幸せとは

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ギャンブル依存症から脱出したナニワの社長が語る!「ゼニじゃ買えん幸福があった」

こんにちは。三浦朋子です。

今回ご紹介するのは、大阪市のパチンコの備品メーカーの社長・北川誠二さんです。
オフィスや通天閣の見える一等地の高層マンションで週1回、仏教勉強会を開いているという異色の社長さん。「仏教は、めっちゃええ教えやから、多くの人に聞いてもらいたいんですわ」と豪快に笑われる北川さんですが、これまでの半生には、いろいろなことがあったそうです。詳しく聞きました。

夢でもええからまた会いたい・・・彼女との死別

20代の頃に、悲しい経験をされたそうですね。

はい。

22歳の時、友人が誘ってくれたパーティーで知り合い、その時に連絡先を交換したのがきっかけです。付き合っていくうちにだんだんと引かれ合い、真剣に結婚を考えるようになっていました。
ところが、しばらくして、彼女の体の異変に気付き、病院に行くと末期のガンを患っていることが分かったんです。入院中は治ってほしい一心で、毎日、仕事が終わると見舞いに行きました。話をするたび、自分の病気のことより私のことを心配してくれる優しい彼女でした。

手術が終わったらまた旅行に行こう、退院したら結婚しよう、と約束もしましたが、私の願いは届かず、私の手を握ったまま27歳の若さで亡くなりました。

月命日には、いつまでも変わらない笑顔の遺影に花を添え、「夢でもええからまた会いたい」と願う日々でしたね。2年目の命日には、届くはずもない手紙を書き、遺影に語りかけていました。

ギャンブル依存症で借金が膨れ上がり

その淋しさを紛らわすために、あることにハマってしまったと聞きましたが……。

お恥ずかしいことに、ギャンブルにはまってしまいました。

昔からギャンブルは好きで、いろんな博打を覚えてしまい、稼いだお金のほとんどを、博打につぎ込んでいました。

博打で負けが込んでくると、借金を作り、その借金をなんとか博打で返そうとまた借金。手持ちがなくなり、「もう博打はやめた!」と思っても、金が手に入ると自然と博打で負けを取り戻そうと考え、今思えば、あれはギャンブル依存症ですわ。

彼女の死で1人になった私はさらに拍車がかかり、借金が膨れ上がって給料で返せないほどになりました。

「このままサラリーマンの給料ではいつまでたっても借金は減らないし、同じことの繰り返し、借金を返すには、独立して稼いで返すしかない」と思い、独立して開いたのが、今の会社です。
まあ、サラリーマン時代の仕事ぶりがまじめだったおかげで、商品を仕入れる金もない私を応援してくれる顧客や仕入れ先に恵まれ、商売は順調にいきましてね。借金も返済し、貯金できるまでになりました。
 
しかし、のど元過ぎれば熱さを忘れるで、仕事で稼いでも金が入るとまた博打、従業員も増え、養っていかねばというプレッシャーから、手っ取り早く稼ごうと、博打につぎ込む金額がさらに大きくなり、エスカレートして借金生活に逆戻りしてしまったんです。

そしてある日、大博打でボロ負けし、業者への支払いも出来なくなり、結果、人の道も踏み外し、冷たい部屋の中で、後悔と懺悔の日々を送ることになりました。

周囲の厚意で自由な身となり、働いて貯金ができても、またもや、博打生活に舞い戻ってしまう。こんなことを繰り返していました。

間違いなくワシの人生のことや

そんな頃ですね。転機が訪れたのは。

はい。その頃、インターネットで仏教を伝えている青年を見つけました。

「大学まで出ておきながら、働きもせずに何をしとるんや?」と思いましたが、真面目そうな青年でしたので、「ちょっと聞いてみるか」という気持ちになり、その青年にメッセージを入れたのがきっかけです。青年に誘われるまま、仏教の勉強会に参加することにしました。
初めは「変な宗教ちゃうやろか?」と疑い、「壺でも買わされへんやろか?」と思いながら足を運びましたが、「自業自得(じごうじとく)」、自分に起きることは全ては、自分のまいた種の結果と聞き、理路整然とした因果の道理に、〈さすがお釈迦さまや。これは他のインチキ宗教とはちゃう〉と思いました。

そして、「会者定離(えしゃじょうり)」という仏教の言葉から、「愛する人とも、必ず別れねばならない時が来る」と聞き、「そうや、そのとおりや……これが仏教か……これは聞いて損ないわ!」と、その話に聞き入りました。

「壺もない、儀式もない、話を聞くだけなら、荒唐無稽な話でもない」と思い、続けて聞くようになったのです。

ある日の勉強会でのことです。

日本で最も有名な仏教書である『歎異抄(たんにしょう)』の、「さるべき業縁(ごうえん)の催せば、いかなる振舞もすべし」の一節から、話を聞きました。

「人間というものは、縁さえくればどんな恐ろしいことでもするものだ」という言葉に、自分の半生を振り返りました。

賭博や借金など、過去の記憶が蘇り、メモを取る手が止まり、あふれる涙を抑えることができず、「縁さえくれば、どんな恐ろしいことでもやる。そうや、これは、間違いなくワシの人生のことや、これは聞かな損する!」と思いました。

ギャンブル依存症だった私が○○依存性に

仏教を聞くようになって、ギャンブルはすっかり卒業したそうですね。

そうですね。人間の欲はどこまでも限りがないと、仏教で聞きました。

博打に負けると、取り返そうという心が働き、借金をするために嘘をつくようになったり、勝てば勝ったで「もっともっと」という欲の心が働いたりします。やがて額が大きくなり、しまいには負けて底をついてなくなってしまうのが、博打です。

世の中には選べる縁と選べない縁がありますが、ギャンブルは、選べる縁です。

人は縁によって左右されます、私の場合ちょうどいいタイミングで仏教の教えに出会えましたが、縁によって人間はどうにでも転がってしまいます。

「ゼニじゃ、買えん幸福があることを知ってほしい」と思っていますからね。そのためにも、言動を正していこうという気持ちになりました。今度は私が、身近な人に仏縁を結んでいただく縁になりたいと思っています。自宅と会社は仏教勉強会の会場に大変わりし、常に仏教を学ぶ友だちに囲まれている私に、再び博打を打つ心も時間もありません。

思いも寄らぬ縁で仏教と出遇い、ギャンブル依存症だった私が、いつしか聞法(もんぽう)依存性になりました。

今まで、両親や周囲の人たちにさんざん迷惑をかけてきた私ですが、この素晴らしい教えを、自分にしかない伝えられない人が、きっとあると思います。

そうですね!今日は本当にありがとうございました。

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