こころ

こころ

自分探しの旅に出かけなくても、本当の自分が見つかる方法

【目次】

  1. 仏教を一言でいうと「真実の私を映す鏡」
  2. 鏡に近づくほど、自分の姿がはっきり見えてくる
  3. 自分探しと「幸せになること」との関係
  4. 真実の自己の姿は「万人共通」
  5. 煩悩と、三つの「毒」
  6. 朝から晩まで考えていること。五つの「欲」の心
  7. 「嫌だなぁ」とみんな思っている、自分の姿
  8. どうすれば、こんな自分が幸せになれる?

はじめに

こんにちは、高松です。
自分探しには、仏教がオススメです。

自分探しをするのは、「今まで知らなかった自分と出会う」ためではないでしょうか。

仏教のことを「真実の私を映す鏡」と言われます。
仏教を聞けば、今まで知らなかった、本当の自分を知ることができるんですよ。

仏教を一言でいうと「真実の私を映す鏡」

仏教とは、仏さまの説かれたみ教えです。
仏とは今から約2600年前、インドに現れたお釈迦様のことです。

お釈迦様が35歳12月8日に仏のさとりを開かれてから、80歳にお亡くなりになるまで、説かれたことのすべてが、お経となって残されています。
それを「一切経」といい、その数、7000冊あまり。膨大な数のお経です。

お経って、みなさんも見たことがあるでしょうか?
仏教を理解するには全てを読まねばなりませんが、漢字ばかりで読み解くのは困難です。

仏教の目的は「苦しみを抜き、楽を与える」こと

お釈迦様は何を目的として、仏教を説かれたのでしょうか?
漢字4字で「抜苦与楽」といわれます。

苦しみを抜いてやりたい。
楽しみを与えてやりたい。

ですから、あなたの苦しみを解決する方法は、お経のどこかに説かれてあるのです。

仏教を一言でいうと「真実の私を映す鏡」

ところが、7000冊もありますと、どこに私の知りたいことが書かれてあるのか、知るのが難しいですね。
そこで、お釈迦様が亡くなられる前に、お弟子が尋ねました。

「仏教とは一言で、どんなことが教えられているのでしょうか」

お釈迦様は、このように答えられました。

「汝らに『法鏡』を与えるであろう」
「仏教は法鏡なり」

とは「真実」のこと。
法鏡とは「真実の私を映す鏡」という意味です。

仏教とは一言で、「真実の私を映す鏡」なのですね。
あなたがまだ知らない、自分の姿を映し出されるのです。

鏡に近づくほど、自分の姿がはっきり見えてくる

皆さんも鏡を使うことがあると思いますが、鏡を使ってどこを見ますか?

手を見るときに、わざわざ鏡は使わないですよね。
寝ぐせなど、自分の見えない部分を見るときに使います。
見えるところを見るときは使いません。

なぜ仏教を「法鏡」と言われるのか。

自分ではわからない、本当の自分の姿を知らされるからです。

鏡から遠く離れていると、自分の姿がよく見えません。

鏡に近づけば近づくほど、自分の姿がはっきり見えてくるように、
仏教を聞けば聞くほど、自分の心の姿が、知らされてくるのです。

案外、自分のことはわからないものです。

自分探しを本気でやりたいなら、旅に出るより、仏教を聞いてもらいたいと思います。

自分探しと「幸せになること」との関係

本当の自分の姿を知ることと、「抜苦与楽」(苦しみがなくなって幸せになれる)
この二つは、どんな関係があるのでしょう?

たとえば体の調子が悪いときに、病院に行くと思います。
病院に行ったところ、診察室に入ったとたんに「薬を出しておきますね」と言われたら、どう思いますか?

「すごい先生だな~」と思うでしょうか。
どこが痛いとも痒いとも言っていないのに薬が置いてあったら、「前の人の忘れ物かな?」と思いますよね。

まずは「どうされましたか?」と聞かれるのを待つと思います。

「頭が痛いんです」と言って初めて、「どんな痛みですか?いつからですか?」と問診が始まります。より正しい情報が欲しいわけです。

問診して、痛みを調べて、ようやく「おそらくこれが原因でしょう、薬を出しておきますね」となります。

そして、「効かなかったらまた来てくださいね」と言われるはずです。
間違ったものを出してしまったら、治りません。

自分を知ることから、幸せになれる

まず問診をするように、自分の姿を知ること。

自分の姿に応じた「薬」を飲んで、初めて「抜苦与楽」(苦しみがなくなって幸せになれる)となります。

私たちは幸せになりたいと思って、日々、頑張っているんですけれども、「間違った方向の努力」をしてしまうと、頑張ったわりには、あんまり効果が出ないんです。

自分の努力の方向性が正しかったら、頑張ったら頑張っただけ、良くなります。

自分探しも同じです。
まずは仏教で教えられる「自分のことを知る」ところから始めましょう。

真実の自己の姿は「万人共通」

法鏡に映し出された真実の自己の姿は、というと「万人共通で、みんなこんなものですよ」と仏教では教えられています。

「煩悩具足の凡夫」

凡夫とは、人間のことです。
人間というのは、煩悩具足の者だと言われています。

具足とは、100%ということです。
雪だるまは雪具足、チョコレートでできている人形はチョコレート具足、氷は水具足。
100%それでできている、ということです。

煩悩具足の凡夫 …… 人間は煩悩でできている。

ということは、「煩悩」がどんなものかわからないと、人間がどんなものかわかりません。

煩悩と、三つの「毒」

煩悩。聞いたことがあるなと思う人が多いと思います。
「108の煩悩」と聞くと、除夜の鐘を思い出しませんか?

今年は煩悩で、煩わされ悩まされたので、
「来年はそんなことにならないように」と鐘を突くわけですが、
鐘を鳴らしたからといって「だいぶ煩悩が減ったなー」とはならないわけです。

煩悩はなくなりません。

みんな、生まれてから死ぬまで、108の煩悩に煩わされ悩まされています。

108の煩悩の中で、代表が三つあり「三毒の煩悩」といわれます。

「毒」って聞くと、どんなイメージですか?
うれしくなりますかね?

飲んだら危険、怖いイメージではないでしょうか。

どんなかわいい動物でも、毒をもっていたら怖くなります。
うさぎはかわいいけれど、「毒うさぎ」と言われたら、急にかわいくなくなりますよね。

車の運転をしていても、前に走っている車に「毒」と書かれていたら?
「ちょっと距離をとって走ろうかな」と思いますよね。

「毒」と聞くと、怖い。
「三毒の煩悩」は、怖いものなんです。

三つの毒をもったものとは?

「欲の心」「怒りの心」、そして「ねたみ・うらみ・憎しみの心」これを仏教では「愚痴の心」といいます。

欲・怒り・愚痴。この3つが、108の煩悩の代表ですから、この3つの煩悩をよーく知っておけば、「人間とはどんなものか」ということも、わかります。

朝から晩まで考えていること。五つの「欲」の心

「欲の心」の説明をしたいと思います。
食べたい、飲みたい、楽がしたい。ヒマがあったら寝ていたい。
「もっともっと」という、限りない欲の心です。

私たちは朝から晩まで、欲を満たすことばっかり考えています。

具体的にどんな欲があるのか?
いろんな欲があるんですよ。
本当にいろいろあるんですけれども、仏教では5つにまとめて「五欲」と教えられています。

食欲 食べたい飲みたい
財欲 お金が欲しい、財産が欲しい、コレクション集めたい、モノが欲しい
色欲 男女の欲
名誉欲 人から褒められたい、認められたい、悪く言われたくない
睡眠欲 眠たい、楽がしたいというのも睡眠欲に入ります。

どうですか、皆さん、朝から晩まで考えていることって、五欲のどれかに当てはまると思いませんか?

「五欲のどれを満たそうかな」と、動いていると思います。

講座を聞いていても、答えられなかったら恥ずかしいなと思うのは名誉欲、お腹が減って集中できなくなってくると食欲、食事をしたら眠くなってくる睡眠欲

じっと座っているときでも、五欲ばかり考えています。

余裕があるときは名誉欲で、よく思われたいから、良いことをするのですが、余裕がなくなってくると、犯罪にも手を染めてしまう。
どの欲も、エスカレートすると、悪いことをしてしまうんですね。
恐ろしいものです。

欲は、「もうこれでいいわ」ということがないんです。

「もっと欲しい、もっと欲しい」と限りない。

これを満たしたら幸せ!と思っていますから、欲を満たすことばかり考えていますけれども、その欲がさまたげられたときに出てくるのが、「怒りの心」です。

「嫌だなぁ」とみんな思っている、自分の姿

「あの人、欲深いな」
「あの人、怒りっぽいな」
「あの人、愚痴っぽい」

こう言われたらどう思いますか?
嫌な気持ちになりますよね。

欲・怒り・愚痴は、「嫌だなぁ」とみんな思っているはずです。

ところが仏教では、「あなたは、煩悩の塊だよ」と言われます。
全然、良いものではないわけです。

仏教を聞き、法鏡に向かっていくと、「けっこう私っていい人だな」と思っていたのが、「私って嫌な奴だな」と見えてきます。

だから仏教を聞いて、暗くなる、重くなる、と感じる人は、法鏡に近づいている人です。
自分の姿をちゃんと見ようとしている人なので、本当の幸せに近づいています。

仏教は、皆さんを暗い気持ちにさせるため、落ち込ませるために、説かれているのではないんです。

こんな煩悩具足の私が、本当の幸せになれるんですよ。

仏教は「抜苦与楽」が目的ですから。
つまり、私たちの苦しみがなくなって、幸せになれる。
これを絶対の幸福といいます。「永久に変わらぬ幸せになれる」ということです。

煩悩具足の私が、法鏡に映し出されて「あぁ、煩悩具足の私でした」とハッキリしたそのときに、「永久に変わらぬ幸せになれる」と教えられています。

どうすれば、こんな自分が幸せになれる?

ではどうすれば、「永久に変わらぬ幸せになれる」かというと、

仏教は聴聞に極まる。

こう教えられます。
「極まる」というのは、一番、ということ。
仏教を聞く一つで「人間に生まれてよかった」という生命の大歓喜が味わえるんです。

仏教を真剣に聞いてください。永久に変わらぬ幸せ者に、誰でもなれるんです。

煩悩具足の人が、なれるんです。

煩悩具足じゃない人はなれないのですが、それは人間じゃない。
人間は煩悩の塊ですから。ところが、

「私は欲はそんなにひどくないわ」
「私は怒ることもそんなにない」
「ねたんだりそねんだり恨んだり、そんな心、私にあるのかなぁ」

こう言っている人は、まだ鏡から遠い人です。

自分の姿が見えていない、わかっていないわけですから、「永久に変わらぬ幸せ」には、まだなれないんですね。

自分の本当の姿がハッキリ分かったその時、一瞬で「永久に変わらぬ幸せ」になれます。
一回や二回聞いただけでは、分からないと思いますので、ぜひ続けて仏教を聴聞してもらいたいと思います。

※講座を聞いてみたい方はこちら

この記事を書いた人

仏教講師:高松 良行

人生の目的が5ステップで分かる
特典つきメールマガジンの登録は
こちらから

詳細を見る

関連記事

人生の目的とは 生きる意味やヒントを見つけるための特集ページです。

生きる意味やヒントを見つけるための特集ページです。