人間関係

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人生を他人にゆだねない生き方|これを知れば前向きになれる自業自得の教え

人生を他人にゆだねる生き方、していませんか?

こんにちは。仏教講師の明石誠です。

私たちは苦しいとき、「なぜ自分は苦しまねばならないのだろう、自分を苦しめているものは何なのか」と考えたとき、その原因を他人のせいにしがちです。

家事や育児を手伝ってくれない夫が悪い
おいしい料理をつくってくれない妻が悪い
薄情な友達が悪い
パワハラの上司が悪い
無能な部下が悪い
はたまた、いじわるな地域住民が悪いと思ったり、日本が悪いと思って、相手を恨んだり、のろったりして苦しむことがあります。

ですが、お気づきのとおり、そうやって一方的に相手を憎んで、いいことがあるでしょうか?

悪口を言えば、もっと関係が悪くなるのは目に見えています。

このような「他人が原因で自分が苦しんでいる」という考えを、仏教で「他因自果」といいます。これは自分の運命を他人にゆだねる考え方です。

お釈迦さまは、この考えでは幸せになれないのだよと言われています。

では私たちが幸せになるには、どうすればいいのでしょうか。

いつの時代、どこへいっても変わらない幸せの道理を、お釈迦さまは教えられています。

人生を他人にゆだねない生き方とは?

お経に「一切法(いっさいほう)は因縁生(いんねんしょう)なり」という言葉があります。

一切法とは、すべてのもの(万物)。因縁生とは、この世の森羅万象、すべてのものには因と縁がある、ということです。あらゆる結果は、因と縁が結びついて現れる。

一例をあげれば、日本人の主食である米。ササニシキ、コシヒカリ、秋田こまち、青天の霹靂というお米もあります。そんなお米があったのか!!青天の霹靂ですが。。

その米がとれたのを1つの結果としますと、それを生み出したものに、因と縁があるということです。

因はモミダネ、種ですね。しかし種だけあっても米にはなりません。種が米になるのを助ける働き、縁が必要です。その縁とは、太陽や空気、水、肥料、農家の方の手間暇など、いろいろあります。それらが結びついて、米という結果が現れる。これを因縁「和合」といいます。

これは物だけでなく、私たちの運命も同じなのだよと、お釈迦さまは説かれています。

「結果」を「運命」としますと、その運命を生み出した「因」と「縁」があるんですね。

そして、私に現れた運命の因は、私の「行い」にある、とお釈迦さまは教えられています。

これを「自因自果」といいます。

また、皆さんもよく知っている別の言葉でいえば「自業自得」といいます。

人生を前向きに変える「自業自得」の教えとは?

「自業自得」は仏教の言葉で、ふつうは試験の結果が悪かったときなどに「それは自業自得でしょ、テレビゲームばっかりやってたもんね」と、悪い結果が現れたときだけに使いますが、しかし仏教では、善いときにも「自業自得」と言います。例えば、オリンピックで金メダルをとったときも、自業自得なのです。

「業」は、仏教で「ごう」と読み、「行い」のこと。「善いのも悪いのも、私の得る運命のすべては、私のやった行いが生み出したものなのだよ」という言葉が、「自業自得」です。

「行い」にも3通りあり、

身業(しんごう)
口業(くごう)
意業(いごう)

といいます。

身業とは、体でやる行い。
口業とは、口でしゃべること。しゃべるのも行いです。
意業とは、心で思うこと。心で思うのも、行いなんですね。

これら自分の「行い」が因となり、それが縁と結びついて、私の運命という結果を生み出す、というのが、因縁果の道理であり、自業自得の教えです。

私の行動で、私の運命は変えられる

私たちは苦しいとき、一方的に相手を責めたくなることがどうしてもありますが、あくまでも相手は「縁」です。このことを、正しく知ることが大事です。

田舎で、車でスピードをだしていたところ、警官が隠れていて、スピード違反で罰金をとられたらどうでしょうか。

「こんなところにどうしているんだ。いつもいないでしょ!」
「こんな善良な市民をつかまえてなんだ!」

と、苦しみの原因を、そこにいた警官のせいにして腹を立ててしまいませんか。

しかし、警官はあくまでも縁。因は私がスピードを出した、ここが原因です。

この場合、警官は職務を全うしているのですから悪いわけではなく、私の他因自果の考えが間違っているということになります。この間違った考えで、イライラ、ムカムカしているのです。

では、縁となる相手の行動が問題行動であった場合はどうでしょうか?

コンビニでアルバイトをしている学生から聞いた話ですが、いつも苦情を言ってくる、いわゆるクレーマーがいるそうで、そのクレーマーのために苦しんでいる。大物クレーマーになると学生ではとても太刀打ちできず、ぼこぼこにされてしまう。

しかし、同じクレーマーがきても、優秀な店長が適切な対応をすれば、クレーマーが、ファンになることもあります。

新宿のある破綻寸前のホテルをV字復活させた支配人が成功の秘訣について書いた本を読んだことがありますが、その中に「クレーマーこそ大事にしなければならない、その方をファンにしなけれなばらない。そのためには誠心誠意、対応するのだ」と書かれていました。

相手は、あくまでも因ではなく、縁なのです。相手の非を責めていても何も変わりません。一層、関係が悪化し、苦しくなるだけです。それよりも、自分が相手に対して、どんな対応ができているのかを、私たちは見るべきです。

たとえ、相手が悪い場合でも、私の応対次第で、結果、運命は変わります。

仕事でも、上司の段取りが悪いと、やる気をなくしたり、影で悪口を言ってしまいがちですけれども、そこを私が、部下の立場で何かカバー、サポートできないか、と思うのは、よいことです。

また、上司がワンマンで意見を聞いてくれないならば、自分の意見をとりあげてもらえるように、どう働きかけをしたらよいのか、私が努力し、上司の片腕どころか両腕のような存在になれば、あなたをぞんざいに扱えなくなるでしょう。

上司のせいで私は苦しんでいる、上司が変わってくれなけば私の運命は変わらない、と思っていては、怨みや怒りしかおきず、関係は悪化するばかりです。

私の行動で、私の運命は変えられるというのが、仏の教えです。

夫婦関係でもそうだと思います。

「主人がルーズで腹が立つ」という奥さんがあります。たしかに気持ちは分かります。とても分かります。

が、文句をいっていても始まりません。言えば言うほど余計、関係が悪化するだけです。それよりも、主人があなたに嫌われたくないと、自分のルーズさを改めようと思うほどに、あなたが主人に対して影響力を持てば、変わります。

私は主人に対して、どれくらいよい影響を与えているだろうか?

お願いしたことを聞いてくれないのは、もしかしたら自分が相手の要望に答えていないからかもしれません。

私はパートナーに対して、よい影響を与えているか、見てみる。それが、苦しい現状を打開する、最大の視点です。

メールのやりとりでも、そうです。

どうしてあの人はメールをしても返信がないんだ、常識がなさすぎる、とぷんぷん腹を立ててもしょうがないことです。それを批判すれば、もっと相手は心を閉ざして返信してくれなくなるでしょう。

それよりも、自分は返信しやすいタイミングでメールを送っているだろうか。また、返信しやすい文章で送っているだろうか。いや、そもそもメールで送ること自体が、相手に負担なのかもしれません。それならば電話をかけてみるなど、自分の行いを変えてみる。

あくまでも、相手は因ではなく、縁なのです。

人生を他人にゆだねる生き方をやめると前向きになれる

相手はなかなか変わってくれませんが、自分の行動を反省し、行動を変えることで、運命を変えることができるのです。

相手を因と思い、相手が変わらなければ私の運命は変わらないんだと、相手に自分の人生をゆだねた生き方では、絶対に幸せになれません。

もちろん、この人はあまりにもひどい人だと思えば、近づかないようにする、というのも、私の行いの1つです。悪い縁も多くありますので、悪縁を遠ざけるというのも大事なことです。

私の運命は、あくまでも、私の行いによって変えられる、というのが仏教です。
しかも、一番大事なのが、心の行いです。

もしかしたら、私が相手に要求しすぎているのかもしれません。

「私がこんなにやっているんだから、あなたもやってよ」という、恩着せ心や見返りを期待する心。そんな心がイライラ、カリカリ、ムカムカを生み出し、自分で自分の首をしめるように苦しんでいるのではないでしょうか。

仏教では、自業自得の真理が認められない心を、「愚痴(ぐち)」といいます。

「愚」も愚か、「痴」もバカということで、愚かでバカな心が私たちにあるのです。頑張っている人の努力を学んで、自分も前向きに頑張ればよいのですが、なかなかそうは思えない。幸せそうな人をみると、ねたんだり、そねんだり、うらんだりする心です。

この愚痴の心のない人はありません。すべての人にある心だと、お釈迦さまはおっしゃいます。みんな、この愚かでバカな、愚痴の心で苦しんでいるんですね。

苦しみの原因を、相手のせいにするのは簡単ですが、それでは幸せにはなれません。

仏教の自業自得の道理を聞いて、私が得る運命のすべては、私の行いが生み出すものなのだと正しく受け止められれば、必ず前向きになれます。

あくまで、相手は縁なのだ、私に現れる結果のすべては、私の行いが生み出したのだと、分かれば、困難もたくましく乗り越えることができるのです。

周囲や環境に自分の人生を委ねている人は、縁がよい時はいいですが、サポートしてくれる支えてくれる人や、慕ってくれる人、居心地のよい街にいる時はよいですが、私たちを取り巻く環境は、変わってゆきますので、嫌な人、つらい環境になると、人のせいにし、環境のせいにして、人を恨んだり憎んだり、呪ったりしていては、心の状態がネガティブで苦しいですし、苦し紛れに言うことは、悪口ばかりになりますから、余計、相手との関係を悪くし、負のスパイラルとなってしまいます。

周囲や環境がどうであれ、私の体と口と心の行いによって私たちは幸せになれる。そうと分かれば、自分の行動を積極的に反省し、努力するようになります。

そして、私が変わることで、今度は相手にとって私が「よい縁」になって、相手にも変わってもらうというのが理想ですね。

あいつは笑顔がない奴や!と批判することは簡単ですが、そんなことを言っていては、スッキリするどころか、自分が嫌な気持ちになってきます。それならば、自分が思いっきり笑顔で接してゆけば、少しは相手も笑顔になるかもしれません。まず、私が変わり、相手にも変わってもらう。そうして幸せの連鎖が生まれてくるのです。

愚痴一杯の私たちですから、この因縁果の道理、自業自得の教えを深く聞いていただきたいと思います。この道理が分かると、心が前向きになります。オンラインでもお話ししていますので、聞いてみたい方は、こちらからお問い合わせください。

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この記事を書いた人

仏教講師:明石 誠

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