幸せとは

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【見つけてもらいましょう〝生きる意味〟とやらを】 田中進一の世界( 三月十一日)

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 妹の自殺未遂から一週間が過ぎた。

 あの日から、時の流れがまるで変わってしまった。ネットリ絡みつくようでもあり、水中移動のようでもあり……。
 見舞いは一人で行くことが多かった。父さんはいないし、母さんは仕事が忙しくなったようで最近帰りが遅いのだ。僕が病院から戻った後、入れ違いで母さんが見舞うパターンが続いた。

 妹は、バネ式の人形さながら突然身を起こしたり、両手で虚空をつかんだり、叫んだりと奇行が目についたけれど、ここ数日はうって変わって沈黙を続けている。喉のあたりに手を置き、目を鈍く光らせ、能面で天井ばかり見ている。
 僕は、筒状のゴミ箱に剥げ残ったガムテープを見ながら座っているだけ。けれど、その、ただ傍にいることがひどい重労働に感じられた。病室がカビた地下室に思われ、人間としての〝 息継ぎ〟が必要になるのだ。

 ぼんやり妹のことを思った。 
 妹。
 僕のたった一人の肉親、春奈。 
 もうすぐ高校三年生。
 平凡を絵にかいた僕にとって妹は自慢のタネだった。
 歌うような円(つぶ)らな瞳と、じゃれる猫みたいな彼女の愛嬌は周りを笑顔にさせた。
 細身の身体は、どこか弱々しかったけれど、それがまた人をほっておけなくさせる。肩にかかるくらいの黒髪は清純で、すがすがしかった。

 僕はといえば、中肉中背で、これといった特徴がない。
 一浪した僕は四月から大学二年生になる。ちょっと長めの髪は我ながら似合ってない。かといって短くしても、やっぱり似合わないだろう。服装だって、お世辞にもセンスがあるとはいえない。
 それに比べ妹は、パステル調の服がよく似合い、〝 春奈〟という名前がピッタリだった。
 ところが妹は、変わってしまった。
 二年前の冬から。いや、本当にひどくなったのは昨年の夏からだ。
 服装はモノトーン調になり、爪には黒いマニキュアが塗られ、黒髪は金に近い茶になり、顔からは表情が消え、妙に他人行儀な言葉遣いになった。
 体つきはスリムを越えて、骨っぽい細さとなり、瞳は輝きが失われ、暗い海を思わせた。
 当然、僕はすぐに妹の変化に気付いた。
 でも、何もしなかった。

 なぜ?

 理由を探ろうと過去を振り返りかけ、あわてて拒絶した。不快感と恐れに似た感情が亡霊のように僕の周りを漂う。深く息を吐き、心を落ち着けた。
 急に自己嫌悪に陥る。相談一つ乗らなかった自分を殴りつけたいと思った。どうして僕は放っておいたのだろう、こんな日が来るのをどこかで予感していたのに……。

 じっと手を見る。救急車の中で妹の手を握り続けたこの手。あの時の春奈の掌は驚くほど冷たかった。腐りかけた杏を連想させる手の色が僕の胸を締め付けた。
 蘇った感覚を封鎖するように、ぎゅっと拳を結ぶ。 

 そろそろ〝 息継ぎ〟が必要と感じた僕は力なく立ち上がり、いつものように春奈からの返事は期待せず「じゃあまたな」と軽く声をかけた。妹はマネキンのような静けさで、ただ横になっている。頭を掻きながら背を向け、部屋を出ようとした、その時、
「死なせて下さい」
呪いのごとき声が僕の背後を襲った。

 夜道に突然肩を叩かれた時のように全身がビクリと反応し、凍りついた脳天から背筋に向けて何かが走り抜けた。押し上がった両肩をそのままに、ぎこちなく振り向く。そこに見えた妹の顔は、嘘っぽくて安っぽい人形に見えた。瞳は平坦で、ほんとに作り物みたいだ。

 何かの塊となった僕が、それ以上反応出来ないでいると、妹は口だけを動かし、同じ言葉を繰り返した。

「死なせて下さい」
 他人行儀な口調に、禍々(まがまが)しい毒気が含まれている。必死に言葉を返そうとするのだが、唇がワナワナ震えるばかりで声にならない。
 心臓が脈打ち、顔中に汗がにじむ。混乱のまま、舌をもつらせ、やっとの思いで妹の名前を声にした。妹はタメ息で返し、ゆっくりと顔を僕に向ける。

「お兄ちゃん……」
「ん、ん?」
「お兄ちゃんが私を病院に連れてきたのですか?」
「あ、ああ。そうだよ」
 次の言葉に期待を込めた。でもそれは一瞬で吹き消された。妹は、吐き捨てるように「余計なことを」と言ったのだ。
「え?」
「邪魔しないでください」
「おい、なあ春奈」
 妹は反対側を向いてしまった。
「もう、いいです」
「え?」
「ほっといてください」
「春奈」
「とにかく、もういいのです」
「おい、一体、春奈。なあ、一体どうしたんだよ?」
「お兄ちゃんなんかに分かるはずはないのです」
 妹の口調が段々強まっていく。

「いや、そんなことないって、なあ春奈、もう一度頑張ろう」
「うるさいです!」
 妹はこちらに向きなおし、一段と声を荒げて僕を睨みつけてきた。
「どうしたんだよ」
「ぜんっぜん春奈の心、分かってません」
「ど、どうして」
「さっきの一言で、春奈のこと、億分の一も分かってないことが判明しました」
「え、だ、だって」
「お父さんの時もそうでした」
 首筋を冷たい何かで撫でられた感触に鳥肌が立つ。

「な、」
「だからもういいのです」
「おい、春奈」
「くどいです」

 出口のないやりとりが続く。

 妹の口から、
「生きてる意味など全くありません」
「一日も早くこの世界から消滅したいのです」
「最初からなかったことにしたいのです」
といった言葉がギラリと光るナイフとなって切りつけてくる。気づけば僕は必死に叫んでいた。

「もう一カ月もすれば、お前の誕生日じゃないか。なあ、せめて、せめてそれまで待てよ。その間に生きる意味を見つけるから!」

 細められていた春奈の目が少しだけ大きめに開かれ、僕の顔のあたりを見まわした。

 心地悪い沈黙。

 澱んだ空気をどうにかしたいけれど、僕には対処の術が見つからない。重苦しさが
部屋を圧迫する中、薄く笑った妹が口を開く。

「おもしろいですね。それ」
「え?」
「一カ月で答えを出すというのですね、お兄ちゃんは」
「え、あ」
「そうですか……」
 口元に不敵な笑みを浮かべ、何かを味わうような時間をとって、妹は言った。
「では、見つけてもらいましょう。その〝 生きる意味〟とやらを」

 つばきを呑む、僕。
「まさか、冗談だなんて言わないですよね。一カ月で見つけてくれるんですよね」
「あ、ああ」

 勢いにおされ、ひきつる僕の口から思わず出た言葉を目視で確認するかのようにじっと目を凝らしてから、春奈は頬をヒクヒクさせ、えくぼを浮かべた。

「じゃあ誕生日まで待ちます」
「え」
「もし答えが見つからなかったら、今度こそ、死にます。絶対失敗しない方法で」

 銃口をブラリと眉間に突きつけられた戦慄が走る。頭から血の気がサーっと下がり、バス酔いのような状態になって足元がふらつき、肩のあたりがぎこちなく揺れた。言葉を失っている僕をヨソに、春奈は素っ気ない動作で病室に架けてあるカレンダーに目を向けた。

「今日が三月十一日ですね。期限は四月十一日、いえ、十日としましょう。誕生日の前日まで」
 そう言って、ククッと笑う。

「じゃあ、期待してますよ。お・に・い・さ・ま」

 妹の目は血走っていた。
 背中に氷の柱を突っ込まれたように、全身が震えた。
 春奈の言葉は一時の感情から出たものと思いたかった。でも、底光りする瞳は本気に見えた。

 さあ、どうする? 

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