成功体験も失敗体験も宝の山のように持っている。けれど、人生の道のり、人生の上り坂は目の前に続く。

努力と根性、がむしゃらの時期を経て、いよいよ意義ある人生にしようという段階にきていますよね」

3人とも、まさにその通り、という表情だ。

「いいタイミングですね。最高じゃないですか! みなさんのような年代の方が『歎異抄』を学んで、それぞれの世界で活躍していくことは、これからの日本にとって大切なことだと思いますよ」。そう言うと、西田はウインクした。

(つづきはこちら)

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

人生の目的が5ステップで分かる
特典つきメールマガジンの登録は
こちらから

詳細を見る

関連記事

人生の目的とは 生きる意味やヒントを見つけるための特集ページです。

生きる意味やヒントを見つけるための特集ページです。