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『葬送のフリーレン』から人生を考える【考察・ネタバレあり】

こんにちは、齋藤勇磨です。

アニメ『葬送のフリーレン』(©山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会)が、「とにかく泣ける」「励まされる」「人生を考えさせられる」と話題になっています。

『葬送のフリーレン』は、“勇者による魔王退治”の後日談を描いたマンガが原作です。

2020年から『少年サンデーコミックス』で連載され、『マンガ大賞2021』大賞、『このマンガがすごい!2021』オトコ編2位、『全国書店員が選んだおすすめコミック2021』2位、『第25回手塚治虫文化賞』新生賞など、多くの賞を受賞しています。

2023年にアニメ化された、人気急上昇中の『葬送のフリーレン』の考察から、人生に迫ります。

できるだけ序盤に絞ってはいますが、記事の性格上、「ネタバレ」注意ですので、ご了承くださいませ。

魔王討伐は「生きる目標」?成し遂げた後の人生はどうなる?

まず、今作『葬送のフリーレン』の最大の特徴は、勇者一行が魔王を倒すまでの話ではなく、魔王を倒した後の話を描いている点です。

物語は、1000年の長きに渡り世界に君臨した魔王が、人間の勇者ヒンメル、同じく人間の僧侶ハイター、ドワーフの戦士アイゼン、エルフの魔法使いフリーレンによって倒されるところから始まります。

通常のファンタジー世界ならば、「ゴール」に設定されるべき魔王討伐が、物語の「スタート」です。

魔王を倒すという偉業は、私たちに置き換えるならば、自分はこれを成し遂げたと誇れるような、「生きる目標」といえるでしょう。

「あなたは何のために生きていますか」と、尋ねられたら、皆さんは、どう答えるでしょうか。

例えば、小中学生なら「成績アップ」「友達と遊ぶ」

高校生になると「クラブ活動で勝利」「志望校に合格」

大学生は、「恋人を探す」「就職」

社会人になれば「出世」「結婚」

家庭を持ったら「育児」「マイホーム」

退職後は「ローンの返済」「健康維持」「孫を可愛がる」などなど。

人それぞれ、世代によっても回答は変わりそうですね。

これらの「生きる目標」を持って生きるのは素敵なことです。

魔王討伐は、そんな生きる目標を象徴する、最大級のものではないでしょうか。

通常の物語ならば、目標を達成した充実感にスポットを当て、感動のクライマックスで終わり、「その後」には、目を向けません。

「桃太郎」ならば、鬼退治をして村に戻った時点で、「シンデレラ」なら、王子様と結婚した時点で、「ゴール」です。

しかし、実際の人生は、その後も続いていきます。

もし、大きな「生きる目標」を成し遂げてしまったら、その後の人生はどうなってしまうのか。

成し遂げてきたことは、果たして「人間に生まれてきたのはこれ一つ」といえるような「生きる目的」と言えるのか。

これが、『葬送のフリーレン』の根底を流れる、「深く根源的な哲学的質問」といえるでしょう。

対比して描かれる一生の儚さ

『葬送のフリーレン』のもう一つの重要テーマが、「一度きりしかない、人の一生の短さ」です。

世界を救った彼らは国を挙げて祝福されるも、王に報告した時点で、ヒンメル一行には、別れが待っていました。

“魔王を倒す”という目標を果たした以上、共に行動する理由を失ったからです。

旅の思い出にと、半世紀に一度しか現れない流星群を見上げると、フリーレンはヒンメルたちと別れ、趣味の魔法収集の旅へと戻っていきます。

主人公の魔法使いフリーレンは、千年以上の時を生きる長寿の種族「エルフ」です。

長い寿命からすれば、勇者一行と過ごした10年も、「たった10年」、あっという間のできごとでした。

50年後。再び半世紀流星群が近づく時期が迫り、フリーレンは「ヒンメルたちと“この流星をもう一度4人で見よう”と約束していた」ことを思い出します。

ヒンメルがいる王都に向かうと、そこにいた彼はすっかり老いた姿になっていました。

フリーレンは、理解していたつもりの“自分と人間の生きる時間の違い”をまざまざと見せつけられ、驚嘆します。

最後に、同じく年老いたかつての仲間たちと一緒に、半世紀流星群を見るために出発。

“特等席”で、空から降り注ぐ無数の流星を見上げ、「最後にとても楽しい冒険ができた」と幸せそうに語ったヒンメルは、王都に帰還してから息を引き取ります。

大切な人との悲しい別離は、どんな人も経験し、共感する、避けられぬ胸の痛みでしょう。

葬儀で、フリーレンは、自分が「ヒンメルのことを何も知らないし、知ろうともしてこなかった」ことに気付き、人間の寿命が短いことを知りながら、なぜもっと向き合おうとしなかったのかと涙するのでした。

このように、「悠久の視点から、限りある命を考える」が、『葬送のフリーレン』の背景にあるテーマです。

これから20年と聞けば、ずいぶん長いように感じますが、「過ぎ去った20年を振り返ると、あっという間だった」と思われる方も多いのではないでしょうか。

それが80年だったとしてもフリーレンの視点から見れば、同じく瞬間の人生です。

医療技術などの進歩で、人間の平均寿命は延び続けていると言われていても、長くても100年くらいのものでしょう。

樹齢何千年とか、46億年などと言われる地球の歴史と比べれば、たとえ100年生きたとしても、一瞬に思えます。

悠久の時間を思うと、人生はほんの一瞬。そう知らされると、時間を無駄にしてはおれず、精いっぱい生きる日々に変わってくるのではないでしょうか。

『葬送のフリーレン』のエルフと人間の対比は、まるで、死を遠くに見ている人と、無常を見つめる人の対比のようにも感じます。

フリーレン曰く、それまで「だらだら生きてきた」時間が、勇者一行との出会いと、大切な仲間の死を経験することで、人生を考え始めるようになります。

人は、命の短さが身に沁みて感ずるほど、濃密な人生を営もうと、努めるようになるのです。

「思い出」は大切。だけど……

『葬送のフリーレン』で、人が生きる上での「思い出」の果たす役割が、描かれています。

厭世感の強かったフリーレンは、勇者一行とともにした旅路を、現在の仲間と辿ることになります。

各地には、勇者の銅像が建てられています。

ひとりだけ長生きなフリーレンが、未来で一人ぼっちにならないように、という、勇者ヒンメルの心づかいです。

かつての仲間たちの言動の意味を、もう一度拾い上げていくことで、フリーレンは徐々に笑顔を取り戻していきます。

私たちの「いのち」すなわち「時間」は、決して無限に続くわけではありません。

だからこそ、大切なひととの関係に感謝の気持ちを忘れないようにしたい、という、温かい思いやりに、心動かされます。

『葬送のフリーレン』では、過去と現在が交互に描かれ、回想シーンがそのたびに挟まれます。

過去には戻れませんが、その記憶の中のできごとをどう受け取るかは、変わります。

フリーレンは、自分にとってどんな意味を持っていたのか、改めて知らされ、喜びをかみしめる場面が、度々出てきます。

その時に感じた幸福感がくっきりと、忘れられないほどの鮮明さで胸に刻まれるのです。

きっと、誰にでもあるのではないでしょうか。

そっと取り出すたびに、心がほっこりと温かくなるような、幸せの記憶が。

自分が生きてきた人生には、たくさんの幸せな景色があったということを思い出します。

しかし、あえて、言いたいことがあります。

今ここにないものを思うことは、決して手の届かないものに憧れることであり、到達できない現実は、「悲しみ」を掻き立てます。

思い出す時のフリーレンの表情には、同時に、さみしいという感情を強く感じるのです。

「不幸な境遇にあって、かつての幸せをおもうほど悲惨なことはない」――ダンテの『神曲』地獄篇の言葉です。

つらい現実を忘れて、楽しい思い出にひたりたくなる気持ちは、誰にでもあります。

しかし病気になって、昨日までの健康を喜ぶことができるでしょうか。

あの頃がどんなに楽しかったとしても、悲しいことに、それは戻れぬ昔であり、「今」は楽しくありません。

思い出には〝甘さ〟こそあれ、今を楽しくする〝力〟は、ない。

それは、かつての仲間が、望むことでもない。

そう気づいたからこそ、フリーレンは、悲しみを抱えながらも、過去の思い出のみに生きるのではなく、新たな旅を重ねるのではないでしょうか。

「人間を知る」旅に出る

ヒンメルの葬儀が終わった後、フリーレンの旅には「人間を知る」という新たな目的が加わりました。

この問いは、私たちにとっても、大きな忘れ物です。

日頃は、考えようともしなければ、知ろうともしないことでしょう。

『葬送のフリーレン』は、「真の思いやりとは」「離別と生のはかなさとは」「私は何のために生きるのか」「私とは何なのか」という、本当は、これまでの人生で考えてこなければならなかった、大切なことを思い出させてくれるからこそ、私たちの心を大きく揺り動かし、涙させるのではないでしょうか。

哲学発祥の地、ギリシャの神殿には、「汝自身を知れ」と刻まれています。

「私とは何か?」の問いこそ、何千年も前から人類が知りたいと思ってきたことなのです。

「私」が幸せになるには、その「私自身」を知らねばなりませんから、人間の「幸福」を真正面から探求する哲学とは、「人間自身」の探求にほかなりません。

エジプトのスフィンクスが、「始めは4本足、中頃は2本足、終わりに3本足となる動物は何か?」と、砂漠の旅人に問いかけ、答えられない者を食い殺したという伝説があります。

ハイハイから二足歩行を覚え、晩年、杖に頼る一生を例えたこの謎かけは、自己を知らぬ私たちに警鐘を鳴らしたものでしょう。

「私自身を知る」ことが本当の幸せの扉を開くカギに違いありません。

『葬送のフリーレン』では、このあと、魔族・人間・エルフという種族の違いから、「分かり合えない」というコミュニケーションの問題も含め、人間とはいかなるものか、が描かれていきます。

2600年前に説かれた仏教は、別名、「法鏡」「自覚教」ともいわれ、「仏道を習うは自己を習うなり」ともいわれます。

人生に、大切なことを思い出させてくれるのが、本来の仏教です。

このサイトでは、「人間とは何か」という大切な問いに、仏教の視点から迫った記事を、多く掲載しています。

この記事が面白いと感じた方は、ぜひ、他の記事もごらんください。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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