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こんにちは、高松です。
自分探しには、仏教がオススメです。
自分探しをするのは、「今まで知らなかった自分と出会う」ためではないでしょうか。
仏教のことを「真実の私を映す鏡」と言われます。
仏教を聞けば、今まで知らなかった、本当の自分を知ることができるんですよ。

仏教とは、仏さまの説かれたみ教えです。
仏とは今から約2600年前、インドに現れたお釈迦様のことです。
お釈迦様が35歳12月8日に仏のさとりを開かれてから、80歳にお亡くなりになるまで、説かれたことのすべてが、お経となって残されています。
それを「一切経」といい、その数、7000冊あまり。膨大な数のお経です。
お経って、みなさんも見たことがあるでしょうか?
仏教を理解するには全てを読まねばなりませんが、漢字ばかりで読み解くのは困難です。
お釈迦様は何を目的として、仏教を説かれたのでしょうか?
漢字4字で「抜苦与楽」といわれます。
ですから、あなたの苦しみを解決する方法は、お経のどこかに説かれてあるのです。
ところが、7000冊もありますと、どこに私の知りたいことが書かれてあるのか、知るのが難しいですね。
そこで、お釈迦様が亡くなられる前に、お弟子が尋ねました。
お釈迦様は、このように答えられました。
法とは「真実」のこと。
法鏡とは「真実の私を映す鏡」という意味です。
仏教とは一言で、「真実の私を映す鏡」なのですね。
あなたがまだ知らない、自分の姿を映し出されるのです。

皆さんも鏡を使うことがあると思いますが、鏡を使ってどこを見ますか?
手を見るときに、わざわざ鏡は使わないですよね。
寝ぐせなど、自分の見えない部分を見るときに使います。
見えるところを見るときは使いません。
なぜ仏教を「法鏡」と言われるのか。
鏡から遠く離れていると、自分の姿がよく見えません。
鏡に近づけば近づくほど、自分の姿がはっきり見えてくるように、
仏教を聞けば聞くほど、自分の心の姿が、知らされてくるのです。
案外、自分のことはわからないものです。
自分探しを本気でやりたいなら、旅に出るより、仏教を聞いてもらいたいと思います。

本当の自分の姿を知ることと、「抜苦与楽」(苦しみがなくなって幸せになれる)
この二つは、どんな関係があるのでしょう?
たとえば体の調子が悪いときに、病院に行くと思います。
病院に行ったところ、診察室に入ったとたんに「薬を出しておきますね」と言われたら、どう思いますか?
「すごい先生だな~」と思うでしょうか。
どこが痛いとも痒いとも言っていないのに薬が置いてあったら、「前の人の忘れ物かな?」と思いますよね。
「頭が痛いんです」と言って初めて、「どんな痛みですか?いつからですか?」と問診が始まります。より正しい情報が欲しいわけです。
問診して、痛みを調べて、ようやく「おそらくこれが原因でしょう、薬を出しておきますね」となります。
そして、「効かなかったらまた来てくださいね」と言われるはずです。
間違ったものを出してしまったら、治りません。
自分の姿に応じた「薬」を飲んで、初めて「抜苦与楽」(苦しみがなくなって幸せになれる)となります。
私たちは幸せになりたいと思って、日々、頑張っているんですけれども、「間違った方向の努力」をしてしまうと、頑張ったわりには、あんまり効果が出ないんです。
自分探しも同じです。
まずは仏教で教えられる「自分のことを知る」ところから始めましょう。

法鏡に映し出された真実の自己の姿は、というと「万人共通で、みんなこんなものですよ」と仏教では教えられています。
凡夫とは、人間のことです。
人間というのは、煩悩具足の者だと言われています。
具足とは、100%ということです。
雪だるまは雪具足、チョコレートでできている人形はチョコレート具足、氷は水具足。
100%それでできている、ということです。
ということは、「煩悩」がどんなものかわからないと、人間がどんなものかわかりません。

煩悩。聞いたことがあるなと思う人が多いと思います。
「108の煩悩」と聞くと、除夜の鐘を思い出しませんか?
今年は煩悩で、煩わされ悩まされたので、
「来年はそんなことにならないように」と鐘を突くわけですが、
鐘を鳴らしたからといって「だいぶ煩悩が減ったなー」とはならないわけです。
みんな、生まれてから死ぬまで、108の煩悩に煩わされ悩まされています。
108の煩悩の中で、代表が三つあり「三毒の煩悩」といわれます。
「毒」って聞くと、どんなイメージですか?
うれしくなりますかね?
どんなかわいい動物でも、毒をもっていたら怖くなります。
うさぎはかわいいけれど、「毒うさぎ」と言われたら、急にかわいくなくなりますよね。
車の運転をしていても、前に走っている車に「毒」と書かれていたら?
「ちょっと距離をとって走ろうかな」と思いますよね。
「毒」と聞くと、怖い。
「三毒の煩悩」は、怖いものなんです。
「欲の心」「怒りの心」、そして「ねたみ・うらみ・憎しみの心」これを仏教では「愚痴の心」といいます。
欲・怒り・愚痴。この3つが、108の煩悩の代表ですから、この3つの煩悩をよーく知っておけば、「人間とはどんなものか」ということも、わかります。

「欲の心」の説明をしたいと思います。
食べたい、飲みたい、楽がしたい。ヒマがあったら寝ていたい。
「もっともっと」という、限りない欲の心です。
具体的にどんな欲があるのか?
いろんな欲があるんですよ。
本当にいろいろあるんですけれども、仏教では5つにまとめて「五欲」と教えられています。
どうですか、皆さん、朝から晩まで考えていることって、五欲のどれかに当てはまると思いませんか?
講座を聞いていても、答えられなかったら恥ずかしいなと思うのは名誉欲、お腹が減って集中できなくなってくると食欲、食事をしたら眠くなってくる睡眠欲。
余裕があるときは名誉欲で、よく思われたいから、良いことをするのですが、余裕がなくなってくると、犯罪にも手を染めてしまう。
どの欲も、エスカレートすると、悪いことをしてしまうんですね。
恐ろしいものです。
「もっと欲しい、もっと欲しい」と限りない。
これを満たしたら幸せ!と思っていますから、欲を満たすことばかり考えていますけれども、その欲がさまたげられたときに出てくるのが、「怒りの心」です。

こう言われたらどう思いますか?
嫌な気持ちになりますよね。
ところが仏教では、「あなたは、煩悩の塊だよ」と言われます。
全然、良いものではないわけです。
仏教を聞き、法鏡に向かっていくと、「けっこう私っていい人だな」と思っていたのが、「私って嫌な奴だな」と見えてきます。
だから仏教を聞いて、暗くなる、重くなる、と感じる人は、法鏡に近づいている人です。
自分の姿をちゃんと見ようとしている人なので、本当の幸せに近づいています。
仏教は、皆さんを暗い気持ちにさせるため、落ち込ませるために、説かれているのではないんです。
仏教は「抜苦与楽」が目的ですから。
つまり、私たちの苦しみがなくなって、幸せになれる。
これを絶対の幸福といいます。「永久に変わらぬ幸せになれる」ということです。
煩悩具足の私が、法鏡に映し出されて「あぁ、煩悩具足の私でした」とハッキリしたそのときに、「永久に変わらぬ幸せになれる」と教えられています。

ではどうすれば、「永久に変わらぬ幸せになれる」かというと、
こう教えられます。
「極まる」というのは、一番、ということ。
仏教を聞く一つで「人間に生まれてよかった」という生命の大歓喜が味わえるんです。
仏教を真剣に聞いてください。永久に変わらぬ幸せ者に、誰でもなれるんです。
煩悩具足じゃない人はなれないのですが、それは人間じゃない。
人間は煩悩の塊ですから。ところが、
こう言っている人は、まだ鏡から遠い人です。
自分の姿が見えていない、わかっていないわけですから、「永久に変わらぬ幸せ」には、まだなれないんですね。
自分の本当の姿がハッキリ分かったその時、一瞬で「永久に変わらぬ幸せ」になれます。
一回や二回聞いただけでは、分からないと思いますので、ぜひ続けて仏教を聴聞してもらいたいと思います。
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