こんにちは、編集部ディレクターの晴子です。
今まで、他人との関係について以下の2つについて書いてきました。
②本心を分かってもらいたい→本心は分かりきれないことを理解した上で、相手を理解する努力が大事
と説明してきました。
そう聞くと、「現実はそうなのかもしれないけれど、心から他人との関係を喜ぶことはできないの?」と思うかもしれません。
知らず知らずのうちにおちいってしまう、我利我利の考え方
実は、今まで述べてきた2つは、一見まったく別のように思えますが、ある共通点があります。
それは、どちらも「相手に対する自分の要求」を出発点としていることです。
「相手からよく見られたい」と良い評価を得ることを考えるのも、「本心を分かってもらいたい」のも、自分を優先している「自分ファースト」な考え方なのです。
このような、自己中心的な考えを、仏教では「我利我利」といいます。
我利我利とは、「我が利益、我が利益」ということで、自分さえよければ、自分が自分が、と自分を優先する心です。
「会社のお金を懐に入れてしまった」「税金として納めるべきものを隠して脱税した」などのニュースを聞くと、「自分のことしか考えてない人だな」と思います。
でも、そんな社会のルールを破って自分の利益を得ようとする人だけではありません。
「他の人の評価が、自分よりも高いと嫌だ」
「他の人ばかり注目されて、自分は関心を持たれないのは苦しい」
「私と意見が違う人は嫌い」
「他の人がしゃべっているのをさえぎってでも、私の話をしたくなる」
そんな「私を良い人だと見てほしい」「私を理解してほしい」という心も、根っこは一緒で、そこには我利我利の心が潜んでいるのです。
「自分ファースト」で苦しみをかき集める
人生は、「自分ファースト」の我利我利では、大ケガをしてしまいます。
- 亭主関白で、自分の意見ばかり押し通してきて、熟年離婚を突きつけられる主人
- 会社の中で、主張が全て自己中心的で、周りの人から嫌われてしまっている人
- サービス残業を強制した挙げ句、世間中から非難されて辞めさせられるパワハラ経営者
など、我利我利の考えで苦しむ例は、枚挙に暇がありません。
もちろん、「人助け?人情?そんなキレイゴトを言っていたら、この熾烈な競争社会では生きていけないよ」という意見もあるでしょう。
しかし、こんな我利我利の心で生きていては、誰からも好かれなくなってしまいます。
たとえ、お金やキャリアが手に入っても、自分に近づいて来る人が、お金やキャリア目当ての人しかいないようでは、孤独で悲しい人生になるのではないでしょうか。
そんな結果が身の上に表れてから「寂しい」と愚痴をこぼしても、「覆水盆に返らず」です。
では、手遅れになる前に見直すべき、私の心のタネまきとは何でしょう?どうすれば、他人と一緒に、心から喜び合い、幸せに生きることができるのでしょうか。
オレが、オレがの「我」を捨てて
自分のことだけを考えているために、周囲と争って苦しんでいる人がいます。
同じ状況に置かれていても、お互いを助け合い、楽しく過ごしている人もいます。
一体、何が違うのか。それを教えられたのが、こんな古歌です。
「人より私が優先」という自己中心的な人は、自分の思いを押し通そうとする「我」の強さで嫌われる。
「あなたのおかげ」と相手を仰ぐ感謝の心が、幸せな生活を送る時に大事なのだよ、という意味です。
ポイントは、「当たり前の付け所」です。
「あれもこれも、他人にしてもらって当たり前」と思っていれば、周りへの欲求が、全て満たされ続けることはありませんので、あれしてくれない、これしてくれないと、不満は尽きません。
逆に、「私がさせていただいて当たり前」と思っていれば、小さなことでも、相手が側にいてくれること、働いてくれることに感謝できるので、その人は幸せです。
たとえば、私の周囲を見てみますと、仲睦まじいご夫婦は、ご主人が奥さんの内助の功に感謝し、奥さんはご主人を慕っておられます。
また、私の知るやり手のビジネスマンは、みんなの意見を尊重、調整し、仕事や意思疎通がスムーズになるよう努力して、会社の中で頼られています。
松下電器の創業者である松下幸之助さんは、「人材に恵まれておった。仕事が順調な時はいつも皆のお陰と考えた」と言っていたそうです。
「私に良い評価がほしい」「私のことを分かってほしい」「私が〜してほしい」と、要求する心が出てきたら、目を転じて、周りから受けている恩に目を向けてみましょう。
「この人は、みんなが嫌がる雑用をしてくれている」
「あの人は自分が失敗した時に励ましてくれた」
「後輩の◯◯さんは、できていないことも多い私のことを慕ってくれている」
「上司の◯◯さんは、自分がミスした時にフォローしてくれた」
「友達の◯◯さんは、私の愚痴を聞いてくれた」
「親は、お礼を言わなかった日も、文句を言った日も、食事を作り続けてくれた」
「あの人は自分のため、みんなのために、こんなことをしてくれている」
このように考えてみると、満たされない気持ちが感謝の心に変わります。
幸せの種まき
今から2600年前、インドに現れ、仏教を説かれたお釈迦さまは、「幸せになりたければ、『自利利他』の道を行きなさい」と教えていかれました。
自利利他とは、「相手を幸せにすることで(利他)、自分が幸せになれる(自利)」ということで、「我利我利」の反対です。
相手が幸せになることをすれば、人や物に恵まれ、好かれ、信頼されるなど、自分に幸せとなって返ってきます。
相手を幸せにする行い、親切のことを、仏教で「布施」と言われます。
たとえば、
- 優しい眼差し
- 笑顔
- 優しい言葉をかける
- 人のために働く
- 感謝の気持ちを伝える
- 席を譲る
- 食事を振る舞う、ご馳走する
などです。
気持ち一つさえあれば、今すぐできることも多いですね。
「施しは 生きる力の 元と知れ」と言われます。
アメリカの刑務所で行われるプリズン・ドッグというプログラムがあります。
受刑者は、虐待などで心や体が傷ついた犬の世話をします。
プログラムが終われば、犬は新しい里親の元に引き取られるのですが、傷ついた犬を世話する中で、エサや水、そして、何よりも愛情を与えることが、受刑者に良い影響をおよぼします。
「苦しくても犯罪に手を染めずに正しく生き抜こう」という生きる力となり、再犯率がぐっと低くなるというのです。
仏教では、相手を幸せにする行いを種に、相手は、種を蒔く”田んぼ”にたとえられます。
「一粒の種を蒔くと、秋には何十、何百粒の実りとなるように、相手を幸せにする行いをすると、何倍もの幸せになって私に返ってくるのだ」と、お釈迦様は教えられているのです。
「ホント?」と思われたら、ぜひ、実行してみてください。
すぐその場で実を結ばなくても、利他の種まきは必ず私の幸せとなって返ってきます。
結果を気にせず、種蒔きに徹していれば、忘れた頃に、どっと大きな実りが返ってきますから、必ず、本当だと知らされます。
相手は幸せの種まきをさせてもらう田んぼと思って、どんどん、積極的に種まきをしていきたいですね(^^)
まとめ
- 「私を良い人だと思ってもらいたい」「私のことを理解してもらいたい」という心は、ともに自分ファーストで、満たされず、寂しい。
- 仏教では、我利我利と言われ、自分の事しか考えていない人は幸せになれない。
- 自分がしてほしい要求を考えるより、自分がしてもらっている事に目を向け、感謝できる人は幸せ。
- 仏教では、自利利他の精神を教えられる。
- 自分がしてほしい要求を考えるより相手が幸せになる事を考える。
- 相手は田んぼ。幸せの種を蒔くことに心がければ、大きな幸せとなって返ってくる。
- 自利利他の精神に生きれば、他人と一緒に、心から喜び合い、幸せに生きることができる。
もっと知りたい方は、ぜひ、お近くの仏教セミナーや講座に参加してみることをおすすめします。いま、幸せについて勉強するなら、仏教がいちばんです。
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