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「#生きるのが辛い」と「異世界転生」から考えてみた

こんにちは、齋藤勇磨です。

「#生きるのが辛い」「異世界転生」は、最近、気になった2つのキーワードです。

これらの言葉の背景について、考えてみました。

「異世界転生」

先日の「朝日新聞」には、【「異世界で大モテ」異例の大モテ】という記事が掲載されていました。

記事によると、現世ではさえない人生を送っていた主人公が、異世界で突然モテモテになる、「異世界転生」をテーマにした漫画、アニメ、ライトノベルが人気で、出版物の売り上げが、5年で50倍になっているそうです。

文中では、「若者の生きづらさが異世界転生願望につながっている」という分析がなされています。

かつてはほのぼのとした日常を描くマンガが人気を集めたそうですが、若者論に詳しい社会学者の中西新太郎・関東学院大教授は、

「ほのぼのした日常が憧れだったが、現実の日常は窮屈になりすぎてもはやリアリティーがなくなった。

異世界で冒険ではなくスローライフを送る作品が多く、ほのぼの日常を現実ではなく異世界に求めている」

とコメントしていました。

この世は生きるのが辛いので、死んだ次の世界に、イメージを膨らませているのでしょう。

「#生きるのが辛い」

これらを裏付けるように、最近、ツイッターでは「生きるのが辛い」というハッシュタグをよく見かけます。

そこには、

「胸が苦しい」

「ひたすら逃げたい」

「毎日が息苦しいです」

「私って、生きてる価値あるの?」

というつぶやきが、並んでいます。

また、

「生きるのが辛いならもう終わってもいいのではないのか」

「死に方教えてください」

「死んだら、楽?」

というコメントも多く見られました。

ファンタジーは、現実の裏返しです。

上に述べた新聞記事からも分かるように、生きる意味が感じられず、死にたい、と考えている人が少なくないようです。

しかし、本当に「死んだら楽になれる」のでしょうか?

確かに、俳優や落語家が死去すると、生前の友人が弔辞で「泣いたら天国のアイツに笑われる」などと言いますし、それを聞いて違和感を覚える人もありません。

みんな「死ねば安らかなところに行ける」という、漠然としたイメージを共有しているからでしょう。

だが、もしそれが本当なら、「こんな辛い人生、我慢して生きるよりも、早く死んだほうがまし」だし、「自殺は賢い」ことになりましょう。

「慰霊」は〝死んだ人の霊を慰める〟行為ですから、無意味になります。

来世で楽しんでいるのなら、慰める必要はないからです。

「苦しい」から「死のう」でよいか?

仏典には、次のような話が記されています。

ある日のこと、釈尊(お釈迦さま)が托鉢の道中、大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘が、しきりとたもとへ石を入れている。

自殺の準備に違いない。

近寄られた釈尊は、優しくその訳を尋ねられた。娘はほかならぬ釈尊なので、心を開いて一部始終を告白した。

「実は、お恥ずかしいことでございますが、ある男を愛しましたが、その後、捨てられてしまいました。世間の目は冷たく、やがて生まれてくるおなかの子の将来なども考えますと、いっそ死んだほうがどんなにましかと思います。どうかこのまま死なせてくださいませ」

よよと泣き崩れる娘に、釈尊は、哀れに思われ、こう諭された。

「不憫なそなたには、例えをもって話そう。

ある所に、毎日、荷物を満載した車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。

つくづくその牛は思った。『なぜオレはこんなに苦しまねばならぬのか、自分を苦しめるものは一体何なのか』と考えた。

そして、『そうだ。この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ』と思い当たった。

ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。

ところがそれを知った飼い主は、やがて鋼鉄製の車を造ってきた。

それは今までの車の何百倍、何千倍の重さであった。

今となっては、どうすることもできない牛は、軽い車を壊したことを深く後悔したが、後の祭りであった。

そなたは、その肉体さえ壊せば後は楽になれると思っているのだろう。

だがそなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだ。それは、この世のどんな苦しみよりも、大きく深い苦しみなのだよ」

釈尊は、それから来世の一大事について、懇切丁寧に教えられた。

娘は驚き、仏法を聞いて、幸せな生涯を生き抜いた。

深く考えさせられる話です。

苦しみに負けずに生きる勇気

「死んだら楽になれる」「楽しい世界に生まれられる」という死後観を吹聴しながら、一方で、「死んではいけない」「どんなに大変でも、生きて」と力説するのは、矛盾しているのではないでしょうか。

「できれば自殺しないでほしい」なんて当たり前の話ですし、それでもそれができなかったから自殺するしかなかったわけです。

だから、苦しみに負けずに生きる勇気、自殺してはいけない理由を切実に欲しているはずです。

その答えを示しているのが、仏教です。

かけがえのない命の尊厳、自殺がなぜいけないか、仏教にどう教えられているのか。

もっと知りたい方は、ぜひ、お近くの仏教セミナーや講座に参加してみることをおすすめします。

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この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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