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「三方よし」伊藤忠商事の創業者・伊藤忠兵衛さんに学ぶ自利利他の精神

こんにちは、齋藤勇磨です。

大手総合商社の伊藤忠商事が4月1日から、グループの企業理念を「三方よし」に改定するそうです。

「三方よし」とは、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」のこと。

約150年前、伊藤忠商事を創業した初代・伊藤忠兵衛さんが重んじた言葉で、近江商人の経営哲学として知られています。

売り手の都合ばかりを優先するのではなく、買い手が満足し(買い手よし)、商いを通じて地域の発展や福利にも貢献する(世間よし)という考えです。

この三方よしの信条を心がけた商売で、遠隔地の行商先でも信用を集め、大歓迎されました。一代で財を築き、成功を収めたのもうなずけます。

「三方よし」の理念の元になった「自利利他」とは?

「三方よし」の理念は、仏教の「自利利他」の精神から来ています。

自利利他とは、相手の幸せを念じて行動する(利他)ままが、自分の幸せになる(自利)、ということです。

自利利他ということを分かりやすく教えられた、こんな仏教の説話があります。

昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出かけた男がいました。
最初に、地獄へ行ってみると、ちょうど昼食の時間でした。
食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいる。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」
と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りでした。
それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけています。

「おかしいぞ」と思って、よく見てみると、彼らの手には1メートル以上もある非常に長い箸が握られていました。
その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとしますが、できるはずがありません。長い箸がお互いにぶつかって喧嘩して、結局ご馳走をほとんど口にすることはできない有り様でした。

次に、男は、極楽へ向かいました。
極楽の人たちが、食卓に仲良く座っています。
もちろん、豪華な料理が山盛りでした。
「極楽の人は、さすがに皆、幸せそうだな」
と思いながら、ふと箸に目をやって驚きました。
地獄と同じように1メートル以上もあるような長い箸だったのです。

「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」
男は、分からなくなってしまいました。
しかし、その疑問は、まもなく氷解しました。
彼らは、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、テーブルの向こう側の人に食べさせ始めたのです。
食べさせてもらった人が今度はお返しをします。

にこやかに会話が弾んで、みんなでご馳走をお腹一杯食べることができました。

地獄と極楽はご馳走も同じ、長い箸も同じなのに何が違ったのでしょうか。
それは、「心がけ」といえましょう。

地獄の罪人たちは皆、他人はどうでもよい、自分さえ食べられればよいと、自分の都合、自分の利益、自分の得しか考えていません。

このような考え方を、「我が利益、我が利益」と自分の得しか考えていないので仏教では「我利我利」(がりがり)といいます。

極楽の住人たちは、自分の前に座っている人にまず食べてもらおう。まず他人に幸せになってもらおうと、まず、他人の利益を考えました。

ーこれを仏教では「利他」(りた)ー
その結果、自分も利益を得る。
ーこれを仏教では「自利」(じり)ー
「自利利他」(じりりた)といいます。

「三方よし」真宗門徒・伊藤忠兵衛さんの逸話

近江は昔から仏教、特に浄土真宗が盛んな地域で、伊藤忠兵衛さんも熱心な真宗門徒でした。

店員にはもれなく『正信偈』と念珠を持たせ、朝夕店内の仏壇でお勤め。

朝食後は、「手の空いている者は皆ござい(来い)」と店員数名を引き連れて、毎日、法話に参詣したそうです。

また、毎月定例で、店内での法話会を開き、店員ばかりか得意先や知人も招待して、ともに聴聞していました。

跡継ぎの息子に残した言葉は、「事業は潰しても文句は言わぬが、他の全ては失っても、本当の念仏の味だけは忘れてくれるな」だったそうです。

仏教を深く学び「自利利他」に生きた商人だったからこそ、150年も続く事業の礎を築いたのでしょう。

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この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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