
カフェ勉強会・おしゃべり会
名古屋開催/初心者大歓迎♪
今回はこんなお悩みについてです。
一日の大半の時間は働いていて、「この人生でいいんだろうか……」と思うこともありますよね。
仕事がきつい。
給料は上がらない。
自由に休むこともできない。
仕事に対して、何かしら不満を抱えている人は多いと思います。
こんな気持ちが出てきたとき、「気持ちが楽になる考え方」を、一緒に考えてみましょう。
きっと誰でも望むことでしょう。
ではなぜ、そうならないのでしょうか。
競争がある以上、会社は他に勝たねば生き残れません。
会社が潰れたら、従業員は職を失うことになります。
楽をすれば、仕事そのものがなくなってしまうでしょう。
また、経営者の立場を想像してみると、どうでしょう。
従業員の給料を上げたくても、会社を存続させるだけで精一杯なのかもしれません。
そう思う場合も、あるかもしれませんね。
たしかに「今」だけを見たら、経営者はラクしているかもしれません。
企業が軌道に乗るまでは、どうだったでしょう?
起業した当初の話を、一度、聞いてみてはいかがでしょう。
はたから見ると、苦労なく地位や名誉を得たように見える人もいますよね。
二代目社長は、創業社長と比較され、「前のほうがよかった」と言われがちのようです。
ラクしているように見えて、周囲の期待や失望の重圧に耐えているかもしれません。
よほど今の労働環境が苦しいのですね。
もし経営者が悪いと思うなら、その人を反面教師にして、あなたが起業してみるのもいいと思います。
日本で起業する人は、年間14万件。
理想の職場を、あなたが自分の手でつくってみてはいかがでしょうか。
ということわざがありますね。
芝生はどこも同じように生えていますが、見る角度によって、光の当たり具合が異なります。
「向こうの芝生は青い、いいなぁ!そっちに行ってみよう」
そう思って移動すると、先ほどと同じ理由で、また隣が美しい緑色に見えます。
さっきまで自分が居た場所も、芝生が青々と茂っていることに気がつきます。
他人をうらやましく思うとき、あなたから見える一面が美しいだけで、その人の立場で見ると、楽でも美しくもないのかもしれません。
たしかに競争がなくなれば、もう少し楽になるかもしれませんね。
なぜ、こんなに競争しなければならないのでしょう。
「経済中心主義」「大量生産・大量消費」というのが、近代化の流れです。
この流れがあるかぎり、競争になります。
そういう動きは20世紀後半以降には始まっていました。
経済よりも、生きがい・ゆとりを重視しよう。
大量生産よりも、エコ・地産地消をしよう、など。
しかし、大量生産・大量消費はなかなか止まりません。
なぜでしょうか。
大量生産のものには、こういうメリットがあります。
自由競争だからこそ、より安いもの、より良いものが、次々と生産されます。
「安くて良いモノが手に入った!」とあなたが喜んでいる裏には、競争社会の恩恵を受けている現実があります。
競争をやめるためには、買う人が、
という行動をとらねばならないでしょう。
「安く、すぐに、良いモノが欲しい」
この欲望を満たすことと、競争社会は、ウラ・オモテの関係です。
競争社会になった理由は、多くの人が「安くて、すぐ手に入る、品質のいい商品」を選んで買っているからなのです。
そう感じるなら、大量生産されたモノを大量消費する流れから、少し距離を置いてみるのもいいでしょう。
職人の手作りの商品を購入してみるなど。
そう思うかもしれませんが、社会のしくみを知った上で、自分の行動を変えてみると、小さなことでも、見え方や気持ちが変わるかもしれません。
こういう欲が、人を動かしています。
それなのに、多くの人は、どう感じているでしょうか。
欲が満たされずに苦しむことが多いですね。
なぜ、欲を満たすのは難しいのでしょうか。
心理学の言葉に「快楽順応」があります。
同じように、収入、財産、地位、名誉、結婚、マイホーム、美しさ、恋、健康などは、すべて「快楽順応」によって、幸せを感じなくなってしまいます。
求めているときは、「あれが手に入れば、幸せになれるのに」と追い求めます。
手に入らないときは、渇望感で苦しみます。
渇望していたものが手に入った瞬間は、幸せを感じます。
ところがそれは、ほんのしばらくの間だけ。
やがて、慣れて当たり前になり、幸福感は薄れていきます。
それどころか、苦痛さえ感じるようになります。
競争社会で、自分は「負けている」と感じるのは、「あの人は持っている、自分にはない」と苦しむときでしょう。ところが、
競争社会で、負けているから苦しいのではないのです。
「快楽順応」を防ぐ方法が、1つあります。
それは、感謝です。
『幸せがずっと続く12の行動習慣』(ソニア・リュボミアスキー著、日本実業出版社、2012)には、こう書かれています。
人生に起こる「いいこと」を当たり前のように思わない方法は、あるでしょうか。
そう感じるくらい、苦しいときもありますよね。
あなたはとても疲れていて、休みが必要なのかもしれません。
もし「考え方」で幸せを感じたいなら、一度、見方を逆にしてみてはいかがでしょう。
「モノに恵まれすぎるくらい、恵まれている」
「必要なものは、すでにある」
「多くの人の協力を得て、仕事ができている」
「もっと苦労して当然なのに、この労働で給料をもらえて有り難い」
「数えきれない人達の研究・工夫があったから、今の製品やサービスが成り立っている」
「多くの人が、日々働いてくれているから、自分の手元にモノが有る」
そうですね、そう思い込もうとしても無理でしょう。
でもこれが「事実」だとわかると、幸せな気持ちになります。
読むだけで、あなたの見方が変わる「事実」をみていきましょう。
この章を読むだけで、あなたにはすでに「いいこと」がたくさんある事実を知ることができます。
縄文時代は、自分で狩りをして、自分で器をつくり、自分で火をおこし、ようやく食事にありつけたでしょう。
江戸時代、殿様であっても、冷暖房は無い環境で過ごしました。
車も無いので、何日間も輿に乗り、腰が痛くなったことでしょう。
戦中・戦後は、貧しく、配給の分しか食べるものがない時代もありました。
今なら、コンビニに行けば、おにぎりがすぐ手に入ります。
これが事実なのだと、思えてくるのではないでしょうか。
工場で働いているなら、機械をすべて自分で用意することができるでしょうか。
人や資金を集めることはできますか。
多くの人や資金や設備がそろって、企業が成り立ちます。
営業の仕事なら、販売する商品があってこそです。
本来、商品を自分で1から作って当然なのに、誰かが作ってくれたもの。
動画やコンテンツを製作する仕事はどうでしょう。
パソコンやスマホというツールが存在しなければ無かった仕事です。
ツールを開発し、普及させてくれた人のおかげです。
これが事実なのだと、思えてくるのではないでしょうか。
「タコマ橋の崩落」をご存じでしょうか。
1940年、アメリカにある大きなタコマ橋は、少しの風が吹いただけで、グワングワンと揺れて、ついに崩落してしまったのです。
当時は誰も知らなかった「振動現象」のせいだと言われています。
まさに「未知」であり、事故を防ぐことはできませんでした。
過去の人々が、さまざまな「未知」に遭遇し、対策し、乗り越えてきた歴史の上に、今の安全があります。
これが事実なのだと、思えてくるのではないでしょうか。
歴史上の多くの人たちの研究・工夫だけではありません。
現代の多くの人たちにも支えられています。
コーヒー1杯を飲むにも、コーヒー豆を農園で栽培し、収穫し、輸送してくれた人たちがいます。
これが事実なのだと、思えてくるのではないでしょうか。
「事実」を知るだけで、幸福感を得ることができます。
「事実」を知れば、自然と見方が変わるからです。
この記事を読み、ちょっと幸せな気持ちになれたとしたら、
「この事実を忘れないようにして、感謝して生きよう」
と思われたのではないでしょうか。
ここで「めでたし、めでたし」で終わりたいのですが……
こんなに恵まれているのに、幸福感は続きません。
恵まれている「事実」を知っても、すぐに忘れてしまいます。
嫌なことがあると、また苦しくなります。
人間は「煩悩具足の凡夫」と言われます。
次々と「もっと欲しい」「もっとこうしたい」欲が出てきます。
仏教では、欲は苦しみの原因だと言われます。
同時に、欲は、なくすことはできないと喝破されています。
そして「諸行無常」とお釈迦様は説かれています。
「すべてのことは、続かない」ということです。
感謝の気持ちも、続きません。
幸福感も、続きません。
人は、苦しむために生きているのではありません。
幸せになるためです。
煩悩具足で、諸行無常の世界に生きる人間が、どうすれば幸せになれるのか。
仏教で説かれる幸せの1つに「心多歓喜の利益(幸せ)」があります。
心に歓喜が多くなる幸せです。
仏教を聞いてみませんか。
↓↓↓↓
月見草のカフェ勉強会・おしゃべり会も開催中です。ぜひお会いしてお話ししましょう。
↓↓↓↓
人生の目的が5ステップで分かる
特典つきメールマガジンの登録は
こちらから
生きる意味やヒントを見つけるための特集ページです。