相模原・障害者施設事件が問う「なぜ生きる」|命に差別なし、その理由は?
相模原・障害者施設事件での「経済性のない障害者は生きていても仕方がない」という被告の主張は、社会に衝撃を与えました。重度の障害を持つ長男を、家族で介護してきた経験から思うところを述べたいと思います。
- 命の意味
- 相模原
- 障害
こんにちは、施設管理の仕事をするかたわら
文章を書いてみましたが、難しいですね。
ちゃんと伝わる文章になっていますでしょうか?
九州に生まれ、神戸の大学を出て、大阪で就職、
東京に転勤、今は富山と北上を続けて参りましたが、
寒いのは苦手ですので、これからは西に向かってと心がけています。
子供と共に歩んで知らされたことを多くの人と共有できたら嬉しいなと
思って投稿させて頂きました。
よろしければ、これからもご笑覧ください。
相模原・障害者施設事件での「経済性のない障害者は生きていても仕方がない」という被告の主張は、社会に衝撃を与えました。重度の障害を持つ長男を、家族で介護してきた経験から思うところを述べたいと思います。
障害を持ち、手足を自由に動かせない長男・真一。ディズニーランドへの父兄同伴の修学旅行も無事終わり、みんなが一安心でワイワイと駅弁を頬張り始めたその時、真一の泣き声が車内に響き渡りました。なぜ?
私の一日は朝風呂から。どこの家庭でも慌ただしい朝に、なんて優雅な一日の始まり、とうらやましく思われるかもしれません。しかし、これも大事な、療育介護の一つなのです。
小学校の行事といえば学習発表会でしょう。それは、一般の小学校も障害児たちが通う養護学校(現在の特別支援学校)も同じことです。立つことも這(は)うこともできない我が子、真一が、なんと桃太郎を演じました。
立つことも這(は)うこともできない我が子、生後1年半で「長くは生きられない」と医師に宣告された長男、真一もありがたいことに、命ながらえております。今回の投稿は「息と声」です。
重度心身障害児1級と判定された我が子、首も座らなければ言葉も発することが出来ないまま過ぎ行く毎日。30分おきに起きては姿勢を確認しなければ喉が詰まって大変なことになってしまいます。
「大切なことなのに、絶対にあきらめてはいけないことなのに、目をそらそうとしていることが他にもありませんか」。そんな声なき声が聞こえてきます。お釈迦様の、ある過去世物語を思い出しました。
重度心身障害児1級と判定された我が子、首も座らなければ言葉も発することが出来ないまま過ぎ行く毎日。何をされてもされるがままの我が子を見ていると、文句のひとつでもいいから言ってくれないか、と思います。
重度の障害を持って生まれて来た我が子。家に連れて帰りたい、家族で寝起きする暮らしがしたい。その為に私たちがしなければいけないこと、それが300ccです。息子に教えられ、悔いなき人生への旅が続きます。
どの教授も、哲学者も知識人も気づかせてくれなかった一番大切なこと。「なぜ生きる」という大切な忘れ物を教えてくれたのが、障害児のわが子です。家族みんなでの宝さがしの旅が始まりました。