仕事

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小説『ガラタンッ!』~人生をガラリと変える『歎異抄』(23)

(第1回はこちら)

(前回の内容はこちら)

必ず落ちる飛行機

「こんな例えでお話しいたしましょう」、西田の言葉に一同がうなずく。

「人生を飛行機に例えます。もしあなたが今、50歳ならば、あなたは今から50年前に空港を飛び立った飛行機に乗っているようなものです。

東京生まれなら、東京から飛び立った飛行機、大阪生まれなら、大阪から飛び立った飛行機。

生まれたときが飛び立ったとき、生きているということは、飛んでいるということです」

「たしかに、『飛ぶように月日が過ぎる』って言いますものね」と晴美。

「さて、飛行機の中が快適かどうか、これは大切な問題ですね。

機内食がおいしいかどうか。量は足りるか足りないか。隣にどんな人が座っているかも重要です。

リクライニングがしっかりきいて、寝心地がよいかどうかも、気になる要素でしょう。

機内での出来事で、楽しんだり、苦しんだり、悲喜こもごもです」

ララが大きくうなずく。

「しかしそんな時、すごい爆発音が聞こえ、機長からこんなアナウンスが流れたらどうでしょう。

『お客様に緊急連絡です。先ほどの爆発により、当機は重大なエンジントラブルが生じ、燃料も漏れ始めてしまいました。

あと1時間もすれば、墜落はまぬがれません。着陸する場所もまったくありません』」

「それは一大事ですね」、豊がうなる。

「そんな時、誰が、『どうして俺の機内食はフィッシュじゃないんだ!』とか、『リクライニングを何とかしろ!』と言うでしょうか。

先ほどまで一大事だった、食事のことや、隣の人のことや、リクライニングの問題は、小さな小さな問題になってしまいます。

問題の桁が違うからです」、西田が話を展開する。

「死とはまさにそういう問題です。

私たちは、生まれながら必ず落ちる飛行機に乗っているのです。死なない人は一人もないのですから。

仏典には、臨終の人間のすがたを、こう説かれています」

『大命、将に終らんとして悔懼こもごも至る』

(だいみょう まさにおわらんとして けく こもごもいたる)

『大無量寿経』(だいむりょうじゅきょう)

(臨終に、後悔と恐れが、代わる代わる起こってくる)

「こう説かれるのは、海面に激突する心境に違いありません。

飛行機に墜落以上の大事はないように、人生に死ぬ以上の大事はないのです。

ムダな日々を過ごしてきた。

求めるものが間違っていた。

才能、財産、権力があれば他人はうらやみますが、わが身には喜びも満足もない。

なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか。

後悔のため息ばかりであると2000年前のローマの思想家セネカは言っています。

『こんなはずではなかった』と、真っ暗な後生に驚く、後悔に違いありません。

そして胸一面が無明の闇に覆い尽くされてしまいます」。西田の口調が盛り上がっていく。

しばらくの沈黙のあと、西田がまとめた。

「このように無明の闇は、仕組まれた罠のようなもので、日頃は気づきません。

しかし確実な将来が闇ですから、現在も心から安心・満足できないのです。

例えをイメージすると、『歎異抄』の言葉がより身近になります。

今度はみなさんがご自身の人生に、あてはめてみてくださいね」

人生は成果を上げることなのか

西田はパチンと手を叩いて空気を変えた。「さあ、次はどなたが発表しますか」

数秒の沈黙ののち、老画家、島田宗吉が静かに手を挙げた。

「島田さん、話してくださいますか」

「少し気が引けますがね、今日で最後なんですよ。だから、ちょっと話させてもらいましょうか。

ここに来たのも何かのご縁、最後にひとつ、私からみなさんへ、意見をプレゼントしよう。

素直に真面目に『歎異抄』を勉強しているみなさんに、私は問いたい」

島田のゆっくりした言葉が教室に響く。

「人生とは、成果をあげることなのかね」

森の奥の静かな池に石でも投じられたかのように、教室に波紋が広がっていった。

「今日までこの会を見学しているのは、実に面白かった。

求道的で、ずいぶんと素直だ。あっぱれだ。

大変気持ちのよい若者が、『歎異抄』に心惹かれて集まっている。私まで若返ったような気持ちになれた。

だからこそ、あえて反対意見を投じて去っていこう」

西田は黙ったまま、青年のように純真な眼差しを島田に注いでいる。

「人生はすべからく成果をあげることなのだろうかね。

『歎異抄』は、それを我々に伝えたいのだろうかね。

時間を記録しなさいとか、強みを生かしなさいということを、

そのまま受け止めて日々奔走して生きていけば、それでいいんかね?

『歎異抄』は、よもや利益追求のためのマニュアル本を書いたつもりではあるまい。

ここには資本主義を超えた匂いがある。私はそれに惹かれて来たようなもんだ。

あんたたちこそは、『歎異抄』を繰り返し読んで、これからの世の中に真の潤いを増やしていってほしい。

私はそう勝手に願っているもんでね」

島田の声は、しゃがれているが、よく通る。

「会社からドロップアウトして以来、しばらく働く気にはならんかった。

燃え尽きた企業戦士ほどたちの悪いものはなくてね、何にも気力が出てこない。

だけどある日、自分は絵を描くのが好きだったってことを思い出したんだ。

絵を描き始めてから今日まで、もうそれだけだった。

アルバイトしながら食いつないで気がつけば家族も持たないで、だけど絵だけは、死んでも手放さないで来た。

描いた絵は、ほとんど人にあげてしまった。

誰かの机の上にでも置かれて、わずかでも人生の潤いになれば本望というか、心の置き所というか。

自分が世の中に何かを差し出せるとしたら、そのぐらいかなと。

この会に来たのは、謎を解明するためだった。

ビジネスに没入する若い人たちが、利益を求め、奔走するのはいい。

それが若さかもしれないし、人間の本能かもしれない。

しかし利益が潤沢になったとき、今度は人生において何を潤沢にしていきたいと願うのか。

世の中をどう潤沢にしたいと願うのか。それを見てみたいとね。

そもそも、働くのは、生きるのは何のためなのか。

『歎異抄』はそういうことを言いたいんじゃないのかね」

水を打ったように教室は静まり返っていた。

「や、ちょっと長くなってしまったな。

私がどうして絵を描き続けてきたか、そのささいな潤いの話を、ずっと誰かに言いたかったんだな。

反対意見にすらなっていないかもわからんが、あんたたちなら、真摯に受け取ってくれる気がしたもんだから」

長い沈黙を破ったのは、ララだった。

「島田さんの絵、私のバイト先に飾ってあります。店長がすごく気に入って、よく見ていますよ。この絵があるだけで、くつろげるって」

「ありがとう。もうこれで失礼するよ」。島田は静かに下を向いて、帰り支度を始める。

「部長、待ってください!」

西田の脳裏には、自分の上司だった頃の苦しそうな島田の様子があった。

――俺は社会につながってなかったんだよ。自分でニンジンをぶら下げて、そのニンジンを追いかけていただけだったんだ。

「部長、確かに、喜びを与える仕事が、人生の目的だと、しばしばいわれます。

しかし、才能を発揮して成功してきた人も、定年を迎えれば、思うままにならない現実にぶつかります」

西田はかつての上司に向かって、青年のように頬を紅潮させて話し続けた。

「仕事がすべてだった人は、仕事を失ったとき、人生終わったと思い、生きがいを喪失します。

『肩書きを取ったら何が残るのか』『何を目的に生きればよいのか』、途方に暮れるのです。

肩書きや仕事を失って初めて、『仕事は生きる手段だった』と知らされるのかもしれません」

西田は言葉に詰まりながらも、島田の顔から眼をそらさずに言った。

「僕はいままで『歎異抄』の本を、どこか勉強として読んでいたのかもしれません。

島田部長が本気で語ってくれたように、『歎異抄』も僕たちに、本気でこの本の内容を語りかけている――恥ずかしながら、たったいま気づきました」

そんな西田に、島田は静かに会釈した。

「はいよ。先生、どうもありがとう」

島田が教室を出ていってもしばらくは、沈黙が教室を支配していた。

ふと我に返った西田が、島田が残していった紙袋に気づいた。中に入っていたのは、勉強会の参加者一人ひとりに向けて描かれた絵だった。

(つづきはこちら)

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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