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【目次】
今回はこんなお悩みについてです。
自分は役に立たない、と感じているんですね。
そして、そんな自分は、生きてる意味はないんじゃないかと思うんですね。
「つらい思いを抱えながらも、生きていてくれてありがとう」
心から、そう思います。
なぜなら、死んでしまっては手遅れになる、重大な問題があるからです。
従苦入苦 従冥入冥
苦から苦に入り、冥(=暗い、闇、無知)から冥に入る
お釈迦様のことば
生きてる意味が分からない(無知)のままで、生きるのをやめたら、また恐ろしく暗い闇の世界へと入っていきます。
あなたがもっている今の暗い心を解決しなければ、未来も苦しい闇の世界になります。
「生きてる意味」を知り、生きてる意味が分からない(無知)から脱出しましょう。
生きてる意味は、あなたにしかできないことです。
ヴィクトール・フランクルの言葉を借りれば、あなたが生きてる意味は、「一回かぎりの、独自のもの」なのです。
まずは、生きてる意味が分からない(無知)を解決することです。
それからあなたの本当の人生が始まります。
従楽入楽 従明入明
楽から楽に入り、明から明に入る
お釈迦様のことば
生きてる意味が分かれば、生きてる今から明るく、幸せな人生になります。
生きてる意味がわかれば、あなたの暗い闇の心は、明るい心にガラリと変わります。
生きてる意味が本当に分かると、その後、生きてる意味が失われることも、崩れることもありません。
著名人も「生きてる意味は分からない」「生きてる意味はないんじゃないか」と言い放っています。
博学な人、成功者であっても、本当の生きてる意味を知っている人は、多くありません。
著名人がそう言っていると、
「そんなもんかもな」と思う気持ちが出てくるかもしれません。
もっと深く考えてみましょう。
「楽しく生きるだけさ」というのなら、
楽しめなくなったとき、生きてる意味はなくなるのでしょうか。
こうなったら、もう、生きてる意味は失われるのでしょうか。
誰でも病気になります。
誰もが年老いていきます。
病気や老いによって、楽しみは1つ1つ、奪われていきます。
生きてる意味は、たとえどんなに楽しめなくなったときでも、変わらずに「ある」ものです。
どんなときも変わらずにあるのが、人間の尊厳(生きてる意味)です。
フランクルは、フロイトの精神分析の中心である「快楽原則(快楽への意志)」と「生きてる意味」を区別しています。
快楽を追求し、欲を満たすことは「生きてる意味」にはならないのです。
もし「役に立たなければ、生きてる意味はない」というのなら、
人間を修理できない欠陥品の機械と同じように思っているのではないでしょうか。
生きてる意味は、機械のようなものとはちがうのです。
たとえ生まれつき障害があって、話すことも、自分で歩くこともできないとしても、その人が生きてる意味はあると断言できます。
もし「重度の障がい者は生きてる意味がない」と言う人がいるならば、そう言う人が、人間が生きてる意味が分からない(無知な)だけです。
すべての人には、生きてる意味があります。
若くても、誰でも病気になります。
優秀な人でも、不慮の事故で役に立たなくなることもあります。
長い年月、健康で、会社や人の役に立って過ごせても、やがて年老いて、肉体は古くなっていく。
役に立たなくなっていくのです。
有用性を失ったら、生きてる価値はないというのなら、
治らない病気になったら、生きてる意味はなくなるのでしょうか。
年老いたら、生きてる意味はなくなるのでしょうか。
そんなことは、あるはずがないのです。
安楽死が正当化されてしまうのは、
有用性以上の人間の尊厳(生きてる意味)を知らないからです。
人間が生きてる意味が分からない(無知な)だけです。
しかも、生きてる意味は、自分で探すものではなく、聞けば誰でもわかるものです。答えがすでに「ある」からです。
「生きてる意味」は、条件(環境)によって左右されるものではありません。
最悪の条件下であっても、失われないものが「生きてる意味」です。
有名な『夜と霧』を書いたヴィクトール・フランクルは、ナチス強制収容所で
と言っています。
フランクルは、豚のような生き方と、聖人のような生き方をする人を比較して、
といいます。
ここに重要なポイントがあります。
病気だから
老人だから
障害があるから
「生きてる意味」は、こうした「条件」で左右されるものではありません。
死を目の前にした人の多くは、ただ与えられた食事をとり、やれと言われた労働をして、豚のように行動したといいます。
しかし、これはナチスの強制収容所だけのことでしょうか。
極端な言い方かもしれませんが、私たちも、死ぬまでの時間は長くとも、やがて100%死ぬことは、まぎれもない事実。
これは、すべての人が考えなければならない問題です。
すぐには死なないと思っているから、後回しにしているだけです。
死を目の前にしても、聖人のように行動する人たちがいます。
頭で考えてできることではなく、「生きてる意味」が分かるかどうかです。
必ずやがて突き当たる人生の大問題(死)に、あなたも向き合わねばなりません。
「決心」と言われると、
と、また「条件」を作り出すでしょう。
逆に言えば、「生きてる意味」が分からないから、決心もつかないのです。
生きてる意味は、「決心がある・ない」に関係なく、すべての人にあります。
条件はないのです。
どんな最悪の条件下であっても、変わらないものが「生きてる意味」です。
生きてる意味は何か、と問うのではなく、
問われているのは、他でもない自分なのです。
ヴィクトール・フランクル
「生きてる意味」は、どこかに探しに行って見つかるものではありません。
心理学にも、哲学にも、文学にも「生きてる意味」の答えはないのです。
(生きてる)意味が見つからない心の病
ユング
生きてる意味が分からない状態(無知)を「心の病」とユングは言います。
「心の健康」は、人生の意味への問いに対する正しい答に他ならない
ガウガー
生きてる意味が分からない人は、体は健康であっても、「心の健康」がないのです。
生きてる意味が分からないという「心の病」を治し、
生きてる意味がハッキリした「心の健康」を得る必要があります。
フランクルの心理療法では「生きてる意味の重要性」を説いてはいますが、その答えは自分で見つけるものだと言い、答えを出していません。
生きてる意味がこれほど重要なのに、
「答えは自分で見つけなさい」と言われるのは、残酷ではないでしょうか。
生きてる意味が見つからないまま、一生を終えてしまう人もいるでしょう。
仏教には、誰でも聞けば「生きてる意味」がハッキリすると教えられています。
苦しい冥である、生きてる意味が分からない心を、
生きてる意味がハッキリ分かる、楽しく明るい心にすると
仏教に教えられているのです。
賢い人にしかわからないような、難しいことではありません。
聞けば誰でもわかるものです。
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じっくり考えながら、読んでみていただきたいと思います。
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