皆さんは、「周りに流されやすい性格」に悩んでいませんか?
例えば、ネット上には、
「話し合う場で違う意見を求められても、つい勢いのある方へ気持ちが流れて行き、後でもっと自分を主張すれば良かったと、後悔することが多い」
「学生時代、自分が入りたいと思っていたサークルがあったのですが、友人から誘われ、自分が希望していなかったサークルに入ってしまった」
などの意見があふれています。
周りに合わせて行動すると、あまり衝突は起きませんが、自分の意見を伝えないので何を考えているか分かってもらえず心が通じ合わないことも。
本心を隠し、周りに同調するばかりでは自分を見失ってしまうでしょう。
そこでよく、「主体性を持って生きよう」とか「もっと主体的に取り組もう」などと言われます。
受け身、待ちの姿勢ではなく、自ら進んで自発的に物事に当たろう、ということですね。
世界的ベストセラーの自己啓発書である『7つの習慣』にも、「主体性を発揮する」という項目がありますが、ここで使われている「主体的」という言葉は、私たちの普段使っている意味と、少し違うようです。
『7つの習慣』でいわれる「主体性を発揮する」とはどんな意味か、それを実践することでどう変わるのかを、対話形式でご紹介していきます。
これを知れば、仕事もプライベートも、きっとうまくいきますよ!
1.“主体的”と“反応的”の決定的な違いとは?
たくや:まず、主体的ってどんな意味か、考えてみたいと思うんだ。
その言葉の意味を深く探ろうとしたら、「安全⇔危険」みたいに、反対の言葉を考えるといいって、よくいわれるんだよ。
「主体的」の反対の言葉は何だと思う?
れいじ:「受動的」とか、「お客さん」なんかかな。
たくや:なるほど、確かに。実は、『7つの習慣』の中では、それは「反応的」だと言われているんだ。
れいじ:「反応的」?う~ん、あんまり使ったことのない言葉だな。どういう意味なの?
たくや:そのときの状況や感情に流されて行動する、っていうこと。
具体的に言うと、「言われたからやる」「やらないと叱られるからやる」ってことだね。
れいじ:……ってことは、言われたからやる、の反対、「自分から進んでやる」が主体的、ってことか。
たくや:そうだね。考えてみると、「主体的」な姿勢って、反応と行動のあいだに「選択」という要素が入っているんだ。
つまり、どのような状況においても「それは自分の選択によってもたらされたものだ」と捉える。
れいじ:そんな!自分が好きに選んで決められることばっかりじゃないだろ?
例えばさ、今晩、彼女と映画を一緒に観に行く約束があるのに、上司から「残業してくれないか」と頼まれたとするだろ?
「そんなの関係ねえ!」と彼女への愛を貫きたいけど、上司への心証や業務の状況とかの現実を見ると、「う、残業するしかないな…」と思うじゃない。
いわゆる、「選択の余地なし」という状況だよ。こんな場合でも、自分が選んでいるっていうのかよ。
たくや:いい例をありがとう。そう、実は、今みたいな考え方を、「反応的」っていうんだ。
れいじ:ええっ!そうなの!じゃあ、主体的なら、さっきみたいな場合に、どう考えるっていうのさ?
たくや:うん。「言われたから仕方なくやるのではない。あくまでも『残業する』のは“自分の選択”である」と捉えるのが、「主体的」な姿勢なんだ。
2.同じ行動でも結果が違うのは……
れいじ:でも、どうせ残業するなら同じじゃないか。
たくや:そうかな?ちょっと考えてみようよ。同じ「残業する」という行動でも、それが反応的か主体的かで、結果は大きく異なるんじゃないかな。
反応的であった場合、「上司から言われてやらされている」という気持ちがありますから、
残業に対する取り組み方はイヤイヤで、なかなかはかどりません。
また、彼女への対応も、「悪いのは上司だ、文句があるなら上司に言え」といった感じで、関係は悪化、最悪破局を迎えてしまうでしょう。
それに対し、主体的であった場合、
「残業は上司から言われたことではあるが、最終的な選択は自分がしたのだ」という姿勢ですから、自分自身の責任を果たすため、一生懸命に残業に取り組みます。
彼女への対応も「約束を守れなかった責任も自分にある」と思いますから、誠意を持って謝ることができ、関係の悪化は小さくて済むか、あるいは、より信頼を深めることにもなるでしょう。
れいじ:う~ん、確かに。あとの場合のほうが、仕事もプライベートも、うまくいきそうな気がするな。
たくや:『習慣が10割』(2018年 吉井雅之 著)という本があるんだ。
これは、何をやっても続かずギャンブルに明け暮れていた著者が、自身の体験談を元に、習慣を身につける方法や習慣の素晴らしさを教えている本なんだけど。
その中に、こんなふうに書かれているんだ。
(中略)
『不景気だから仕事がうまく行かない』というのは、自分がそう捉えているだけに過ぎないということです。
同様に、『嫌な上司』はこの世に存在しません。存在するのは、『上司を嫌だと思っている自分』だけ。要するに、すべては自分が決めていることなのです。事実は一つだが、捉え方は100通りある。これが真理です。
れいじ:そうか。同じ状況、同じ行動であっても、主体的か反応的か、捉え方の違いで、結果は変わるってことなんだね。
3.仏教にも説かれている「主体的」な姿勢
たくや:仏教に、「自業自得」という言葉があるけど、知ってるかな。
れいじ:聞いたことがあるよ。
ふつう、よいことにはまず使われないよね。
例えばさ、テスト前だというのに少しも勉強せずゲームばっかりしていた子が0点取っちゃった。
そんな子にお母さんが「それ見なさい、自業自得じゃないの」と言ったりするよ。
あとはこんなときも。
安くて美味しいからといってカップ麺や菓子パンばかり食べていた人が、体を壊して入院してしまった。
そんな人に友達が「おまえ、そりゃあ自業自得だよ」と言ったりする。
たくや:そうだね。いま言ってくれたように、何か悪いことがあって、明らかにそれは自分のまいたタネだ、身から出たサビだ、というようなときに使われる言葉だね。
でも、この言葉は仏教に語源があって、本来の意味はそれだけじゃないんだ。
れいじ:どういうこと?
たくや:「業(ごう)」とは、仏教で「行い」のことで、悪い行いに限らず、善い行いも、すべてこの業の中に入るんだ。
「得」とは、幸福・不幸のこと。本来は仏教では使わない言葉だけど、わかりやすく言えば「運命」のことだ。
ということは、善い結果も、悪い結果もすべて、自分の行いが自分の運命を生み出している、というのが、本来の「自業自得」の意味で、仏教では一貫して教えられていることなんだよ。
れいじ:へぇ~、そうなんだ!
4.自分に目を向け、行動を変える
れいじ:じゃあ、テスト前にがんばって勉強して100点取ったなら、それは「自業自得」、食べ物に気をつけ、体に良いものを食べるようにして、健康をたもっているなら、それもまた「自業自得」ってことなの?
たくや:本来の意味なら、そうなるね。
れいじ:じゃあ、どうして、悪いこと限定で使われるようになっちゃったんだよ?
たくや:そうだな。おそらく、私たちは、いいことがあると、誰に言われなくても自然に「オレが頑張ったからだ」と思えるけど、何か苦しいことやつらいことがあると、その原因を、周囲の環境や、目の前の相手のせいにしがちだろ?
そんな時に、「自分の行いに原因があるんだよ」と教訓にするため、じゃないかな。
れいじ:なるほどね~。
たくや:相手や環境は変えることはできない。変えられるのは自分自身の「行い」だ。
「選択の余地なし」と捉えて、不平不満を抱くのではなく、選択の余地は大いにあると見る。
そうすれば、自らの捉え方によって気持ちも前向きになり、行動も積極的になり、その先の結果はよい方向へと変わる。
反応的な視点から主体的な視点へシフトするように、日々、心がけていきたいものだね。
れいじ:お前、いつもいいこと言うな。アドバイス、ありがとう!
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