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この前、テレビを見ていたら、北野武さんが、インタビューに答えていました。
北野武さんといえば、タレント「ビートたけし」として80年代のお笑い界をリードした、生きる伝説といってもいい存在でしょう。
タモリさん、さんまさんとともに、お笑いビッグ3と呼ばれ、今もバラエティからニュースのコメンテーターまで、テレビの世界で幅広く活躍しています。
一方、映画界では監督したすべての映画が話題を集め、ベネチア国際映画祭をはじめ数々の映画祭を席巻する“世界のキタノ”でもあります。
評論家の岡田斗司夫さんは、北野武さんのことを、歴史に名を残し、社会を変えられる「天才」と評しています。
なぜなら、岡田さんいわく、北野武さんは、既存の価値観を捨て、新しいアイデアを生み出せる「発想力」、複雑な考えを整理し、矛盾をなくす「論理力」、その考えを人に分かりやすく伝える「表現力」の3つを兼ね備えているからです。
同じくこの3つの能力を持つ天才として、スティーブ・ジョブズ、レオナルド・ダ・ヴィンチの名を挙げていますから、いかに高く評価しているかが分かります。
今年73歳。長く業界で活躍し、お茶の間を楽しませている秘訣は、彼の天才性にあるのかもしれません。
その北野武さん、今は小説の執筆に打ち込んでいるそうです。
特にこの3年ほどは、自身初の恋愛小説『アナログ』や、作家を目指す男と愛犬の物語『ゴンちゃん、またね』など16作を相次いで発表しています。
最新作の『浅草迄』は、半世紀以上前の自身の記憶をたどった私小説です。
前半の「足立区島根町」の章は、少年時代から高校卒業のころまで。後半の「浅草迄」は浅草で芸人を志す手前の、青年時代を振り返っています。
独特の語り口は、読む人を引きつけ、淡々とした描写にも笑いは満載です。
1964年の東京オリンピックのころ、自宅が幹線道路の予定地になって立ち退き料が入ると思い込んだ武さんの父親が、飲み食いに散財したあげく勘違いだとわかり、残ったのは借金と工事の騒音だった!など、貧しい暮らしを描いてもあまり悲壮感はありません。
北野武さんは1994年、47歳の時にバイク事故に遭い、九死に一生を得た経験から、人生観や死生観が大きく変わったといいます。
当時の心境をつづった、『たけしの死ぬための生き方』(新潮社)という手記には、次のような表現が出てきます。
死というのは突如来る暴力なんだね。
死を考える、死ぬための心の準備をするというのは、生きているということに対する反対の意義なんだけども、異常に重いテーマなんだ。
下手するとこれが哲学の究極の目的なんじゃないかって思うね。
死というもののすごさというのは、自分の人生振り返って、何をしたとか何をしていないとかいうのは全然関係ない。
そんなことはビタ一文かすんないんだよ。
オレは生前いいことしてたんだから長生きさしてくれとか、そんなこと全然関係なく、ドンと来るんだよね。
それに人間どうやって対応するのか。これからのテーマだね。
(『たけしの死ぬための生き方』より)
今でも「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがあるといいます。
どんちゃん騒ぎの芸風とは裏腹に、北野武さんの本は、死や、人生の孤独、老いを冷徹に見つめています。
笑いと人生への洞察の深さは、切っても切り離せないようです。
2018年刊行の『「さみしさ」の研究』(小学館新書)では、「孤独は己と向き合い、成熟させるチャンスだ」とか「家族や友人に囲まれた生活が幸せとは限らない」といった、老後のさみしさを肯定する言葉に、「そのまま受け入れられるだろうか」と警鐘を鳴らし、このようにも、つづっています。
そんな北野武さんが、先日、テレビ番組のインタビューで、次のように話していました。
武さん自身も「死んだらどうなるか」と考えることはよくあるといいます。
しかし、そのインタビューでは、続けて、「自分でも答えは全然分かんないんだよね」と答えていました。
北野武さんの、先のインタビューの発言に、よく似た仏教の言葉があります。
なぜ人生は寂しいのか。その理由を、お釈迦さまは、『大無量寿経』というお経に、「独生独死 独去独来」と教えられています。
生まれてきた時も独りなら、死んでいく時も独り。この世に独りで来たのだから、去る時もまた独りだということです。
「好きな人だから、一緒に連れていきたい」とどんなに切望しても、旅立つ時は、独りぼっちです。
さらに、お釈迦さまが、生まれてから死ぬまで、ずーっと孤独だと仰るのは、家族や友達など「肉体の連れ」のことではなく、本当に分かり合える「魂の連れ」がないということです。
飲み会やカラオケで、仲間と食べたり歌ったり賑やかに過ごしていても、なぜか無性に寂しさを感じることはないでしょうか。
派手に騒いだあとはなおさら、「あんなに盛り上がっていたのに……」と、空しさが込み上げ、不安になります。
「この心、誰かに分かってもらいたい」と悩みを打ち明け、共感してもらえたら、気持ちは楽になるでしょう。
しかし、自分の胸のうちを、洗いざらい、ぶつけることはできるでしょうか。
もし、私の全てを理解し、丸ごと受け止めてくれる人があれば、心の底から救われます。
ところが、そんな人は、大宇宙を探しても、一人もありません。それは、私たちが、親にも子にも妻にも夫にも見せられない秘密の蔵を、一人一人がもっているからだと、釈迦は教えられています。
だから、どんなに親しい間柄でも、100パーセント分かり合うことはできず、人生は底知れぬほど寂しい処になるのです。
「人間は一人で生きて一人で死んでいく。で、どうする?」
「どうせ死ぬのに、なぜ生きる?」
この北野武さんの問いには、受け売りは許されません。
まさに、一人一人が答えなければならない、人生最大の問いといえるでしょう。
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